新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

福が満開、福島へ~4

2015-06-23 18:51:31 | 旅行

会津若松を出発して福島県道64号線と7号線を走り、とりあえず猪苗代駅を目指します。その途中で磐越西線の磐梯町駅と翁島駅に寄り道。駅に寄り道するとは鉄の悲しいサガです。

こちらは磐梯町駅。車で着いたのは駅の裏側にあたる東口で、駅舎のあるのは西口ですが、地下道で繋がっているので、こちら側にもやって来れます。委託駅で窓口には委託駅員がいて乗車券も発売していますが、改札口はないので駅に入るのはフリーです。一応地下道には近距離きっぷの自動券売機が置いてありました。

ホームに出てみると、ホームからは磐梯山の姿が見えます。ちょうど電車のない時間帯だったので駅には誰もいませんでした。

続いてやってきたのは翁島駅。こちらは完全な無人駅で、自動券売機もありません。この翁島駅は野口英世博士の生誕地最寄駅で、米国から野口博士が一時帰国して帰郷した際に降りた駅だそうです。またかつては高松宮別邸も近隣にあったことから、駅は貴賓室のある駅舎だったのですが、無人化に伴って無味乾燥な駅舎となっています。なお旧駅舎は地元の施設に保存されているようです。

翁島駅から猪苗代駅へカーナビの案内に従って走ると、磐梯山をバックに踏切がある道へ出ました。ここは撮影できそうだと思い時刻表を検索すると、間もなくフルーティア号を連結した快速が通過することになっています。これは撮らねばと思い道端に車を止めて電車を待ちます。やがて6両つないだ快速電車がやってきました。ちょっと磐梯山が雲に隠れかけているのが残念ですが、まあまあ良い撮影スポットではないかと思います。
電車を撮ってから猪苗代駅へ。駅に到着すると、なんとリゾートエクスプレスゆうが発車するところでした。そういえば先程撮影したポイント付近にも撮り鉄がおり、快速通過後も動かなかったので、目的はリゾートエクスプレスゆうだったようです。少々落胆しながら猪苗代駅を後にし、国道459号線を経由して本日のお宿である裏磐梯ロイヤルホテルに到着。チェックイン時刻の15時より30分ほど早くついたのですが、チェックインをしてくれ、早めにお部屋に入ることができました。 


福が満開、福島へ~3

2015-06-23 18:49:08 | 旅行

鶴ヶ城から自転車を走らせて5分ほどの場所にある御薬園にやってきました。こちらは会津藩主の別邸の庭園で小堀遠州の流れを汲んだ大名型山水庭園となっているようです。また敷地内には会津2代藩主により開設された薬草園も併設されていることから御薬園と呼ばれているようです。

池の中の島には楽寿亭と呼ばれる建物が建てられています。

園内はぐるりと一周することができ、水辺を眺めながら庭園をぶらりと散策します。池の中の島の楽寿亭と御茶屋御殿を望む光景。御茶屋御殿では抹茶をいただくことができるようになっています。
このほか園内には重陽閣と呼ばれる建物もあり、こちらは会津藩主松平容保公の孫にあたる秩父宮勢津子妃ゆかりの建物だそうです。外観は見ることはできますが、内部は非公開となっていました。
御薬園を出るとそろそろお昼時。自転車を走らせてお昼を食べようと思いますが、なかなか食指の動くところが見つからず、会津若松駅前にあった居酒屋のランチをいただきました。その後レンタサイクルを返却して車に戻り、裏磐梯を目指すことにします。 


福が満開、福島へ~2

2015-06-23 18:29:33 | 旅行

会津若松駅から自転車を走らせ、JR七日町駅までやってきました。JR七日町駅には駅カフェがありますが、朝9時前なのでやっているわけもなく、駅構内を見るだけにします。

そのあと駅近くにある阿弥陀寺へ。ここには鶴ヶ城創建時の建物が移築されています。それがこの御三階。もともとは鶴ヶ城本丸にあった建物ですが、1870年にこの阿弥陀寺本堂として移築されてきました。移築の際に玄関部分に本丸御殿の玄関部分を移築したもので、こちらも貴重な遺構となっています。その御三階を見てから、鶴ヶ城へと向かいます。

鶴ヶ城は蘆名氏により築城され、現在の形を形成したのが、蒲生氏郷で、同時に城下町の整備も行っています。その後会津は蒲生氏から上杉景勝、加藤嘉明が入封し、現在見られる天守は加藤嘉明が建てさせたものを復元したものだそうです。加藤氏のあとは保科正之が入封し、幕末まで保科氏改め松平家が会津を治めていました。幕末の会津戦争の時に1ヶ月に及ぶ籠城にも耐えましたが、その後の城郭破却により解体されてしまいました。現在見られる天守は1965年に外観復元された鉄筋コンクリート造りの建物です。

本丸側から見た天守。以前は黒瓦だったのですが、2010年に解体前に使用されていた赤瓦に葺き替えられており、全国的にも珍しい屋根の色をした城となっています。

こちらは2001年に復元された走り長屋と干飯櫓。こちらは江戸時代の建築技法を使って復元されたものです。鉄筋コンクリート造りの天守よりもこちらの方が興味が湧いてきます。幸い観光客も少なく、いてもほぼ素通りのような感じなので、気兼ねなく観察することができました。

こちらは本丸への表門の鉄門。門の主要な部分で鉄が使われているのでそう呼ばれているとか。松平家時代の表門だそうです。
一通りぐるっと見てから鶴ヶ城を後にしてまたぶらりと自転車を走らせます。