うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

同僚たち

2011年10月28日 | ビジネス

先日村上春樹のUnderground(英語版)を買って、今少しずつ読んでいる。
この本、今まで何となく読むのを避けていた。文庫版だとなんだか活字が小さくて分量もやたらと多い感じだし、それに正直に言えば僕は村上ほどこの事件に興味を感じていないと言うこともある(ただ、16年を経た今、事件のことが人々の話題にほとんどのぼらなくなっている事には、ちょっとびっくりする)。書店に行ったら1Q84の英語版が発売になったと言うことで、他の作品と共に目立つところに置かれていたのを偶々手にして、ちょっと買ってみるか、という気になった。英語版だというところが少しひねくれている。

その頃のことを思い出してみた。
事件のあった95年3月、僕は転職をした。前の職場へは、霞ヶ関駅を使って通っていた。いつも駅に着くのはもう少し遅い時間(8時半過ぎ)だったので、直接事件に巻き込まれることはなかったかもしれないが、もし前と同じ職場に通っていたら、どこかで足止めを食っていたかもしれない。前の上司は事件の1年ほど前に退職していたが、やはり霞ヶ関を利用して通勤しており、しかも朝は早く来る人だった。事件の後しばらくして、前の同僚と話す機会があったとき、もしXXさんがまだ会社にいたら、ひょっとしたら事件に巻き込まれていたかもね、などと話をしたのを覚えている。

そんなことを思い出したら、事件を離れてその頃の同僚たちのことが次々と心に浮かんできた。

辞めてしばらくの間は、前の同僚たちとも頻繁に連絡を取っていたが、やはり時間がたつとだんだん疎遠になる。
 苦学して資格を取ったが、普段はまじめな顔をして今で言うところの親父ギャグを飛ばす上司、おもいきりお嬢さんのMさん、ちょっと気性が激しくて苦手だったPくん、やけにウマが合ったYさんとは、しばらく連絡を取り合っていたし、メールのやりとりもあったのだが、いつからかメールが通じなくなってしまった。一緒にいた頃の職場で交わしたジョークとか、上司の話、他の部署の人たちの話など、会えば話が尽きなかった。

 face bookができてから、以前の同僚たちと再会を果たすことが多くなったが、この時代の同僚とは連絡が取れない(上司とだけは年賀状のやりとりがあるが)。

 僕はかなりいろいろな職場をわたり歩いていて、長年一緒にやってきた人や、今でもつながりのある人もそれなりにいる(ありがたいことだ)が、一時期とても密度の高い関係だったのに、離れてしまった人のほうがずっと多い。どこかでつながっていれば、その人たちと作り上げた何かを再確認することができるような気がするが、離れてしまうと、何も残らないような気がしてくる。

 一緒に暮らしていても、それが必ずしも同じ人生を共に歩むという意識につながるとは限らない。それはそうだが、次から次へと通り過ぎていく人生というのは、なかなかにつらいものだ。そういう生き方をしたいわけではないのに、なかなかうまくいかないものだ。せめて、今一緒にやってくれている人とは、協力し合って長くやっていきたいと思うのだが。

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