猿真似といえば独創性がないということで、否定的なイメージがありますが、実際には猿は人間に比べれば真似をすることが少ないことがわかってきています。
最近ではむしろ、猿に見られる真似は本当の真似でなく、人間だけが本当の真似ができるのだという説のほうが有力になっています。
学ぶという言葉は「マネブ」からきているので、学ぶの基本はまねることにあるという説が昔からありますが、これは日本語の上のことでどこの国でもそういえるわけではありません。
漢字で「模(倣)」は真似る意味ですが、「学」という意味はなく、「学」にも「模」という意味がありません。
また英語で「真似」といえばcopyとかimitateですが、これらは「学ぶ」という意味につながっているわけではありません。
「学ぶ」はlearnとかstudyでcopyやimitateが語源になっているわけではありません。
「真似」を重視するのは日本の文化的特徴なのかもしれません。
上の図はチンパンジーと人間の二歳の幼児の模倣を直接比較した実験です。
手の届かないところにある食べ物をひきよせて見せてから、同じことをそれぞれにさせましたが、チンパンジーも赤ん坊も引き寄せには成功しています。。
実験者は食べ物を引き寄せる直前に、食べ物を引き寄せやすくするため熊手を半回転するのですが、チンパンジーはこの部分を真似しなかったそうです。
人間の幼児は食べ物を引き寄せるという目的を真似しただけでなく、熊手を半回転させるという方法をも真似るという、完全模倣をしています。
チンパンジーは目的(食べ物)と手段(熊手)を理解するが、自己流の方法で解決しようとして半回転させるという方法を真似しようとしなかったと解釈されます。
つまりチンパンジーは完全模倣ができないで、人間に比べると模倣能力が劣るとされています。
この実験から直ちにチンパンジーと人間の違いを結論付けるのは性急な感じはします。
人間にだって不注意な人もいて、途中で熊手を半回転せずに引き寄せようとする人もいるでしょう。
目的は食べるものを引き寄せることなので、熊手を半回転させなくても目的は達成できますが、熊手を半回転させたほうが引き寄せやすいということは直ちに理解できます。
しかし二歳の幼児が途中で熊手を半回転させたのは、方法を見てこの方が理にかなっていると考えたからではないと思われます。
半回転させないと引き寄せにくい例を見せていないので、幼児は意味が分からないまま半回転するという方法を真似しているものと思われます。
つまり、人間ははっきりした根拠がなくても真似をする傾向があるのだなということがわかるのです。
人間が言葉を使えるようになった原因の一つとして模倣能力が注目されるようになり、それにともなって模倣が価値あるものとされたので、こういう実験もなんとなく人間とチンパンジーの差を見せ付けるために設計されたようなニオイもします。
お手本がベストでなければ、完全な模倣が良いのだとは必ずしもいえないのです。
ただなんとなく真似をするということが言語を生み出す要因の一つであったとするなら真似というのも積極的な評価に値するといえるのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます