風の谷通信

専業農家からの引退を画策する高齢者。ままならぬ世相を嘆きながらも、政治評論や文化・芸術・民俗などに関心を持っている。

11-061パリ旅日記210603

2016-06-27 17:58:45 | 旅日記

風の谷通信No.11-061   写真補充判

6月6日月曜日。ピカソ館へ行くと「休み」。案内書には火曜日休みとなっていたがそれがどうした。係員は「明日来い」という態度。ポンピドー館へ行くと小学生のような子供たちが整列していて一般客は11時半からだという。バカバカしい、待っていられるか、ということで地下鉄へと歩く。

地下鉄を降りてトコトコと歩いてオランジュリーへと向う。幸いにも待ち列が短い。シメシメ。10時15分に列の後尾について10時45分に入館。そのまま14時まで館内にいた。楕円形の睡蓮の部屋に長い間座ってのんびりしていた。館内のカフェで食パンとコーヒーだけの簡素な昼飯の間に日系アメリカ人夫婦と少し話した。戦後にアメリカへ渡ったという。どこ(州の名前)から来たと言ったかな、忘れた。

館を出て街をぶらぶら歩きながら帰る。


コンピュータの先生の救援を頂いたので画像がアップできます。余ったスペースを利用して前回分の画像をアップします。

          

画面左より:①セーヌの氾濫。車道も歩道も水の中。②裁判所隣接の教会の尖塔。③その窓のステンドグラス。④外のカフェは朝から人がいっぱい。いつ働いているのだろう。


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11-060パリ日記201602

2016-06-25 18:58:16 | 旅日記

風の谷通信No11-060     写真追加あり(写真をクリックすると拡大
                画像が正しい縦位置で表示されます。)

ブログ面に画像がアップできない。自分では四苦八苦したけど解決できなくて、只今コンピュータの先生の救援待ち。

 

初日6月05日;まずは街歩きの記録から。朝いちばんに息子に付き従って地下鉄の駅へ行き、切符の買い方を復習する。ついでに10枚一括買いも実習。1枚単独ならば€1.80、回数券10枚ならば€1.41。そのあと街歩きを始める。シテの市の中を通って、サンジェルマンデプレへの途中で裁判所に隣接する教会へ入る。サントシャペル。早朝なのでまだ観光客が少なくて、すぐに入れてゆっくりと見物できた。そのあとすぐに込み合ってきた。あゝラッキーだった。見ものは尖塔の頂点にまで届くステンドグラスの窓。ここの図柄はガラスに描き込んだもの。(着色したガラスをカットしてはめ込んで組み上げたものとは異なる。)教会だから窓の画は聖書物語だろうけど、細かい絵はさっぱり見えないので色だけを楽しむ。

次はドラクロア美術館。サンジェルマンデプレ教会の近くにあって、美術館に多い邸宅ではなく、ごく普通の邸。写真の国旗を掲げた小さな玄関が美術館の入り口。絵画の展示物は忘れてしまったが、「秘密の庭」が気に入った。邸の表は建て込んでいて敷地自体が小さな場所であり、その建て込んだ家並の奥にひっそりと庭が開いている。たくさんの部屋を通りぬけて裏庭の納屋のような2階建ての壁際を降りて行くと裏庭があって、ちょうど絵画教室を開いていた。中庭の解説員がきれいな日本語で話しかけてきた。古い写真を見せながら、荒れていた庭をどんな風に手入れして現状にまで持ってきたかを熱心に解説してくれた。まだ細かい表現はつたないがきれいな日本語を学んでいることが判った。言葉の不自由な日本人には有り難い学芸員さんである。

デプレ教会の前のカフェ≪ドゥ・マーゴ≫で昼食。やっぱり白ワイン・オムレツ・コーヒー。100年以上も前に文人画人たちが集まってにぎやかに過ごしていたという店がそのままの名前で残っているのがすばらしい。日本で言えば「文化文政の頃のお茶屋」が残っているようなものか。但し日本の建物は木造建築で、かの地のものは石造りですぞ。

中世博物館(クリュニー美術館)。蛮族の攻撃隊に対処した石造りの壁の厚さに驚き。その石壁の地下室が一般通路から見える所に残っている。博物館を入ると、同じく厚い石造りの共同浴場がある。ひんやりした石造りの部屋の中に石像が沢山並んでいる。それとは別に5枚連作のタペストリーが有名だと言うがよく判らんかった。

ところで西洋歴史で言う「中世」とは5世紀頃から15世紀頃までと、広辞苑に書いていある。石壁の構築がいつの頃かは不明である。初期ならばゲルマンの大移動の頃であるし、後期ならば既にゲルマンが攻め込まれる側になっていたものと考えられる。ノートルダムドパリ建設が12世紀から13世紀前半である。この頃にはゲルマン一派のゴート族が既に定着していたはずである。重い鎧を着て長い槍を持って馬に乗って戦った騎士たちのフランク王国の時代だろうか。よく判らんけれど、まぁとにかく長い歴史に驚く。

初日にしてはよく歩いたなぁ。

       

 左:クリュニー美術館の石像 中:ドラクロア美術館の玄関 右:仲庭の絵画教室

       

 左から:ドウ・マーゴの店頭、その店内・コーヒー  なんてことはないけど。

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11-059パリ日記

2016-06-23 15:11:06 | 旅日記

風の谷通信No11-059

2016パリ日記を書き始めよう。

14日早朝に帰着。出発直前にエジプト航空が地中海東部に墜落するという事件があったので、正直なところ気持ちが悪かった。でも空港の荷物チェックもほとんどフリーパスだし、手荷物検査もたいしたことなかった。それよりも、歩き回った疲れと時差ボケには参った。まさに老いを実感する旅であった。ようやくにしてキーボードに触れる気分が湧いてきた。それでも、眼が見えにくいのでキーを叩くのが億劫である。辛いなあ。気が重いよぅ。

 

パリ訪問の時期としては春やや遅いのだが、それでも相変わらず込み合っていた。往きの便はほとんど満席。帰りの便は逆に空いていたみたいだ。遅れて乗り込んだので乗客の集団を見ていはいない。

 

パリの街・・・これが問題でして・・・。まずは度を越した大雨でセーヌに大水が溢れ、上流や下流では洪水が起きている(進行形)。パリ街中の橋は大水が洗っていて橋げたにはゴミの山。木材や缶やペットボトルなど。それでも地元の人達が大勢(それこそ大勢で)見物に来て写真を撮っていて、市内で洪水が起きていないことを喜んでいる。しかし、セーヌに近い地下鉄は停まるし、美術館は閉鎖される始末。なにしろ展示品の芸術作品を上階へ避難させているので、少々水が引いたくらいでは即開館できない。セーヌのながれに沿った歩道も車道も「水漬かり」でさっぱりですゎ。

さてこの辺で写真をアップしておきたい。画像をアップできるかな?

 結果:できない。写真の保存処理が済んでいないか、どこかで手続きが間違っているか。では、後回しにする。


パリの街では恒例の「交通労働者のストライキ」の時期だそうで、電車やバスが停まったり間引き運転されたりで、道路が混んでいる。街中の普通の道路は一方通行だし、荷卸しのクルマは後にお構いなく停車して作業するし、歩行者が絶対にクルマが停まってくれることを信じて横断するし・・・そんな具合で、込み合っていますよー。

 

春のパリの楽しみのひとつはマロニエの並木ですが・・・。時は過ぎた。プラタナスの実が大きいものでウズラの卵くらいに膨らんでいて、マロニエの花は咲き落ちたばかりでまだ実を着けてはいない。その代りに緑がきれいだ。ポプラとアカシアの緑が加わって、街路の各地で深い緑を作っている。

到着すぐの印象としてはそんな処かなぁ。

 

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11-058パリへゆきます

2016-06-02 16:11:43 | この道の先に

風の谷通信No.11-058

旅日記 試作

やっと身辺を整理して、パリへ出かけます。自分の体調・病院3か所の受診日程・農作業・ムラの行事日程・・・・さまざまな巡りを勘案しながら、ようやくにして見つけた期間を利用して出かけることになりました。

今回の狙いはモネとピカソです。過去の訪問でミスミス逃してきたものを今回はできるだけカバーして来ようと願っています。ピカソ美術館はごく便利な場所にあるのに永らく閉館中でした。こんどは大丈夫、改装が終わったそうです。逆にマルモッタン・モネのほうは日本へ移転しているかもしれない。日本のどこかで展覧会開催中かも・・・・・・。なんたる不運。こんな計画は知らなかったよ。

 

もう一つの狙いはパリのオムレツ。なに?あはははは。モンパルナスのあのカフェのオムレツが懐かしい。そしてサン・ジェルマン・デ・プレのカフェ・ドゥ・マゴ。原田マハが描く1942年のパリにピカソの恋人ドラ・マールが座っていた、そのカフェが今もそのままの名前で存在しているとは。この国で言えば京都か鎌倉の雰囲気ですね。少し遠いけどそこまで歩いてみようかナ。  
パリの春は何といってもマロニエの並木道が見ものですが、それは日本のゴールデンウイークの頃の話。今はもう遅すぎます。花ビラは散り果てて実が膨らんでいることだろうなぁ、3枚の羽が拡がって熟した時に飛び出す準備をしているんだろうなぁ、と思います。何しろ、春は航空機が混んでいて、なかなか乗れないんンです。6月前半と言うのに、関空のホテルも満室です。まさかサミットは無関係だと思いますがねぇ。と言って、真夏にパリへ行くのも辛いよ。

そして、視力の衰えが急速に進んでいるので、地下鉄に乗るのも苦しくなりそうで、もう外国の独り旅は最後になろうかと思います。そんな訳で大切な旅になりそうです。

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