風の谷通信

専業農家からの引退を画策する高齢者。ままならぬ世相を嘆きながらも、政治評論や文化・芸術・民俗などに関心を持っている。

6-019 ザックの評価

2011-01-31 21:17:37 | 世相あれこれ

風の谷通信 NO.6-019

 寒いなぁ、寒いなぁ。早朝の室温が3℃。危ないナ・・・と思ったら案の定、屋内の給湯栓までが凍り付いている。朝風呂も洗顔もできない・・・・・・。

 それはともかくとして・・・。サッカー・チームがアジア杯で優勝した。優勝戦のボレーシュートはサッカーを知らない私にも素晴らしいことが判った。さて、到着ゲートに群がる人々の多いこと。このために寒い中を空港まで出向くか・・・。そして、若いチームを率いたザック監督に対する評価が・・・マスコミ・メディアの間で・・・高い。 まるでもう崇め奉る感じだ。ベタベタ、舌で嘗め回すばかりの褒めよう、気持ちが悪い、悪い。

 だけど、就任が決まった頃にメディアはなんと書いていたのかな? 相当こき下ろしていたはずで、曰く「実績がない」「頭が古い」「彼の経験や戦術は現代には通用しない」なんて言ってた、と思う。それが戦勝と同時に評価一転、もうベタ褒めである。
 これと同じだったのが岡田監督。彼への評価も悪かった。「彼ではワールド・カップを戦えない」「今のうちに交代させろ」と悪評ふんぷんだった。それが勝ち進んだトタン一転した。よくもああ簡単に臆面もなく口先を変えられるものだと感心する。

 この裏返しがこのクニの政治家、なかんづく首相。安倍・福田・麻生・鳩山・菅と、すべて多大な期待を受けて登場しながら、仲間からも見放されて退陣するという無様さだった。オット、菅はまだ退場ではないけど、まあ評価がガタ落ちという点では前任諸氏に同じ。安倍の直前は誰だったかな? 森氏もハワイ沖での練習船沈没被害事件での能天気ぶりが祟って、悪評で自滅した。しかし、最近の鼎談記事では鈴木宗男・佐藤優両氏が森氏を評価している。森氏の面前で語っているのだから修飾してはいないだろう。曰く「森さんがいたから北方領土交渉が進んだのに・・・」「プーチン氏と交渉できない後継者達が話しを潰してしまった」「これで日ソ領土交渉は頓挫した」云々。

 ある人に対する他者からの評価というものは難しいね。これを無条件に参考にするのも危険が多いことだ。空港のゲートでサッカー・チームに賞賛の手を振り、返す掌で小沢氏を叩く人だっているかも知れない。人の評価は棺の蓋を閉じてから決まる、か。だけどそれでは「歴史から学ぶ」ことはできない。

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6-018 旅日記パリ#17

2011-01-29 18:34:58 | 旅日記

風の谷通信 No.6-018

 きょうは近場の展示場めぐり。市庁舎前の大型店でセーターを買って一旦戻り、改めて街へ出かける。

 息子の住まいの近くにはいくつかの博物館や美術館がある。通りの名前もそれに因むものではなかろうかと思う。その一つは歴史博物館、次いでドノン館(コニャック・ジェイ美術館)、カルナヴァレ博物館、市立歴史博物館、ピカソ美術館、その他。

 隣接する通りには「フラン・ブルジョア通り」なんてのがある。ショッピング街だという。日本人の感覚では「店舗」という感覚がしないが。タンプル通り(テンプル通りかと思っていたがカナに直すとタンプル通りらしい)、アーカイヴ通り、リボリ通りなどなど。

 まずは歴史博物館へ。大きな大きな建物、いわゆるシャトーとかマンション(現代日本のマンションとは異質の物、念のため。)とか呼ぶ建物の中に広いスペースをとって展示してある。そのうちスービーズ館は開いていたがロアン館は閉鎖。スービーズ館はどうやら古ーい古ーい資料が一番奥の小さな部屋にぎっしり並んでいるのが本体らしい。この係員は「フランス語が判らない年寄りがなにしに来たんだろう」くらいに思ったのであろう。それほどに専門家以外には無縁と気付いた。それでも、本物のパピルス文書、超小型の古式拳銃、古い手書きの聖書(ずいぶん大型で分厚い)などを観た。パピルスなんて、日本では殆ど見る機会がないだろう。

 次にコニャック・ジェイ美術館。ここは領主だったか豪商だったか、要するに大金持ちのコニャック氏が妻のジェイのために集めた美術品の展示館。主として18世紀の絵画・彫刻が展示してあり、小さいながら実に気持ちの良い美術館だった。それに入場無料だと・・・。

  写真:コニャック・ジェイ美術館の入場券。これがコニャック夫人の像かもしれない。                                  コニャック・ジェイ美術館

 

 

 続いてピカソ美術館を探しまわったが見つからない・・・。さんざん歩き回った挙げくに、閉鎖されているう大きな木の門扉がそれだと判った。ヤレヤレ。もう疲れて美術館めぐりどころではない。近くにはポンピドー・センター(国立近代観術館)もあるが、 立ち寄らずに街を歩く。 ブルターニュ通りからチュルビゴ通りからレアルへ出る。そんな通りの名前なんてどうと言うことはない。

 タンプル広場は小さな公園だが子供連れの母親達がたくさん集まっていた。一緒に砂場で遊ばせt大人たちは大人たちで話し合い。日本といっしょ。

公園

      公園 

 子供達を見ていると中に意地悪がいて、特定の相手の持つオモチャを次から次へと横取りしてゆく。弱い方は完全に虐められ役。これも日本といっしょ。おそらく4歳にもならないうちに加害者と被害者が出来上がっている。でも親たちは知らん顔。

 続いてレアルへ立ち寄る。息子が「歌舞伎町みたいなものだ」というがなるほどケバケバしい街だ。この横通りの店でホットドッグを買って昼飯。パン・ハム・ソーセージ・ホットドッグ・サンドイッチを売っている店の看板は「肉屋」。日本ならば「パン屋」。味は上等。ついでに果物屋で昼飯用にオレンジを買った。間口1間半くらいの小さな店の店頭に果物がバラでわんさとつみあげてある。スペイン・オレンジ。小型だがうまい。€2.95/kg。店頭で舗道上から品定めをしている間はそっぽを向いていた女性店主に篭に入れたオレンジを差し出すとにこりと笑って「メルシー」と言った。アハハ。下の写真はこの横通りなので余り目立たないが地下鉄駅からの出口辺りは雑踏の渦。日本の交番のような警官詰所があるので昼間は危険性が無いみたいだ。だけど30年前のアルバムにはこの駅の切符が残っている。全く記憶がない。第一、あの時にどこのホテルに泊まったのかも判らず、どの路を歩いたのかも判らないので思い出すきっかけもないがとにかくレアルの名前が入った切符が残っている。言葉も判らず妻と二人でこの街を歩き回り、さらには地下鉄にさえ乗ったのか、と感慨深いが、今は昔の物語。

 レアルの露地で    レアルの露地で  

 

 

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6-017 水栓凍結

2011-01-27 18:22:43 | 季節の便り

風の谷通信 No.6-017

 まるできのうの観察をあざ笑うかのように今朝は水栓が凍った。

 6時40分、室内温度が6℃。きのうよりも低い。やばいぞ! まだ日の出前だから間に合うかな? と飛び出したが遅かりし。戸外の水栓が凍結している。 これとは別に、裏庭に設けたもう1本の水栓は凍結せずに流れ続けている。これでパンクは免れた。

 それでもまだ間に合うぞ!と凍結した栓にバケツ一杯の熱い湯を運んで掛ける。なかなか溶けない。そりゃそうだ。凍り始めてから少なくとも1時間は経つだろう。そのまま放置するしかない。

 それでも2時間程度で栓が開き、続いて3時間程度でゴムホースの氷も溶けた。

まこと、冬になると苦労が耐えない。毎日気が抜けない。だけどまだまだ寒くなるよ。2月20日前後の太子祭には毎年うんと寒くなり雪さえ降る。

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6-016 くん炭作り

2011-01-26 18:17:45 | 農業日記

風の谷通信 #6-016

 久しぶりのくん炭(燻炭)作り。

早朝の室内温度が4℃。日の出前に外に出る。戸外の水道管は氷結していない。きのうの予測では今朝の最低気温が氷点下2℃ということであったが、案外下がらなかった模様。

 昨日・おとといは昼間比較的温かだったので、今朝も早朝から畑へ出た。朝のうちにモミガラを積んで火をつけて、昼過ぎに火を止めた。畑に広げて水を打って冷やしておいて昼飯に帰った。午後縁側で午睡していると14時半頃に空が暗くなってきて急に寒くなってきた。ガラス戸を透してジンジンと寒さが攻め寄せて来た。普段ならばガラス戸の効果でヌクヌクと暖房気分なのにこれはかなわん。それよりも不気味な風が吹き始めた。

 この様子だと拡げたくん炭が吹き飛ばされるぞ・・・と思って、仕舞いに出かける。

 寒い!  イヤ冷たい! 「寒風」の中で広げたくん炭を集めてタンクに回収して終り。ヤレヤレ。とにかく吹き飛ばされることは防いだ。

 写真は以前のくん炭作り 齢のせいで今はもうこれだけの作業はできない。

                     

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6-015 旅日記パリ#17

2011-01-25 20:41:07 | 旅日記

風の谷通信 No.6-015

  フランスの乞食の話題。

 ある朝の7時頃か。外がほの明るくなってくる。窓から見ると雲がいっぱい。雨模様という訳でもない。その薄雲の隙間から下弦の月が見える。25夜の頃の月か?間もなく雲に隠れてしまった。サマータイムが終わって、休日なので街はまだ動いてはいない。

 早朝の地下鉄に乗っているとどこかの駅で乗り込んだ二人組みの一人が、カートに載せたアンプを操作し、連れの一人がいきなりトランペットを吹き始めた。アンプを設定した一人はタンバリンを叩き始めた。地下鉄の走る車両の中でですよ。私の座席のすぐ傍でですよ。うるさいの何のって、たまらんよ。しかし誰も苦情を言わない。その行動が神戸でよくやる年末の十字軍みたいだったのでキリスト教関係の年末活動かな?と思いながら観ていた。

 そのうちに演奏をやめて帽子を持って車内を回り始めた。なんだ、結局はカネ目当てか! 

 駅を出てから息子に訊いたら「新手の乞食ですよ」とのこと。クニが違えば人情も変わる。乞食もこうなれば堂々たるもの。モンマルトルの竪琴もバイオリンもサッカー少年のリフティングショーも同じくカネ目当ての活動。道端にだらしなく座り込んでいる乞食も同じ。

 もうひとつあった。初日にチュイルリー庭園で昼飯用のパンを齧っているとアラビックと思われる女性が近づいてきた。日本人の感覚で言えば30歳前後か。「英語がわかるか」と訊いてから一枚の小さなカードを見せた。カードには英語で「私の母は白血病で入院しています。おカネを恵んでください」とある。これもカネ目当てだろう。カードの記事は信用できない。だから無視した。同じスタイルの事例がもう一つあった。やはり「白血病」だった。

 フランス人ではなく、英語がわかる外国人観光客だけを狙って寄付を求めるのは怪しい。これはフランスだけではない。古い話になるが、サンフランシスコ空港では日本人だけに絞って寄付を求める団体があった。日本人のお人好しにつけこんだ商売だ。若い白人女性が日本語で話しかけてきた。「日本人ですか。懐かしいです。私、〇〇大学を出ました。xxのために寄付してください」と言った。拒否するとすぐにそ知らぬ顔で離れて行き、次の標的を物色し始めた。何が「なつかしい」だ、クソッタレ。大体、豊かなアメリカが日本人相手に寄付を求めるなんてのが奇怪だ。

 それから何年か経って(と言ってももう20年も昔のことだが)同じくサンフランシスコでは、このグループを一つのブースに入れていた。ブースの中から日本人と見ると大きな声をかけ、呼び寄せておいて寄付を求める。眺めていると日本語が珍しいのかついふらふらと誘われてゆく人がいる。結構稼いでいるなという印象を受けた。

 イギリスにもあった。道端で座っている乞食が、実はお抱え運転手付きのロールスロイスで毎日「出勤」していたという実話報道があった。

 ここ数旬の伊達直人現象で日本人の寄付行為に対する感覚が変わりつつあるのは喜ばしい。でもこのフランス人の態度には程遠い。では「お前は何を?」と反問されるのが日本でのごく常識。私はある「遺児育英会」にほんの少しだけ寄付を続けている。鳩山さんのような大金(オオガネ)があればいいんだけど・・・・・・・・。 

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