図は文字の上に穴の開いた紙をかぶせた状態を示したものです。
穴が開いた部分だけが見えるのですから、文字の一部分が隠され、一部分が見えるといった状態です。
この状態で見ると、右の「あ」が一番判読しやすく、左の「礼」がこれにつぎ、まんなかの「禮」が一番判読しにくくなっています。
文字によって判読しにくい文字と判読しにくい文字とがあるわけですが、複雑な文字ほど判読しにくいようです。
穴が開いている部分だけしか見えない状態で文字を判読するということは、部分的な手がかりから全体を判断するということで、少ない手がかりから判断できる文字は楽に読める文字です。
少ない手がかりでは判断しにくい文字というのは、読み取りにくい文字で、読み取るのに多くの手がかりが必要です。
読み取るのに多くの手がかりが必要ということは、それだけ注意力が必要になり、エネルギーが費やされるので、読むのに疲れやすいということでもあります。
画数の多い漢字のほうが当然読みにくいわけですが、そうなると上の例のように新字体と旧字体とを比べれば、読取には信じたいが有利であることが明らかです。
現在ではさすがに、多くの印刷物では、新字体となっているのでよいのですが、戦前までは旧字体で、しかも複雑で難しい漢字が多く使われ、文章の中での漢字の割合も高かったため、読むのに多くのエネルギーを必要としました。
そのためか、メガネをかける割合が多く、日本人が識字率が高かったということもあるでしょうが、日本人といえば眼鏡をかけているように、欧米人からは見られるようになっていました。
以上は文字そのものから来るものですが、文字を読むがわの問題とすれば、少ない手がかりから文字を読み取る能力があれば見時を読み取るのに多大のエネルギーを必要とせず、楽に読めるということになります。
まずは文字が脳の中にはっきりと記憶されていることが前提となりますが、文字を見てすばやく記憶と照らし合わせる能力が必要です。
文字をすばやく読み取る練習をすると、文字を瞬間的に読み取ろうとするので、文字のすべての部分を確認しなくても、部分的な照合だけでも判読できるようになります。
逆説的ではありますが、文字を瞬間的にすばやく読み取れるようになれば、文字の読取が楽になり、眼が疲れないですむのです。