「件」は音読みでは「ケン」、訓読みでは「くだん」ですが、文字の形が「人」と「牛」でできているので、なぜこのよう漢字が作られたか不思議に思われます。
「件」という字は「ものや事柄をかぞえることば」で、訓読みの「くだん」は文書などでは「前述した事柄」の意味です。
それではなぜ「人」と「牛」と書くのかというと、漢和辞典を引くと「物の代表としての牛と、牛を引く人」などとあってなんだか要領を得ません。
そのせいかどうか、「くだん」は「顔が人間で体が牛の化け物で、人語を解し流行病や戦争など重要なことを予言し、いうことが常に当たっている」ので、「よって件の如し」という風に使われる。
というような説が九州や中国地方で広まっていたそうです。
「くだん」という言葉自体はこのような説が現れるより数百年前からありますから、この説は後から考えられたもので、漢字遊びの一種でしょう。
「人」と「牛」から、人面獣身(人面牛身)と考えてしまうところがユニークな解釈で、普通なら顔が牛で体が人と考えそうなものです。
顔が牛で体が人だと、地獄の獄卒で牛頭、馬頭というのが昔からあるため、それとは違うということで体が牛で、顔が人という怪物を考え付いたのかもしれません。
この漢字そのものは中国で生まれたものですから、中国でそのような怪物が考えられていたかというとそういうことはありません。
そのうえ「くだん」は訓読みですから、人面牛身というのは、日本で創作した落語的字源解釈のようですが、案外まじめに受け取る人もいるようですから面白いものです。
人と動物を組み合わせた漢字というのは「件」だけではなく、漢和辞典で調べれば「伏、佯、偽、像、、他」などがあります。
これらを「件」の「人面獣身」式で解釈すれば、「伏」の場合は体が犬で顔が人といくところですが、里美八犬伝の伏姫は犬の精を受けて八犬士を生むというので別として、「佯」は「いつわる」という名前の体が羊で、顔が人間のうそばかりいう怪物だということになります。
「偽」は旧字体が「僞」で「爲」は鼻の長い「象」の象形文字だということですから、これも体が象で顔が人の、うそばかり言う怪物だということになります。
ところが「人」と「象」でできた「像」はどうなるかというと、これは「姿かたち」とか「形が似ている」という意味です。
「像人」といったからといって象のような人間という意味ではなく、「人に似ている」という意味です。
「」は体が虎で顔が人ではなく、またタイガーマスクでもなく、「チ」と読むときはどういうわけか「車輪」の意味で、「コ」と読むときは「虎」の意味です。
「他」は「也」が「蛇あるいはさそり」で「人」+「蛇」というかたちですが、これも蛇人間の意味ではなく「ほか」という意味です。
ようするに「人」と「動物」を組み合わせた漢字で、人と動物を肉体的に合体させた意味を表そうという発想は中国漢字にはないようです。
「くだん」のような字源解釈は事実ではないのですが、それではこのような解釈が絶対だめなのかというと、そうとばかりはいえません。
このような説明であれば、荒唐無稽ではあっても印象には残りますから、「件」が「くだん」とも読み、人偏に牛と書くということは強く記憶されます。
「羊と為(ぞう)は「うそつき」だと覚えるとすぐに覚えて忘れにくいでしょう。
漢字の字源解釈というのは多分に思いつきのようなものが多く、場当たり的で一貫性がないのですが、記憶補助ぐらいに考えればよいのかもしれません。
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