図は左のほうが分かりにくくなっています。
図形または文字の隠されている部分が多いため、少ない情報から元の姿を推測しなければならないからです。
文字の場合、単語をよく見慣れていれば、形についての記憶がしっかりしているので、照合できる部分が少なくても分かります。
文字を読みなれてない人は、文字の形についての記憶がぼんやりしているので、部分的な手がかりからの推測は難しくなります。
しかし、推測能力は単純に記憶の問題化といえばそれだけではありません。
記憶イメージとの比較の仕方が悪ければうまく推測できませんし、こうした問題に対する慣れの問題もあります。
文字を一つ一つ見ていくようなやり方だと、部分的な情報だけから判断しがちになるので、なかなか全体がつかめません。
単語を全体的に見ている癖がついていれば、全体的な形の構造がつかめるので判断しやすくなります。
文字を読む場合に一文字づつ読む癖がついていると、一文字づつ確かめようとするので、どうしても文字の確認は難しくなります。
単語ごとに読む習慣がついていれば個々の文字が読み取りにくくても、全体のイメージから判断して不明瞭な部分を補うことができます。
文字を読む場合、普通は眼の中心窩に映る部分だけで読んで、ぼやけて見える周辺視野の文字を読んでいません。
周辺視野にある文字をもある程度読めるようになっていれば、少しぼやけた文字でも判読する習慣があるので、このような文字でも判読できます。
また文字を読むスピードがある程度早い場合は、細かい部分を照合しなくても判断する習慣があるのでうまく判読できます。
文字を読みなれている人のほうが、一般的にスピードが優っていますし、一目で見る文字数も多く、周辺視が聞くのでこのような隠された部分の多い文字を読み取る能力があります。
イギリスのクリストファーという人物は、一般的知能は標準以下であるのに、言語能力という点での異能者で、16カ国まで習得したといいます。
この人物は文字に対する感覚は発達しているので、普通の人よりもぼやけた文字を判読できたけれども、ものの形になると判断力が著しく劣っていたそうです。
単語についての能力が普通の人よりも高くなっていたので、文字の多くの部分を隠したものを見ても判読する能力があったのです。
部分的な情報から全体を判断する能力が、読解力の指標となっているのです。
ただし、ものの形の判断力が劣っていると言うように、他の能力が欠けていると単なる文字面だけの理解力だけになります。
文字の形に対する感受性だけでは、文章の理解力をも保障するものではないようです。。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます