ヘドバとダビデ
Google Play Musicを検索すると、洋楽なら大抵の曲が見つかるが、この曲はヒットしない。由紀さおりなどのカバーは出てくるけど。
ただ、しばらく前から、Google Play Musicで動画も検索できるようになり、そちらの方ではオリジナルの歌唱を聴くことができる。といってもYou Tubeのリンクなので、ダウンロードしたほかの曲と一緒に電車の中で聞くというわけにもいかない。
wikipediaではこの曲について、次のように紹介している。少し長い引用だが;
本作は、イスラエルでは「בואו נטייל(散歩に行こう)」のB面曲として発売された[2]。
東京国際歌謡音楽祭でグランプリに輝いたため急遽レコード会社が発売を決め、帰国直前の2人を引き止めほとんど意味を教えずに日本語の歌詞を覚えさせて1週間そこそこで日本語版をレコーディングした。B面にイスラエルで唄っているオリジナルのヘブライ語版を入れることを条件に、翌71年1月25日日本語版が発売された[3]。1971年4月19日にオリジナル・コンフィデンス誌(オリコン)総合チャートで第1位を獲得[4][5]、4週に亘って連続1位を獲得し、67万枚のヒットとなった[3]。当時、オリコンのチャートが始まってまだ3年余りの時期ながら、第1位を記録した5組目の洋楽アーティストになっている[4][5]。日本語による本作の売上は数十万部であると評価されている。販売された範囲は、日本人ではない歌手にとっては大きいとみなされた。また同時にイスラエルに対しても成功がもたらされた。本作は『イスラエルの声』の1971年の歌謡パレードにおいて第二の場所を得た。
なんか、構文は間違ってはいないけど、微妙に翻訳文学風なエキゾチシズムを感じさせる文章だな、これは。販売された範囲は?第二の場所を得た?
日本語版のアレンジではそうでもないが、ヘブライ語でオケを前に歌っている映像では、ストリングスがユダヤ風な?間奏を奏でていて、この曲が英米のポップスとは違うオリジンであることを思い出させる。
イスラエル国歌(希望)は、軍楽隊などが演奏するとわりとふつうに聞けてしまうが、イスラエル建国前に撮影された、市民が合唱しているフィルム(昔のNHK「映像の世紀」で見た)を聞くと、うまく言えないのだが半音弱ぐらい上ずっていて(音大の人かだれかに聞いてもらってください)、それがすごいユダヤ風というのか、とにかくひじょうに癖のある音楽に聞こえる。とにかく、あの地の人たちの音楽はキリスト教文化のそれとはまた違う魅力がある。。いつの日か、行ってみたいですね。パレスチナ。
話がそれたが、この曲はたぶん、リアルタイムで聞いていると思う(誰が歌っているかとかは知らなかった)。思い浮かぶのは父の運転する、油臭い車の助手席で、カーラジオから流れてくる曲、というイメージだ。本当にそうやって聞いたかどうか、そこまでは覚えてないけど。正月の夜の、人気のない商店街とか、埃っぽい街道、「トモエのそろばん」という看板のついたビルとか、そういうシーンも一緒に浮かんでくる。。
ナオミという名前は旧約聖書にも登場する欧米ではポピュラーな名前、とあるが、日本でも渡辺直美さんとか、女性名としてはよく見かけますよね。
小さいころとなりに住んでいた姉妹の、下の子が直美ちゃんといった。お姉さんは僕より一つ上、直ちゃんは一つ下だったと思う。いま思うと、小さいころは年上の子に遊んでもらうのは好きだったが、年下の子とはあまり遊ぼうとしなかったようで、直ちゃんと遊んだ記憶もあまりない。おとなりの家は僕が小2のときの3月に引っ越してしまったが、中1の12月のとき、隣のおばさんが直ちゃんを連れて訪ねてきたことがあった。母と路地のところで立ち話をしていたが、遠目に見える直ちゃんが、はっとするほどきれいに思えた。。近くに行って話をしたかったが、母になんか用?と言われて、断念した・、ということをよく覚えている。。