来てしまった~~我が生誕日・・・三日前に到来・・・
ああ、この世に生を受けてもう○○年目。
高校を卒業して○○年目!心の中だけは高校生なんだけど・・・
外見は立派な(?)おばさんだ!
大体 4月生まれはお得と騒がれる旬な時期は 生まれて数年。
学年のトップだから 当たり前だが発育はいいし やる事は
早いしと・・・・そんなものは大人になると反対になる。
なーんか同じ学年の中で一番早く年寄りになっているものだから
特に年頃は大きな損をしたような気がしてならない。
それに4月という月もいけない。季節柄 入学 卒業 入社と
慌ただしい事が多く 必ず皆が落ち着き ほどよく仲良くなった
友人から
「あれ?もう誕生日終わったの。あらあ~残念」
なんていう話になるのだから。それに加え4月早々 さっさと
同じ学年より年寄りになるもんだから 入社した時は
「あれ?もしや浪人さんでしたか?」
という変な誤解も受ける。別に年の一つや二つ この年になると
変らないけど お年頃の頃はねえ・・・・・
こんな誤解も 必死に4月生まれだから!なんて必死こいて
説明するはめになる。
坂道転げるようになんていう例えがあるが ある一時期から
月のたつのが年数のたつのが 一昨年よりも昨年の方が
昨年より今年の方が という案配に本当に転げ落ちるように
早く感じる。
おまけに子供といれば誰がどう見ても
「○○君ちの おばちゃん!」と言われ・・・・・
何でもこの「おばちゃん!」と言われるのが最高に抵抗を
感じる方達もいるようで
「名前で呼んで!おばちゃんじゃないよ!」
と子供にムキになっていう方達もいるようだが・・・・・
天地がひっくり返っても 年は戻れないんだよね~~
大体 小学生位の子供から見れば高校生のお姉さん以上は
23だろうが26だろうが30だろうが
「おばちゃん!」の部類なんだよね~~~
と、毎度 こういう方達と会うと意地悪くニマニマして
心で言ってしまうのだが・・・・
皮膚はたるみし ついでに腹もたるむしで 身体のあちこちは
硬いし 柔軟さもなくなるしで 子供のようにもう 喜々と
毎年の生誕日は喜べない。
それでも 頭の中と気持ちだけは 身体同様 カチンコチンに
固まらせないようにしないとな~~と言い聞かせる。
老いの悲しさって 外見よりやっぱり中身。
何でも興味を失って 新しい物を受け入れなくなったら
それが本当の老いの到来なのかもしれない。
まあ、それには現実も受け入れなくちゃねと・・・・
「おばちゃん!」と叫ばれたら そう叫ばれるだけの外見。
しゃかりきに違う!とならず 明るく
「おばちゃんだよ!」と答えられる自分でいたい。
いろいろ考えあるけれど そんな素直さも年輪の醜さと
比例して増えていったらいいのだけど・・・・
なかなか 難しい。
一つ年取っても 今日も自分は外見だけが老いていく・・・
ああ、この世に生を受けてもう○○年目。
高校を卒業して○○年目!心の中だけは高校生なんだけど・・・
外見は立派な(?)おばさんだ!
大体 4月生まれはお得と騒がれる旬な時期は 生まれて数年。
学年のトップだから 当たり前だが発育はいいし やる事は
早いしと・・・・そんなものは大人になると反対になる。
なーんか同じ学年の中で一番早く年寄りになっているものだから
特に年頃は大きな損をしたような気がしてならない。
それに4月という月もいけない。季節柄 入学 卒業 入社と
慌ただしい事が多く 必ず皆が落ち着き ほどよく仲良くなった
友人から
「あれ?もう誕生日終わったの。あらあ~残念」
なんていう話になるのだから。それに加え4月早々 さっさと
同じ学年より年寄りになるもんだから 入社した時は
「あれ?もしや浪人さんでしたか?」
という変な誤解も受ける。別に年の一つや二つ この年になると
変らないけど お年頃の頃はねえ・・・・・
こんな誤解も 必死に4月生まれだから!なんて必死こいて
説明するはめになる。
坂道転げるようになんていう例えがあるが ある一時期から
月のたつのが年数のたつのが 一昨年よりも昨年の方が
昨年より今年の方が という案配に本当に転げ落ちるように
早く感じる。
おまけに子供といれば誰がどう見ても
「○○君ちの おばちゃん!」と言われ・・・・・
何でもこの「おばちゃん!」と言われるのが最高に抵抗を
感じる方達もいるようで
「名前で呼んで!おばちゃんじゃないよ!」
と子供にムキになっていう方達もいるようだが・・・・・
天地がひっくり返っても 年は戻れないんだよね~~
大体 小学生位の子供から見れば高校生のお姉さん以上は
23だろうが26だろうが30だろうが
「おばちゃん!」の部類なんだよね~~~
と、毎度 こういう方達と会うと意地悪くニマニマして
心で言ってしまうのだが・・・・
皮膚はたるみし ついでに腹もたるむしで 身体のあちこちは
硬いし 柔軟さもなくなるしで 子供のようにもう 喜々と
毎年の生誕日は喜べない。
それでも 頭の中と気持ちだけは 身体同様 カチンコチンに
固まらせないようにしないとな~~と言い聞かせる。
老いの悲しさって 外見よりやっぱり中身。
何でも興味を失って 新しい物を受け入れなくなったら
それが本当の老いの到来なのかもしれない。
まあ、それには現実も受け入れなくちゃねと・・・・
「おばちゃん!」と叫ばれたら そう叫ばれるだけの外見。
しゃかりきに違う!とならず 明るく
「おばちゃんだよ!」と答えられる自分でいたい。
いろいろ考えあるけれど そんな素直さも年輪の醜さと
比例して増えていったらいいのだけど・・・・
なかなか 難しい。
一つ年取っても 今日も自分は外見だけが老いていく・・・