小松左京 角川書店
所版は1964年 今回は電子版(Kindle)2018年
小説版のほか映画も有名で、年末年始に配信で見ようと思っていたのだが、結局休み中には見られなかった。小説版は読了しているので、忘れないうちに。
ネタばれにならない範囲の大まかなあらすじで言うと、宇宙から持ち帰った微生物をもとに、軍事用に開発された猛毒ウィルスが事故により拡散、人類はもとより地球上の動物たちのほとんどが死に絶えてしまう。低温のため、ウィルスの活動が抑えられた南極にいた各国の観測隊員約1万人だけが、災厄を受けず生き残る。そこへ米ソ冷戦時代の遺物である核兵器システムが、この生き残った人類に再び脅威をもたらす・・。
小松左京氏初期のSF長編作品で、当時の東西冷戦や核兵器、細菌兵器開発競争の状況が色濃く反映されている。京都大学でイタリア文学を専攻した関西のインテリであった小松氏は、作品中および所版あとがきにかなり鋭い(難解な)現代社会批判を展開している。
ウィルスの毒性に関する記述(もちろんフィクションだが、説明が難しい)もまるで医学専門誌を読んでいるようで、エンターテイメント作品としては異例だ。
今日的な視点、特に同様のパンデミック*を経験している我々からすると、感染拡大の様子を描写したシーンについ興味が行ってしまう。
もちろんその描写もかなりページが割かれてはいるのだが、読後の印象としては、社会が崩壊していく描写自体はそれほど目立たない。もっとも、それは期待する読者の側にも問題があるのかもしれぬ。今の自分たちの視点で本作を読むのは、注意が必要だろう。
もちろんその描写もかなりページが割かれてはいるのだが、読後の印象としては、社会が崩壊していく描写自体はそれほど目立たない。もっとも、それは期待する読者の側にも問題があるのかもしれぬ。今の自分たちの視点で本作を読むのは、注意が必要だろう。
本書が提示しているのは人類の驕り、自分たちが今立っている場所が、幾多の偶然に支えられて偶々たどり着いた、脆いものに過ぎない、という事だ。核爆弾の投下プロセスにはいくつものフェイルセイフ対策が施されている。しかし、そのいずれもすり抜けてしまう可能性は、核爆弾が存在する限り決してゼロにはならない。本書のウィルス兵器も、偶然起きた飛行機事故により人類のほとんどを滅ぼしてしまった。それを引き起こしたのは、お互いを屈服させるために行われてきた兵器開発だ。
たしか「日本沈没」の方に言及があったかな?7万~7万5千年まえ、インドネシアの火山噴火により、地球上の生物が著しく減少し、人類も1万人を切るぐらいまで減少したという学説(トバ・カタストロフ理論)がある。これは噴火による寒冷化に伴うものだが、人類は(生き物全体も)それだけ脆いものだし、人知が取りうる対策には限りがある。人はえてしてお互いを非難し争うことに心が奪われがちだが、自分たちはほんのわずかな幸運のもとに、日々を暮らしているに過ぎないことにはなかなか目がいかない。
若書きの粗っぽさはあるが、小松左京さんという人はやはり類まれなる鋭い視点で現代を捉えていたのだな、ということを改めて感じた。
*同様とまでは言えない。小説では拡散が始まってから半年強で人類のほとんどが死滅してしまうのだから。ただ、クラスターで地下鉄の運行本数が減ったなどというニュースを見るとつい、ああ、小松左京の世界、などと考えてしまう。