うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

山桜

2014年03月23日 | 映画
そろそろ桜のたよりも聞こえてくる季節だ。などと思いながら、出がけに「時雨みち」を取り出して読んでみた。
読んだら、映画も見たくなった。

時雨みち (新潮文庫)時雨みち (新潮文庫)
価格:¥ 620(税込)
発売日:1984-05-29

僕は藤沢周平の、全く新しい読者で、この本を読んだのもほんの1年前のことだ。映画が、6年ほど前に公開されたことも、当時は知らなかった。

僕などよりずっと、思い入れの強い人も多いだろうし、ウェブをちょっと探しただけでも、この作品について触れられた記事がたくさん見つかる。今更僕が書くのも気が引けるが、この小説、そしてそれを見事に映像化した映画も、とても好きなんだよね。でも、うっかり電車の中で読んでいると、思わず泣けてきて、恥ずかしい思いをするときがある。

小説の「山桜」は、文庫本では20ページ少々の短い作品だ。簡潔な文体の中に、見事な世界が描かれている。映画はこれを1時間45分にひろげて構成している。往々にして、原作の雰囲気が損なわれたり、タイトルだけ借りて中身が全く違う作品になってしまいがちなパターンだが、本作品は原作の雰囲気が全く損なわれていない。監督、制作陣の、原作に対する愛着を感じさせる。

山桜 [DVD]山桜 [DVD]
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2008-12-24

改めて見直すと、檀ふみ(主人公野江の母)がとてもいい。世間の厳しさに晒され、傷つく娘をいたわりながら、少し離れたところで静かに微笑み見守っている。最近のドラマや映画だと、年輩の役の人が若作りしすぎて、どっちが親なのか子なのかわからないようなケースがおおい、というよりほとんどがそうだが、檀ふみは、いい感じに年輪を重ねた女性という感じがでている。

原作では母はそこまで細かい描写はされていない。役者が作品に入り込みとけ込むことで、命が吹き込まれたのだろう。

野江が持ってきて、床の間に活けていた桜が、次第に散ってきたのを、花びらを拾いながら、心配そうな面もちで(娘を思い)たたずむ姿など、うまい演出だなあと思う。桜は葉を出しているのだが、まだ活け続けてあるのだ。

同様に、野江の夫、磯村庄左衛門(千葉哲也)も、役者によってその姿を明らかにされている。甘やかされて育ち、嫁に対して強いコンプレックスを抱いている、ちょっと情けない男ぶりがよくでている。彼がいてこそ、野江の婚家での苦労がはっきりしてくるのである。「諏訪様」に取り入る時の、如才のなさもいい。感情が高ぶって、庭で真剣を振り回してしまう、という演出もよくできてる。

手塚弥一郎(東山紀之)もいい。ちょっと格好良すぎる嫌いもあるが、映画なのだから、華がなければいけないし。諏訪氏を城中で斬るという、強い行為にでた理由もよくわかるように演出されている。

野江(田中麗奈)は気の強さと、しつけの良さがよく出ている。表情の出し方がとても上手で、黙って物思いしているときにも、存在感がある。伏し目がちにしたときや、辛い仕打ちを受けたときの表情、とても説得力がある。夫をとがめるときの目つきも実にいい。

母と、叔母の墓参りに言った帰り、いかず後家だと思っていた叔母には、祝言の日取りまで決まっていた人がいたが、直前に病死したのだ、と聞かされる。

小説で野絵は、それを聞いて叔母が自分より不しあわせな人生だったと思っていたのは間違いではないか、と思うようになる。叔母には死なれて痛手を受けるような相手がいたが、自分はそうではない、と。

映画ではそれが、親子との会話表現される。野江は母に「房おばさまは、本当はお幸せだったのかもしれませんね。・・私とは、違うのですね。」というと、母は、「いいえ。あなたは、ほんの少し回り道をしているだけなんです。」と応じる。意をつかれた野絵はふと立ち止まり、ふと物思う表情になるが、やがてほんの少し口元をほころばせる。
檀、田中どちらも演技達者であったからこそ、成立したシーンだ。

こうしてみると、この映画は時間を潤沢に使って、小説の世界を丁寧に描き出そうとしているようだ。演技や演出がしっかりしていなければ、観る人はあきてしまう恐れがあるし、制作者としてはあれこれ詰め込みたくもなるのかもしれないが、難しい手法を見事に成功させたと思う。

最後に、文庫版巻末の、文芸評論家岡庭氏が書いた解説について。岡庭氏は藤沢周平の描く人物の魅力について、「現実世界への”断念”、現実には期待せず、その上にたって、かえって果敢に難題の克服、正義の実行への努力、そしてそれらの行為の果てに垣間見られる夢と感傷」という表現をされている。

決して大声で抗議したりしないが、かといって虚無におそわれたりニヒルになるのではなく、いくら小声であれ呟き続けること、これこそがこつこつと社会生活を積み上げてきた藤沢周平の、現実体験の要約なのだ、と。

我々が時代小説に感じる魅力とは、まさにそういうところなのだろう。動かしがたい体制のもとで生き続けながら、不満をぶちまけたり、悪し様に大声を上げたりはせず、かといって現実のすべてを受け入れるのではなく、どこかで筋は通したい。そういう感覚は、長く社会に身をおいていないとわからないものだ。ただ、あるいは女性の方が、早くから共感しやすい感覚であるかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする