図のAのように、すい星、ら致、だ捕、う回、破たんなどといわゆる交ぜ書き表示をすると、何となく間延びがして読みずらい感じがします。
彗星、拉致、拿捕、迂回、破綻と漢字で表示したほうが読み取りやすいのですが、交ぜ書きにしたからといって意味が分からなくなると言うことではありません。
交ぜ書きしてある場合の、仮名書きの部分の漢字「彗、拉、拿、迂、綻」の意味は何かと問われて答えられる人はそう多くはないでしょう。
すい星は水星と紛らわしいとはいえ、水星なら交ぜ書きをしないので、彗星のことだと分ると思います。
彗星がほうき星だと知っていれば、彗という漢字はほうきの意味だと見当がつきますが、ほうきは普通なら箒と書くので彗だけを見ては分らないでしょう。
拿は「つかまえる」迂は「遠回りをする」、綻は「ほころびる」という意味なので、捕、回、破と似たような意味で、交ぜ書きされても漢字表記されている部分から単語全体の意味がだいたい分ります。
拉致の場合は拉がひらがな表記されると漢字部分の致だけが目に付くのですが、この致という文字からは、「無理やり連れて行く」というような意味にはつながりにくいです。
それでも、ら致で意味が分かるのは「ラチ」と読んでその音声イメージから「無理やり連れて行く」という意味の言葉と分るのです。
つまり拉致という漢字を知らなくても、耳からの知識で「ラチ」という言葉の意味を覚えているのです。
「ら致」という表記をするよりも、むしろ「ラチ」としたほうが読みやすいくらいで、交ぜ書きが読みにくいのは、意味が分からなくなるというよりも、交ぜ書きすることによって単語の外見の一体性が損なわれるためです。
Bの例は単語の一方の漢字を仮名でなく、音読みが同じ別の漢字に置き換えた例で、似たような意味となるため現在では置き換えた易しい漢字のほうが定着しています。
防禦の禦は「ふせぐ」で、御は普通は御者の例のようにコントロールの意味と受け取れれていますが、「ふせぐ」の意味にも使われます。
意嚮の「嚮」は「むかう」で「向」と同じような意味で、現在では意向のほうがほとんどつかわれ、こちらのほうしか知らない人のほうが多いでしょう。
慰藉の藉は「なぐさめる」で謝るということとは違うようですが、慰謝でも何となく近い意味なので慰謝が通用しています。
漢字の意味にこだわれば少し意味が違っても、易しい字で置き換えているのですが、厳密な意味にこだわらず使っていてそれが受け入れられているのです。
Cは漢字は易しい字なのですが、意味は分からないままに遣われていることが多い例です。
番茶は煎茶とか抹茶、焙じ茶と同じような用法に見えますが、番は「そまつ」という意味でお茶の加工法とは関係ありません。
番人という場合の「番」も順番ではなく「みはり」で、「番人」の意味は分かっていても。「番」の意味には注意を向けたことがない人が多いでしょう。
「立春」とか「立秋」という場合の「立」にしても、どういう意味かと改めて聞かれると「立つ」ではないのかなどと思ってしまいますが、「はじめ」の意味です。
こうした例は意外と多く、読破の「破」は「破る」ではなく「やりぬく」、警句の「警」は「警告」ではなく「すぐれた」で、よく注意すると漢字の個々の意味を考えないで単語を読み書きしていることが多いことが分ります。