毎年書いていますが9年前のこの日、電車が止まって動きの取れなくなった親と合流するため、東京丸の内から新宿まで歩き、更に親と一緒に渋谷区の親戚の家まで歩いて行った。
個人的な追悼のイベントとして、毎年その時に歩いた道筋を改めてたどるということを9年間続けている。ただし全行程は長すぎるので、新宿までと、親戚の家までの二つのルートを時々入れ替えている。今回は新宿までのコースだ。
今回は大きな変化がある。
職場が変わり、出発点にまず電車で行かないといけないのだ。
それから例のウィルス騒ぎ。各地の追悼式典も縮小、中止が相次いでいるらしい。こちらは一人イベントなので、その点は問題ないが。。
写真、丸ビル1Fのホールだが、いつもやっているホワイトデーのお菓子売り場がない。バレンタインはやっていたが、ここひと月の情勢を反映しているようだ。
ここでコンビナートが火を噴いているニュース映像を見ていた。
スクリーンは大型のものに取り換えられている。
さっき、過去10年のこの時期の写真を見返してみたが、必ずしもこのイベントの写真を撮っていたわけでもないようだ。2015-16年はHDDが飛んでしまい、ある程度復元はしたが、消えている画像があることも思い出した。
こうして外を歩いていると、感染がどうのということは意識されない。
感覚的には、人々は先週よりは外に出るようになった気がする。
ここ数年は毎回思うのだが、記憶は少しずつ薄れつつある。
だからこそこうして歩いてみると、色々と刺激になる。
たとえば、あのときはまだガラケーだった。
地図アプリはなくて、オフィスで紙に印刷した地図を持参していた気がする。もっとも、人が多すぎて流れに逆らえないので、地図を見返すことはあまりなかったかもしれない。
電話は非常に通じにくかった。知人には、この頃ガラケーでも使えたミクシィの機能を使って連絡を取った。
首相官邸を望む。これも前書いたが、官邸脇の竹やぶが風に揺らぎ、下を流れている用水路?の水音に、とても癒されたことを覚えている。
ビックカメラは既に閉店。
あの日はまだベルビー赤坂だったかな・。
ここで明かりを消して止まっている電車を撮ったことがあるので、来るたびにこういうカットを撮ってしまう。JRは早々に運転を打ち切り、明かりを消した電車がここに止まっていたのだ。
運動不足かな、全行程約2時間だった。