うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

ねじまき鳥とペン デジタル

2018年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」の魅力のひとつは、主人公とその周辺のきわめて緻密な描写だ。

主人公僕(岡田亨)は、春に法律事務所を辞め、終日家にいながら妻の帰りを待つ。主夫として買い物に行ったり、夕食の支度をするが、今まで気がつかなかった妻の食事の好みや、例えば青いティッシュペーパー(さいきんは見ないけど)が嫌いなことなどに初めて気がつき、人はほかの人のことをどの程度まで理解しうるのか、考え込んだりする。

妻に言われて、1週間ほど前から戻らなくなっていた猫を探すために、家の裏側にある路地を歩く。人の通らない路地からは、家々の生活の様子がありありと浮かんでくる。打ち捨てられた犬小屋や、子供の遊び用具、窓越しに見えるリビングルームなど。。夜中に路地を通れば、シャワーの音やテレビの音が聞こえてきたり、何かを揚げる匂いが漂ってきたりする。都会というか、戸建ての家が並ぶ住宅密集地というのは、たしかにこんな風景が広がっているものだ。

主人公もたぶん仕事をしていたころは、家の近くの様子など、心に留めることもなかったのだろう。路地も、歩くのはこれが初めてだ、と言っている。

仕事を辞めて家にいるようになると、そんなこまごまとしたことが目に入るようになってくるのだ。それは、僕もじっさいに経験している。

旧宅の裏側にも、路地ではないが塀で仕切られた境界があり、猫やほかの動物の通り道となっていた。今頃はちょうど、春に生まれた子猫たちが庭まで出てきて遊び始める。奥のほうでは母猫が待っている。

裏側の窓を開けると、その先に見えるのはやはり他の家の裏窓で、軒に洗濯物が干してあったり、出窓らしきところになぜか大きなボウリングのピンが置いてあったり、電話の音や、意味の聞き取れない話声、子供の泣き声、犬の声などが聞こえてくる。

土日などの休日に家にいるときとは、どこか空気が違う。もっと静かで、非妥協的といったらいいのか。。この感覚は、実際に体験した人にしか伝わらないかもしれない。

仕事のない日々、稼ぎはなくても、娑婆っ気は抜けないというか、毎日なんとなくITニュースとか、そういうのを眺めながら、この新製品はいいとか、こっちはどうだとか考えたりしていた。まだそのくらいの健全さ?みたいなのはあった。思い詰めても食事はけっこうのどを通っちゃう性格なのである。その辺図太いというか、自分でもあきれたりしているが。そのうち、本当に駄目になってくると、さすがに遊ぶ気がしなくなってくるが、それはまだもっと時間がたってからの話だ。

これもわからない人には通用しない感覚だが、それどころじゃない時に、物欲に駆り立てられるのは非常に背徳的な感覚(無駄遣い、意志薄弱、オタクっぽい)を伴う。だから余計悩む。悩みはするが、モルヒネ的に強力な(心の)鎮痛効果があることも事実だ。それはともかく。。

 

オリンパス初のミラーレスカメラ、E-P1が出たのはそんな時だった。

パナソニックと共同で開発したフォーサーズから発展して、今日ミラーレスといわれる初の規格、マイクロフォーサーズが発表されたのが前年のこと。パナソニックからはその年の秋にDMC-G1が、女流一眼の名のもとに発売されていた。オリンパスも同様の規格の製品を出すと発表していたが、発表は翌夏のボーナス時期になった。ネットで調べると、ちょうど今日、16日に発表されたようだ。

前年に、気に入っていたフィルムコンパクト、Conax T3を手放し、IXY Digitalを使っていた。IXYは比較的優秀だが(カメラ雑誌で詳細にレビューがされたこともあった)実用には良くても趣味性には物足りないところがある。T3は35mm, F2.8のレンズを備える。E-P1も17mm (換算34mm) F2.8のレンズキットがあるのでこれに近く、そこから興味がわいてきた。ちなみにこの時点で発表されたレンズはこの17mm F2.8(パンケーキと呼ばれた)と、14-42mm F3.5-5.6 の2本だけ。価格はパンケーキとのセットが約11万円、ズームレンズのセットが10万円、ほかにツインレンズキットもあった。

10万円というのはちょっとした値段だが、当時はまだデジタルカメラもそれほど値崩れしておらず、普及型の一眼レフで7万円ぐらいだったと思う。ので、新ジャンルの製品としては、それほど極端に高いものではなかった。

とはいえ、収入のない身には大金だ。前年に買ったパソコンで蓄えたポイントとか、商品券を使っても買うのは無理だ。

ただ、逆に言えばポイントと商品券プラスアルファでなら、何かほかのカメラが買えるかもしれない。

Penはいずれ仕事が決まってから考えることにして、手の届く高級コンパクト系を探し始めた。今でも多くの製品が覇を競うこの分野は、当時もCanon G10, ニコンP6000、リコーGR2またはGX200などが店頭に並んでいた。とりわけ興味を持ったのは、Panasonic LX3だった。マニア市場では地味なモデルだが、マルチアスペクト、当時は珍しかった24mm相当からのズーム、更にワイコンが使える点などが魅力的だった。E-P1を含め、これらの製品のネット上での評判を深夜までつぶさに眺めて、浮世のことをしばし忘れたり?していた。

このとき最終的に買うことにしたのは、リコーのGX200という機種だ。

真っ黒でよくわからないが、1年ちょっとしか家にいなかったこのカメラ、こんな写真しか残っていない。VF Kitすなわち外付けの液晶ファインダー(別売もされていた)が同梱されたモデルだ。これも24mmからの3倍ズームで、LX3よりはマニア筋からの評判が特に良かった。僕はどちらかというと天邪鬼なので、マニア受けするモデルよりはLX3のほうが良かったが、いかんせん店頭に在庫がない。リコーも少なかったが、最初考えていたVFなしのモデルではなく、VFつきをどうにか押さえることができた。

手に入ればうれしいもので、いつも連れ出していた。VFをつけると嵩張るのだが、これが入るようなポーチというかソフトケースを見つけて、つけっぱなしで収納していた。

今見返してみると、繊細でたしかに優れた描写だと思うが、反面ノイズが目立つ場面や、動き回る子供などの撮影は苦手で、オールマイティとは言いかねた。結局1年後には、E-PL1(E-P1が欲しかったのだがまたしても品薄な時期に直面し、最新の廉価版を買った)の下取りとして手放した。

E-PL1はE-P1をカジュアルにしたデザインで、機能や操作系が簡略化されていたが、性能は後発な分E-P1より多少良かったようだ。シャッターやボタンの質感などが猛烈に安っぽくて閉口したが、不思議なもので使っていて楽しかった。この時点ではマイクロフォーサーズ(以下MFT)を主力にするつもりはなくて、レンズも増やさないつもりだったが、結局こればかり使うことになる。ニコンは重く、後発の軽量なボディは既存のレンズ使用に制限が出る。MFTはまだちょっと(電車など動体撮影とか)不安な面もあったが、Lumix G3を買うころには実務上問題なくなっていた。

ただ、最初のペン デジタルへの思いは断ちがたく、新型が出た後に、E-P1のデザインを受け継いだE-P3を入手した。

この後さらに、鉄道撮影用にLumix G6も買ったので、一時期MFTのボディを4台も持っていた。そのころにはE-PL1はほぼ使っていなかったけど。

E-P3はGX200と少し似ていて、使うシーンを選ぶ。出かけるとき、意識して持っていくこともあったが、今ではPentax KPのほうが便利だし、これだけでたいていの用は足りる。

しかし、このボディには(本当はE-P1だけど)思い入れが強く、手放す気にはなれない。今でもあの頃のこと、宮崎あおいさんを使った宣伝とか、雑誌の特集などを見ると、どこか心ときめくものを感じる。そういえば、あの頃手こずったGX200も、今思うと懐かしく感じられて、中古で手元に置いてみたい気も湧き上がってくる。

現行のPEN-Fが出たときもちょっと惹かれたし、昨年買ったpentax KPもいい感じ(KPにはフィルム時代のPentax MZ3の面影を感じた-これも強く惹かれたモデル)だと思ったが、ペン デジタルが出たときの印象には及ばない。それは製品そのものの魅力や市場へのインパクトもさることながら、自分がそういう「モノ」に思い入れることができる環境に(良くも悪くも)あったことの影響が強い。

もしかしたら、これからはもうあの頃のように、なにかに夢中になることはできないのかもしれない。たとえどんなに素敵な、世間を驚かす何かが登場しても、自分と関連付けることができなければ、悩んだりすることもない。高級乗用車、豪華マンション(というより、今や郊外の手ごろな家なんかもそう)などはもうこの人生とは関係ない。できる男の仕事術とか、世紀の大恋愛とかも無縁だ。まあ、人生が180度変わってしまうようなことが、このさき全く起きないとは限らないかもしれないが、そんなことはその時に考えればいい。

というか、あの頃の濃密な思いというのは、ある種背徳的な物欲への思いを通じて、いずれ「社会復帰」したときの健全な幻影?を思い描いていたといえるのかもしれない。そういう、曲がりなりにも前向きな思いを、これからも抱き続けられるかというと。。

 


冒頭のねじまき鳥に話をちょっと戻すと、笠原メイさんは先月、50歳の誕生日を迎えているはずですね。あれからどうしているのか。。どこかで美容院でも経営して、忙しく働いているのかもしれません。ねじまき鳥さんが住んでいた街も変わって、小田急線は地下にもぐってるのかもしれないし、クリーニング屋も工場取次ぎになっているのでしょうね。

時代は流れていくものです。

 

 

コメント
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