設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

因果な子供の世界

2005年01月12日 17時11分00秒 | 独り言
子供というのは結構大人の話を聞いている。
「子供だから大丈夫」
なんてタカをくくって あれもこれもと余計な内輪話を
大人同士していると とんでもない痛い目にあったりする。

以前 近所の知り合いが夫の実家で義母が孫である娘に
「ママの料理で何が好き?」
こう質問していたらしい。すると娘は間髪入れず
「ポケモンカレー!でもね、ママの方のおばあちゃんは、
 そういう事言っちゃ駄目って。だからママの手作り
 カレーが一番好きよ!」
固まり~~の嫁と姑であったらしい・・・・(汗!)

♀は特に♂よりも機敏に母の話している事をダンボになって
聞いている傾向があるらしい・・・・
これは本能か はたまた習性か・・・・

自分も小さい頃 母方の祖母が入院してお見舞いに行ったとき
母と親戚の人達が病室の廊下で これが最後だとか
もう長くないとか そんな言葉をヒソヒソ悲しそうに
話しているのを聞いていた事があった。
祖母は心臓が悪く この入院が最後だったからもう
末期の状態だったのかもしれない。
そんな状態で病室に入った私は開口一番 
「おばあちゃんは、いつ死ぬの?」こう聞いた記憶が!
即 病室から出されガミガミとお叱りを受けた覚えもある。

だが幼かった私を弁護するならば 大人のような意地悪い
「いつ死ぬんだ!?」という気持ちではなく
大人達が祖母が死ぬような事を言っているのが悲しくなり
「死んじゃうの?本当に?悲しい!!」
という気持ちで一杯だっただけなのに・・・・・
それがうまく表現出来ないのも子供の特徴だ。

子供というのは、この場面では言ってはマズイとか
この話をこの人にしてしまうのは・・・・という機微な
大人達の怪しい心の揺れは、悲しい性で全くわからない。
故に厄介である・・・・・

子供から言わせれば 
「そんなに聞かせたくない話なら どっか他でしてくれ!」
そう言いたいところだろう。しかも大人達がヒソヒソ声を
潜めて話している内容といったら 大体は人の陰口だったり
悪口だったりと・・・・・
昔は、小難しい顔して大人達が囁き合うのを 物凄く難しい
事を話し合っていると超勘違いしていたものだ。
フタを開ければ 大人の会話は 子供の会話以下の事もある。

言い訳や口答えをすれば やれ生意気だ屁理屈だと片付けられ
まあ、子供の世界も大変だよなと まだまだ子供が抜けきれない
こんなおばさんも つい同調してしまう。

その前に早く自分がしっかり大人にならなければと
思うのだが、そんな自分が親なんだから呆れ返る・・・・


SOS

2005年01月12日 09時15分40秒 | 独り言
子供というのは、何か心にあると必ずSOSサインを
どっかに出しているらしい。
例えば 急に乱暴になるだの 体調がおかしくなるだの
逆に冗舌になるとか・・・・・

愚かな事に こういう内容の本とか読んでも
どこか自分の子供とは違う世界の事だと勝手に
思い込む節が親には少々 あるような気がする。
それに自分も他人様のお子様の分析や テレビの話での
子供の事には 殊更 冷静に客観的に見れるのに
自分の家の事となると全く駄目になる。

思い出せば 自分の小さい頃も
「あれは自分にとってはSOSだったんだなあ~」
という事が 今更になって思い出される事がある。
当の本人がこうなのだから 一体どの程度の親が
冷静に我が子のSOSなるものを発見出来るのだろうか。

両親共に共働きで実質、自分の母は殆ど父方の祖母だった。
寝るのも祖母。お風呂も祖母。果ては学校の授業参観
懇談会という行事も祖母。運動会のお弁当から
高校までの日常のお弁当も祖母の手作り。
まあ、鍵っ子なるものを経験しないだけでも恵まれていた方だ。
それでも「母じゃない!」という不満は沸々とどっかで
沸いていたのか・・・・・

ある時期 母に無理難題をひっかけた時期があった。
それが くっだらぬ無理難題。
雪の舞うような凍てつく寒い日に祖母が用意した
ズボンじゃなくミニスカートを履いて学校に行くと
言い出したり・・・・・

出勤前の忙しい時間帯に 訳のわからぬ娘に振り回され
ヒステリー気味になってタンスを引っかき回している
母の姿を今でも覚えている。

自分で言うのも小っぱずかしいが 小さい頃は本当に
大人しくて物分かりのいい子供だったから(本当に!)
頑としてスカートじゃなければ嫌だと言い出した娘に
周囲はびっくりしただけだった。

その後も 母親が困る事をやってのけた記憶はある。
その度に言われたのは
「祖母に甘やかされて我儘になった!」
その一言。今の自分ならば どんなに言い返せただろうか。
子供の悲しさでうまく反発も出来やしない。

その一言以来 困らせ事はプツッと消えた。
だがそれから数年 定期的に自家中毒という変テコな
病気に苦しめられた。胃液が出るまで吐くという辛い
症状だ。大体は疲れているの一言で片付けられたが
何かのSOSだったのかな~と今は冷静に思う。

世の中には一人親だったり親が離婚していたりと
もっと複雑な環境で育った人もいるというのに
自分は、よっぽど弱い精神だったと思われる。
それでも あの時の自分のSOSを拾えなかった母と父は
やっぱり今 同じ親である自分から言わせると
親失格のところは歪めない。

親失格の親に育てられた自分も 大層そういうDNAを
持っている事だろう。
こういう時ほど この因果関係を鬱陶しく思う事はない。

SOSを拾えるのか・・・・
こんな課題もあるから 親には向いてない・・・・