建築士が絡む家というと ついつい外観から中身から
超奇抜な家という なんだかデザイン的な要素ばかり
クローズアップされそうだが現実は全く違う。
どちらかというと 当たり前だが建築の予算から
監理から施工業者との打ち合わせの細かいところまで
全くわからないクライアントに代わっての調整役というか
仲人的な要素が 建築士にはふんだんに求められる。
だからそこで生まれるのが どうしても金銭関係だけの
営利目的だけの関係だと無理がくる。
どこかに クライアントが出した案 或いは逆に建築士から
出された提案に対して「同感ですね!」という一種の
共通点がないと最後まで苦しい。
関係ないながらも 裏から見ていて こんな方達は我が家では
大成功の家造りには やや無理がありそうだ・・・・と思って
しまうタイプは共通点がある。
多分 いろんな設計事務所でいろんな建築士の考えがあると
思うが 案外合わないタイプの方達というのはマトモな
設計事務所ならば共通しているのではないかと思う。
それが悪いとか良いではなく 合わないという事だけだが・・・
「外から見えるところ。前面だけは総タイルで裏はモルタルでいいです」
確か昔 我が家で結局 ご縁とならなかった個人住宅の
クライアントの方の言葉・・・・
こういう家を自分のアクセサリー化しているような方は
結局 設計事務所に来る事自体 無駄足になってしまうような
気がする。
予算上 外観に希望のタイルが出来ないと知ったとき こう言われ
なんだか我が家では無理かなと感じた。
予想通り 残念ながらの結果となる。多分 誰が悪いという事でなく
「合わない」この一言だろうか。
玄関入って部屋はこの向きにあって キッチンカタログはこれで
というように 明確で詳細な意図が頭に描かれている方も
合わない・・・・こういう方達は絶対 自分が描いたイメージ
から出ようとはしないものである。だから そのイメージを
そっくりそのまま施工業者に持っていけばいいのである。
厄介なのは 建築士というのは全て素人のクライアントの
言う通りの図面を描き 確認申請やその他 施工業者との
諸々の面倒な事をやってくれるのだけが建築士だと
勘違いしている方達も多いという事だ。
大昔は建築士が絡む家はお金持ちの家か奇抜な家が好きな人と
相場は決まっていたようだが 今はクライアントのニーズは
もっともっと難しいと思う。より安い施工費で より偏狭な土地で
どうにか自分たちの暮らしにあった家を造りたい。
こんなクライアント達が多い。これは奇抜で高い家なら何でもOKの
クライアント達よりも建築士達にとっては難儀らしい。
でもだからこそ 同じように共鳴し合えるものがあると
素晴らしい仕事が出来るようだ。
何も建築士との家造りが全てでもない。自分なりに納得出来れば
どこでやろうともいいのではないかと思う。
ただ裏から見ていると 家ばかりか建築士すら自分の見栄の
中にいれて家造りをしている方達も見る。
勿体ないなとも思えるし 家って家族のいる暮らしって
そんなに外見だけのものなのかと不思議にも思える。
家には その家族が正直に映し出される。
なんだか鏡のようで面白いような怖いような・・複雑である。
超奇抜な家という なんだかデザイン的な要素ばかり
クローズアップされそうだが現実は全く違う。
どちらかというと 当たり前だが建築の予算から
監理から施工業者との打ち合わせの細かいところまで
全くわからないクライアントに代わっての調整役というか
仲人的な要素が 建築士にはふんだんに求められる。
だからそこで生まれるのが どうしても金銭関係だけの
営利目的だけの関係だと無理がくる。
どこかに クライアントが出した案 或いは逆に建築士から
出された提案に対して「同感ですね!」という一種の
共通点がないと最後まで苦しい。
関係ないながらも 裏から見ていて こんな方達は我が家では
大成功の家造りには やや無理がありそうだ・・・・と思って
しまうタイプは共通点がある。
多分 いろんな設計事務所でいろんな建築士の考えがあると
思うが 案外合わないタイプの方達というのはマトモな
設計事務所ならば共通しているのではないかと思う。
それが悪いとか良いではなく 合わないという事だけだが・・・
「外から見えるところ。前面だけは総タイルで裏はモルタルでいいです」
確か昔 我が家で結局 ご縁とならなかった個人住宅の
クライアントの方の言葉・・・・
こういう家を自分のアクセサリー化しているような方は
結局 設計事務所に来る事自体 無駄足になってしまうような
気がする。
予算上 外観に希望のタイルが出来ないと知ったとき こう言われ
なんだか我が家では無理かなと感じた。
予想通り 残念ながらの結果となる。多分 誰が悪いという事でなく
「合わない」この一言だろうか。
玄関入って部屋はこの向きにあって キッチンカタログはこれで
というように 明確で詳細な意図が頭に描かれている方も
合わない・・・・こういう方達は絶対 自分が描いたイメージ
から出ようとはしないものである。だから そのイメージを
そっくりそのまま施工業者に持っていけばいいのである。
厄介なのは 建築士というのは全て素人のクライアントの
言う通りの図面を描き 確認申請やその他 施工業者との
諸々の面倒な事をやってくれるのだけが建築士だと
勘違いしている方達も多いという事だ。
大昔は建築士が絡む家はお金持ちの家か奇抜な家が好きな人と
相場は決まっていたようだが 今はクライアントのニーズは
もっともっと難しいと思う。より安い施工費で より偏狭な土地で
どうにか自分たちの暮らしにあった家を造りたい。
こんなクライアント達が多い。これは奇抜で高い家なら何でもOKの
クライアント達よりも建築士達にとっては難儀らしい。
でもだからこそ 同じように共鳴し合えるものがあると
素晴らしい仕事が出来るようだ。
何も建築士との家造りが全てでもない。自分なりに納得出来れば
どこでやろうともいいのではないかと思う。
ただ裏から見ていると 家ばかりか建築士すら自分の見栄の
中にいれて家造りをしている方達も見る。
勿体ないなとも思えるし 家って家族のいる暮らしって
そんなに外見だけのものなのかと不思議にも思える。
家には その家族が正直に映し出される。
なんだか鏡のようで面白いような怖いような・・複雑である。
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