風の谷通信

専業農家からの引退を画策する高齢者。ままならぬ世相を嘆きながらも、政治評論や文化・芸術・民俗などに関心を持っている。

13-080向山光明先生との私的な思いで

2018-11-30 19:04:13 | 季節の便り

風の谷通信No.13-080

向山光明先生が亡くなられた。享年91歳。日本有機化学会の父と呼ばれ、東京工大・東大・東京理科大で教授を歴任された。その辺は先生の公的活動分野の話。私の話題はもっぱら私的なもの。

 

今を去る55年も昔の頃、私が初めて上京した時に下宿したのが、先生の屋敷の片隅にあった6畳一間の部屋だった。先生の屋敷は戦前の名残を残す大きな本宅に大きな裏庭を備えたもので、荻窪の川南地区にあり、まだ環状8号線の計画が持ち上がる前であった。

荻窪地区はその昔、明治時代の高級官僚や軍人が引退後に備えて別荘を構える地区であった。先生の父君が信州の出身で、経歴は伺ってはいないが、ここに屋敷を構えられたとのことであった。これは先生のお母さんから教わったもので、ある秋の日に裏庭のため池と畑の掃除を頼まれた時に午後のお茶を頂ながら聞いた話である。

私はどう言う訳かこの屋敷のことが忘れらなくて、今でも度々夢に見る。屋敷の姿は既に変わっているだろうし、夢の中の景色も変わってはいるが、いずれにしても東京の夢をみるとこの荻窪の姿が現れる。先年、東京へ出る機会があって、担当していた杉並区を歩いてみたが主として阿佐ヶ谷近辺だけで荻窪まで出かける時間がなかった。目が悪くなってしまった今となってはこの機会がまことに残念である。

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11-118皇帝ダリア

2016-11-14 18:14:06 | 季節の便り

風の谷通信No11-118

久しぶりに季節の便り。

庭の皇帝ダリアが一輪だけ咲きました。他にも花の蕾が沢山並んでいるのだけど、これ一輪だけが早々と咲いて朝日を受けています。

他の蕾が揃って咲いたら見事だろうなあ、といまから楽しみです。

困った。なんでこの画像が小さくならないのー?おかげでほかの蕾がみんな画面からはみ出してしまったよ。

       

    一日措いていじくり回していたら何か知らないけど小さくなった。訳がわからん。

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11-032花の季節

2016-03-24 18:05:15 | 季節の便り

風の谷通信No.11-032

花の季節です。梅が散ったと思う間に畑と川の土手で菜の花が咲いて、水仙が満開になって、庭に馬酔木やレンギョウが咲き、続いてコブシが膨らみ、ふと気が付くとボケが開いています。更には畑でソラマメの薄紫が満開になりました。そして桜の開花宣言ですね。「もうすぐ春ですね 恋をしてみませんか」。今でも懐かしい歌声がユーチューブから流れます。ベルギーからまたテロの報せが駆けめぐる中で、春先のホット一息です。

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10-108たった二日の不在でも

2015-09-17 18:30:22 | 季節の便り

風の谷通信No.10-108

たった二日間、日常を離れて不在にしただけで、仙人みたいに事情不通になってしまいました。

想像してみて下さい。15日正午前に家を出て加古川経由で京都へ向かいました。遅い昼飯を京都で食べて、本願寺経由で歩いて五条近くの旅館に入りました。これがタイムスリップしたような、古民家活用の安価な宿泊施設でした。一旦外出して人に会い、帰って近くの銭湯へ入り、飯屋で懐かしい品書きの夜食を食って旅館の部屋に入りました。この間、朝からテレビを観ず、ラジオも聴いてはいません。

続いて:16日早朝に旅館を出て五条へ歩く途中で喫茶店でコーヒーとクロワッサンを食べて北大路へ向いました。北大路へ着くと約束の時間に早すぎるので賀茂川(鴨川の上流)の土手を少し歩いてから、雨が降り始めたので喫茶店を探して歩きまわり、またコーヒーとパンを食べて駅に戻りました。他人様が読んでもなんの興味を湧きませんね。

11時過ぎに約束の人と落ち合って11時半に出迎えのクルマに乗って、京都の・・・それこそ洛北郊外の山の中とでも呼びそうな町「鷹峰」へと向いました。人家を過ぎて急坂を登り降りして沢の奥のお寺の手前にある「山荘」に着きました。・・・まるで仙境です。飛び石伝いに下って登って山荘の部屋に入ります。

そこで薄暗い緑に囲まれて、足元の谷川に落ちる小さな滝の音を聴きながら、倍音声明やゆらぎ整体や呼吸法の訓練を受けました。昼食は玄米オニギリと京菜のお漬物。これがおいしいんですよ。お茶もおいしかった。特別なハーブ調製のお茶です。

15時過ぎ、夏の終わりの街着のままで山に入ったので体が冷えてきました。その頃に訓練を終って、街までクルマで送って頂きまして、16時半に乗車、19時半にムラの駅に帰着いたしました。

さてこの間、やはりラジオもテレビも無縁でした。ラジオくらいは持っていてもよかったのですがね。そして、真っ暗な中を帰着すると生育中のキャベツの苗の世話や玄関のドアの鍵のチェックや台所や冷蔵庫の確認や・・・とまるで長い不在から帰ったような忙しさ。放置しておいた野菜の煮物は腐って臭っているしお茶のポットは空っぽだし、テレビをつけると「あれ?」。大相撲の白鳳の名前がない。???オヤオヤ。玄関へ戻って新聞を取り込んで眺めるとオヤオヤ休場ですか。まるっきり知らなかったよ。国会は参議院の委員会が揉めている。やはり国会周辺のデモ隊が叫んでいる。警備の警官隊のバスによる道路封鎖がいかめしくて、先進民主主義国の姿とは思えない。後進国の軍隊による強権独裁国のような姿です。国会にしろ辺野古にしろ、どうして市民と警察隊が衝突するんですかねえ。(特に辺野古の警官隊なんて沖縄県警ということは翁長知事の指揮下にあるんじゃないんですか。その警官隊が翁長知事の与党である県民と対峙し、あろうことか警察暴力まで使うというのだから傍目にはオカシイですね。)

(話しを戻して)長い長い不在から帰ったみたいでした。たった二日ですよ。しかし、テレビもラジオも新聞も観ず聞かずで過ごすと、こんなことになるんです。皆さん、想像できましたでしょうか。少しは面白いですか。

 

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10-089入院してました

2015-07-27 02:25:32 | 季節の便り

風の谷通信No.10-089

自分のための記録 入院していました。

手術を受けました。病名:左網膜前膜 手術名:硝子体茎顕微鏡下離断術。イヤイヤ、大変な手術です。この眼球一つの手術が大事(おおごと)でした。入院の手続きから始まって、手術の朝から多数のスタッフによる何重ものチェックがあって、病棟と手術室の担当の区分があって、執刀医の傍に数人の看護師や技師が付き添っています=目を塞がれていて手術室内の状況は見えません。昔の外科手術とは気配が大違いです。

手術は約1時間で終わり、前回(右眼)に比べてなんだか簡単に済んだ感じ。

 

あとは回復を待つだけの安静のみ。寝転がって新聞を読んだりテレビを観たり。ちょうど大暑と土用の丑に当たり、テレビの話題はどのチャネルもそんな与太話ばかり。世間は大雨が上がっていわゆる『梅雨明け十日』の時期にあたり、一番酷い季節を病室でエアコンに守られて下界を眺めながら過ごしたことになります。だけど九州・奄美・沖縄では台風・大雨が続いています。土砂崩れや河川氾濫が起きてお気の毒な事態です。

 

安楽に済んだのもわずかな期間。術後わずか3日で「もう大丈夫だ、退院しなさい」との宣告。ちょうど土曜日だし、一日延ばすと日曜日に引っかかるせいか、土曜日退院がもう既定の事実のような処理。眼帯をして覚束ない足許で、バスと電車を乗り継いで帰宅。

 

これだけの手術を受けて、医療費が総額約52万円余。それに対して高齢者向けや低所得者向けの補助があって、個人負担額は押しなべて¥44400.- 有り難いことです。この医療制度を潰そうとするTPPを進めているのはなぜかな?と思ってしまう。高額補助へのお礼としてささやかながら「個室」を利用します。差額負担が一日約¥9000.- これも有り難いことです。

退院するなり世間の酷暑に晒されます。帰宅すると知人に預けておいた苗が暑さにヘナヘナトと弱っています。3日間水遣りしてくれたのでお陰で助かりました。あと何日かで定植しなければならないのですが、この体調で畑仕事ができるかな???おおいに疑問です。

退院するなり、即現実に引き戻されました。とにかくクルマを運転できないので不便で仕方がない。朝の喫茶店ゆきは県道を日傘を差してボチボチ歩きで2キロの道のりを約30分間。30分間で歩けばほぼ平均的大人の平均的速度、しかも片目なのでごく上等なものです。しかし食品店は2キロ先に1軒と方角違いの8キロ先に1軒。この買い物にはさっぱり動きが取れません。野菜は手許にあるけど・・・、困ったものでいわゆる「買い物弱者」の苦衷を先行体験している感じです。視力が安定するまで何週間かかかるので、それまで手術の結果を自覚できないし、メガネの更新もできません。不便不便。脳の出先機関である視力を失うと、脳の機能がそれだけ下がったことになるので、不便不便。

 

 

 

 

 

 

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