60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

分からないで言葉を覚える能力

2007-08-21 22:53:47 | 言葉と意味

 道具を使ってえさを引き寄せるといったことはサルでもすぐ真似をします。
 サル真似といえば、自分で工夫をしないで真似をして目的を達成するという意味で卑しめられますが、実際はサルは同じ道具を使っても自己流の使い方ですから、本当の真似ではないといわれたりもします。
 これに対し人間は方法もそっくり真似ようとして、どうかするとすぐに目的が達成されない場合もあります。
 サルが真似をするのははえさを手に入れるとか、気持ちがいいとか何らかの目的と結びついたときですが、人間はこれといった目的がなくても真似をします。
 なぜ真似をするかといった理由付けができなくても、つまり意味が分からなくても真似ができるのです。

 普通の人が覚える言葉の数は4万以上といわれていますが、これほどの数の言葉を覚えるのは大変なことです。
 なぜそれほどの言葉を覚えられるかというと、脳が発達しているからですが、意味が分からないままに人の言葉を真似る能力を持っているからです。
 日本には文字がなかったので漢字を取り入れた際に、たくさんの漢語を受け入れてきていて、中には完全に日本語化して気がつかないものもあります(たとえば、菊、梅、馬、気、絵など)。
 漢語を受け入れてきているといっても、意味が分からないまま使っているというものも結構あります。 
 たとえば卓袱(しっぽく)はテーブルクロスのことですが、卓袱料理といえばやや高級なイメージで卓袱台となればごく当たり前の低い食卓のことでいずれも卓袱の意味など知らないで遣っている人が多いようです。
 よく病コウモウに入るなどといいますが、コウモウというのはコウコウの間違いだなどと説明されてもソノコウコウの意味など頓着しません。
 知らなくても口真似で言葉を覚えてしまっているのです。

 かつては英語などのヨーロッパ語が入ってきた場合、いちいち漢字によって訳語を作っていたのですが、現在はストレートに英語などの単語を受け入れるようになっています。
 日本人は外国語を取り入れるのに抵抗が少なく、意味が分からないでも受け入れる能力があるのでいわゆるカタカナ語が急増しています。
 新しいことばが入ってくる場合はまだ良いのですが、最近は訳語があって、訳語のほうが分りやすいのにカタカナ語にする例があります。
 
 たとえばガバナビリティなどという言葉がどういうわけか使われ、しかもご丁寧に反対の意味に使われたりしています。
 辞書ではガバナビリティとは「統治されやすさ」ということで日本人はガバナビリティが高いなどといわれたら、大変屈辱的です。
 どうやら統治されるという意味でなく、統治能力と誤解して、政府のガバナビリティなどというような使われ方をしていますが、いったいなぜこんな言葉を使い出したのか不審です。
 
 コンプライアンスという言葉を使うのもいやみな感じで、辞書ではcompliance with the lawといえば法令遵守のことですが、コンプライアンスだけでは従順とか追従つまりおべっかのことでイヤなことばです(ついでに和英辞典で「お世辞」をひくと、complimentというのがでてきます)。
 普通の人はガバナビリティとかコンプライアンスとかいわれてもぴんとこないまま受け入れているのですが、政治化とか役人がこういう言葉を多用すると、国民に従順になれとかいうことを聞かなければいけないと、コッソリ説得しようとしているように感じてしまいます。


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