うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

関心をひいたあれこれ

2012年06月03日 | ビジネス

まとまりもなくだらだらと書きます。

日経新聞のコラムで作家の久間十義さんが、韓流ドラマの事を書いている。

そんな私が韓ドラの肝を一言で述べるとすれば、これはもう「大義名分」に尽きる。李朝物ドラマを見れば明らかだが、登場人物たちは自己の奉ずる「大義」を 押し立て、激烈な政治闘争に身を投じる。勝てば全て、負ければゼロ。自己の世界観・価値観の一切を賭けて人は権謀術数をめぐらす。

(中略)事ほど左様に韓ドラでは恋愛も「大義名分」でする、というのが私の見立てだ。要するに登場人物の行動を律しているのは、自らが正しいと信じ、それを他人にも認めさせようという強度の思い込み(世界解釈)なのだ。  翻って日本はどうか? 昔はともかく今の日本のドラマが韓ドラとは別様のドラマツルギーで成り立っているのは、大義名分がないからである。1980年代末バブルを境に目標を達成し、それを失った私たちは、自らを正当化するための理論武装を必要としない社会に住んでいる。

僕は生憎韓流ドラマには関心がなかったのだが、そういうことであればちょっと見てみようかな、と興味が湧いてくるな。

共通の大きな目標がないというのは、かなり不幸なことなのかもしれない。しかし別に万民共通の目標はなくても、かつては日本でも群雄割拠の時代もあったわけだし、そもそも、僕らより上の世代はもう少し大義というか、理念のようなものに重きを置いていた気がする。

スティーブ・ジョブズの本だったか何かの記事だったか忘れたが、彼がさいきんの若者について、「人生の目標のようなことについて、僕らの世代ほど関心がない」と苦言を呈していたことを思い出した。僕などにしても、やはり色々なことを考えないで、あるいは考えることはかっこうわるいというムードの中で生きてきたので、若者に苦言を呈することすらできない。

話は飛ぶが、先日エル・ムンドというテレビで、ゲストの方が今の日本について、こんな事を語っていた。
「(レギュラーの山田五郎さんが)もしチョコレートが大好きだったとして、世界一おいしいチョコレートが目の前にあるとします。しかし山田さんは今トイレに行きたくて、チョコレートのおいしさを味わうどころではない。そんなときに、それじゃあ、もっとおいしいチョコレートを持ってきてあげようかとする、という状態なのではないかと思う」 

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