新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

北の国から2024初秋〜12

2024-10-28 19:33:54 | 旅行
網走駅からホテルへ戻って朝ごはんを食べます。朝ごはんの後は荷物をまとめて出発の準備をして、9時過ぎにホテルをチェックアウト。本日は釧路へ向かうのですが、網走駅から釧網本線の列車ではなく、女満別空港から新千歳空港乗り継ぎで釧路へ向かうことにしています。列車だと1両編成な上硬いシートに3時間も座り続けなければならないのと、ほぼ釧路まで混雑していると思われるので、飛行機乗り継ぎにしました。ホテルの目の前のバス停からも女満別空港行きのバスに乗れるのですが、網走駅から乗ることにして網走駅へ。しばらくうろついてから乗り場へ向かいます。

網走駅前0940発の女満別空港ゆきのバスに乗ります。バスは高速タイプのバスですが、途中停留所での乗降も可能なようで空港行きの路線バスといった感じです。

とはいえ途中乗降もなくバスは女満別空港へ向けて走ります。北海道らしい敷地境界線の並木を見たりしていると女満別空港に1010に到着。

搭乗便は札幌・新千歳ゆきANA4862便。この時間は千歳行きしかないのでターミナルは閑散としていました。千歳乗り継ぎで釧路までゆくので釧路まで荷物を預けてしまいます。荷物を預けてから保安検査を受けて搭乗口へ。70人乗りのプロペラ機で空席もあるので搭乗案内がかかるとあっという間に搭乗が完了して、定刻よりも早く出発。発着機もないので、あっという間に女満別空港を離陸しました。
上昇すると北見あたりまでは地上風景も見えていましたが、やがて雲がかかってしまったのでしばし目をつぶって寝ます。

新千歳空港が近づいてくると海岸生の海原が見えてきました。太平洋沿いに出て苫小牧の方からアプローチするようです。苫小牧から勇払原野の上を通り新千歳空港RWY01Rに着陸。

出発が早かったせいか到着も早くなり1135にスポットイン。乗り継ぎの釧路行きは1320発で時間もあるので一度制限エリアの外へ出ます。

釧路ゆきANA4873便の保安検査締め切りまで1時間ほどあるのでターミナル内をぶらぶら。グッズショップで水曜どうでしょうのDVDを買ったり、お昼ご飯にうどんを食べたりしていると時間が経過し、再び保安検査を受けて制限エリア内へと入ります。

釧路ゆきANA4873便はほぼ満席のようです。自動販売機で何気にお気に入りの北海道コーン茶を買って喉を潤していると搭乗開始。

窓側なのでさっさと乗ってしまいます。先ほどと同じ翼の下でプロペラの見える席です。1320定刻にスポットアウト。RWY01Lから離陸します。

離陸してすぐにダム湖が見えてきました。後で調べると安平町にある瑞穂ダムだそうです。そしてその周りの山肌は無残にもえぐれているように見えます。2018年の北海道胆振東部地震で土砂崩れを起こしたのでしょう。この辺りは震度6強だったそうです。帯広の町並みが見えたのは覚えているのですが、その後は寝てしまったらしく、気がつけば飛行機は釧路空港への着陸態勢に入っていました。

太平洋上へ出て釧路空港へアプローチしているらしく海岸線が見えてきました。そして海岸線沿いを走る列車の姿も見えました。釧路を1342に発車した札幌ゆき特急おおぞら8号でしょう。やがて圧倒的な緑の原野の中を飛行して釧路空港に1405定刻に到着。
飛行機を降りて女満別空港で預けた手荷物を引き取ってから、待っている釧路駅方面ゆきの空港連絡バスに乗ります。釧路空港の温度計は16.1℃を表示していました。釧路空港から釧路駅前まではおよそ50分。釧路駅前バス停で降りると宿泊するホテルは目の前でした。

北の国から2024秋〜11

2024-10-21 20:14:44 | 旅行

網走で迎えた9/23の朝。5時半ごろにホテルを出て網走市街地へ網走川沿いを歩いていきます。途中で橋を渡り網走バスターミナルへ。


網走バスターミナル0615発の小清水ゆき路線バスに乗車。このところ網走に来ると必ず乗るバスになっています。浜小清水まで釧網本線に沿って走り、0615発のバスは網走駅を0639に発車する釧路行きよりも早く沿線各駅に到着できます。毎年同じバスに乗ると、同じバス停から乗ってくる人もいます。が、この日は網走市街地からいつも乗ってくる人がおらず、運転手さんもその人が乗ってくるバス停では停車しましたが、乗ってきませんでした。祝日だったのでお休みでしょうか。

途中からバスの乗客は私一人になり、バスは釧網本線沿いの国道を淡々と走ります。そして北浜駅バス停でバスを降ります。バスはお客さんがいない状態で小清水へ向かいました。小清水への回送便を営業しているようなバスなのでいつものことでしょう。

今年になって北浜駅に新たな駅名表示板が設置されたという情報を手に入れていたのでやってきたしだい。かつて配布されていた貝殻の通行証が貼られていました。

ホーム側は北浜駅の夕景。冬場になれば目の前のオホーツク海に流氷が流れ着いて、冬場の観光スポットになっていますが、列車もまだやってきていないので誰もいませんでした。列車が来るまで少し時間があったので置いてある駅ノートをめくりますが、外国の方の記帳も多かったです。

ホームに設置されている展望台に登って網走からやってきた釧路行きを撮影してから乗ります。

わずか一駅だけ乗って原生花園駅で下車。

その名の通り小清水原生花園の中にある駅で、駅から木道を歩けば原生花園の中に出ることができます。釧路湿原ほどではないですが、こちらも湿原になっているのでその中を歩くことができます。折り返しの時間が少なかったので写真だけ撮って駅へと戻りました。

釧路行きと浜小清水駅で交換してきた知床斜里発北見行き列車に乗って網走へ戻ります。バスと組み合わせれば早朝にオホーツク海と湿原を楽しめます。

網走駅へ戻ってから、気になっていたものを見に行きます。網走には何度か来ているのですがその度に後で思い出すのがこちら。JR北海道様式の駅名表示ではなく、国鉄タイプの駅名表示が残っています。かつてこちら側にも線路があり網走から常呂を経由して中湧別まで結ぶ湧網線という路線が使う0番線ホームとなっていましたが、湧網線廃止後に線路は撤去され駅名表示板のみが残りました。次駅表示は消されていますが、国鉄タイプのすみ丸ゴシックで書かれた駅名がなんともいい味を出しています。ちなみに裏側の1番線側はJR北海道様式になっています。

そんな古い駅名標の横を最新の気動車H100形DECMOが通り過ぎてゆきます。昭和と令和の融合する風景を見てからホテルへ一度戻ります。
 

北の国から2024秋〜10

2024-10-19 09:29:00 | 旅行
旭川に到着してから次の列車までは1時間以上あるので、とりあえず改札を出ます。

改札口の前にはペンギンとシロクマ、アザラシのモニュメントが。

旭川駅構内の観光案内所でマンホールカードを配布しているのでもらいに行きます。観光案内所は英語・中国語・韓国語に対応したカウンターがありました。もちろんマンホールカードは日本語のカウンターです。そして駅前に実蓋があったので撮影に行きます。こちらにもシロクマとアザラシがデザインされています。

そしてバスにも動物のラッピング。旭川といえば言わずと知れた旭山動物園ですね。動物たちがのびのびと動き回る姿を見せる展示で一躍有名になり、東京・上野動物園に次ぐ入場者数を誇っています。ラッピングバスは旭山動物園行きの路線バスに使われていました。この日もバス乗り場には行列ができていました。ちなみにバスを運行しているのは旭川電気軌道という会社。かつては旭川にも電車が走っており、廃止後も軌道の名前を残してバスを運行しています。
旭川駅前から伸びる買い物広場という歩行者専用の通りをぶらぶら歩き、駅の周辺を歩いて戻ります。ちょうどお昼時なので何か食べようかとも思いましたが、どこも行列ができているのでやめにして駅へ戻って駅弁を買います。

次に乗車するのは1241発網走ゆき特急大雪1号。乗り継ぎだけならば札幌を1時間後の特急ライラックでも間に合うのですが、旭川で少し時間をとりました。

特急大雪は札幌と網走を結ぶ特急オホーツクの短縮版で、旭川と網走の間を走っています。札幌ー旭川間はライラックが接続しており、ライラックと大雪を乗り継ぐ場合は特急料金は通算で計算されます。この方法は発車案内の下段に表示されている稚内ゆき特急サロベツにも適用されています。

大雪とオホーツクに使用されるのはキハ283系気動車。もとは根室本線特急おおぞら号に使用されていましたが、キハ261系に置き換えられて一時運用から外れていました。しかし国鉄型気動車キハ183系で運転されていたオホーツク・大雪号の置き換え用にコンバートされてきました。特急としては短い3両編成となり、キハ183系では連結されていたグリーン車はなくなってしまいました。
札幌を1100に発車してきた、特急ライラック13号からの乗り継ぎ客を受けて1241に旭川を発車。

発車してから早速買って着た駅弁を食べます。旭川駅構内弁当のお弁当でホタテステーキと牛すき弁当です。

中身はご飯の上に大小のホタテステーキと牛肉のすき焼き風がのっています。ご飯との間にコーンがあるのは北海道らしいです。美味しくいただきました。

上川盆地あたりではコメも作られており、収穫されている田んぼもありますが、黄金の色の稲穂が残っている田んぼもありました。列車の揺れに任せていると眠たくなってきます。気がつくと寝ていたようで、目をさますと列車は丸瀬布に到着するところでした。ここからしばらくは車窓を眺め過ごします。とは言っても緑しかないのですが。1445に遠軽に到着。遠軽では3分停車して列車の進行方向が変わります。みなさん手慣れた様子で座席を転換させていました。

遠軽で進行方向も変わり方角的もやや南下して北見を目指します。山の中を走り代わり映えのしない緑の風景に寝てしまったらしく、生田原の停車も常紋トンネルの通過も気づかず、目をさますと列車は北見盆地へと出ていました。難読駅名の留辺蘂を発車すると、周囲は広大な畑が広がります。北見といえば玉ねぎ。沿線の玉ねぎ畑では収穫も進みほとんどの畑では収穫済みですが、玉ねぎの入ったコンテナが畑に置かれています。集荷をして貨物列車に乗って全国へと出荷されていくのでしょう。

1544着の北見で半分ほどの乗客が下車し、昨年に車で訪れた美幌・女満別と停車をして、終着網走には1634に到着。長い行路でした。

網走駅の記念撮影スポットの気温計は16度を示しており、さすがは道東の網走と納得の気温です。駅レンタカーの事務所ができてしまったのでホームと列車とともに撮れなくなってしまったのが残念です。
駅から網走川を渡った先のホテルにチェックインをして、網走では定番の地元のスーパーへ買い出しに行って、夕食を部屋で済ませました。シングルで予約をしていたのですが、ツインの広い部屋を割り当てられ、広い部屋でゆっくりと過ごしました。

北の国から2024秋〜9

2024-10-10 20:22:57 | 旅行

9/22。今までは札幌をベースにしていましたが、今日から札幌を離れます。


早朝5時ごろに散歩に出かけます。豊水すすきのの宿を出て中島公園へ行ってみます。朝のすすきのは夜のお仕事を終えたお姉ちゃんたちが歩いていました。新善光寺の前から成田山札幌別院の前を歩き、札幌駅前通に出て中島公園へ。街の中に緑のある広い公園があるのも札幌らしい風景です。朝の冷たい空気を吸いながら公園を散策。

中島公園と言えば豊平館。開拓使直営のホテルとして1880年に、現在の札幌市役所の隣の北1条西1丁目に建設されたもので、翌1881年には明治天皇の行在所ともなりました。1950年に札幌市へ払い下げられましたが、市民会館の建設に伴い1958年に現在地に移築されています。朝の静かな雰囲気に佇む豊平館を撮ってから歩きます。

さらに行くと札幌市天文台があります。大都会のど真ん中の天文台とはなんともミスマッチですが、1958年の北海道博覧会の際に設置されたもので、天体望遠鏡は雪印乳業が寄贈したものだそうです。
中島公園内を歩き地下鉄幌平橋駅を過ぎてから市電の通りへ。札幌静修学園の前から札幌南高校へ向かって歩くとちょうど市電の始発電車がやって来る頃。山鼻19条停留所まで歩き、トラムに乗ってすすきのへ戻ります。

トラムをすすきので降りて宿へ戻り、汗を流して朝食を食べて荷物をまとめて9時前にチェックアウト。豊水すすきの駅から地下鉄東豊線でさっぽろ駅へ向かいますが、上りのエスカレーターはあっても下りのエスカレーターが設置されているのはなかなかないので、大きな荷物を持って階段を上り下りするのはちょっと大変でした。札幌駅で時間があったので駅前でちょっと涼んでからJRの改札を通ります。お茶と北海道時刻表をキオスクで買ってホームへ。エスカレーターを上っているとなにやら古い列車のブレーキ排気音が聞こえました。

ホームに出ると国鉄型気動車キハ40型が停車していました。札幌駅では3月までは定期列車として早朝と夜に出入りしていましたが、新型車両に置き換えられてしまいました。しかし札幌駅隣の苗穂にある苗穂車両所には予備車ながら配置されており、表示幕の通り試運転でやってきたものと思われます。1790号車は「山紫水明」シリーズの「山明」で塗装変更のほか車内も木材を多用したものに改装されています。よくよく見ると床下機器が綺麗なので検査後の試運転かと思われます。

後ろに連結されている302号車は学園都市線用にボックスシートが2-1列に改造された車両。現在は試運転などの伴走車として事業用に配置されています。JR北海道では急速に数を減らしているキハ40ですが、試運転とはいえ札幌駅で見ることができたのはラッキーだったと言えましょう。

さて、乗車する列車は1000発の旭川ゆき特急ライラック11号。札幌ー旭川間は高頻度で特急列車が走っており、コロナ前までは終日30分間隔で電車特急のライラックとカムイが運転されていましたが、現在は日中は60分間隔となっています。それでも高頻度運転であることには変わりありません。

特急ライラックに使用される電車は789系0番台。北海道新幹線開業前までは青函トンネルを走る特急スーパー白鳥として八戸・青森ー函館間を結び、JR東日本にも乗り入れていましたが、北海道新幹線開業に伴いライラック用にコンバートされてきました。各編成には走行する沿線自治体のラッピングがされており、旭川市の編成でした。
高頻度運行なので自由席でもいいのですが、やはり大きな荷物を持っているので指定席を確保。1000定刻に札幌駅を発車します。

途中の岩見沢駅ではレアキャラである735系電車が停車していました。735系電車はアルミ製の車体を持った車両で、酷寒地の北海道でアルミ車体の耐用性を試験するために2編成製造されましたが、その後の増備はステンレス車体の733系になっているので非常にレアな存在となっています。連結されている731系や快速エアポートの733系と違い車体に若草色と赤色の帯が巻かれていないのが特徴です。

旭川までは1時間半ほどの行程。買ってきた最新の北海道時刻表で今後の行程を検討したりちょっとウトウトしているうちと、旭川に1125に到着。電車特急の高速性能を遺憾なく発揮しています。
 

北の国から2024秋〜8

2024-10-09 19:59:47 | 旅行
長万部を定刻の1553に発車。函館本線山線へと入ってゆきます。かつては特急「北海」や「おおとり」、急行「ニセコ」など優等列車も多数走り、1970年台後半の蒸気機関車末期には、国鉄最大の蒸気機関車C62型の重連が牽引する急行ニセコ号の勇姿を撮影に訪れる鉄道ファンで賑わっていましたが、今は普通列車しか走らないローカル線になっています。

山線と言うだけあって山と緑がひたすら続きます。時折人家が現れ、集落が現れると駅を通過といったパターン、それ以外は人跡稀な場所を走ってゆきます。あまりにも景色が単調なせいか途中の記憶が残っていません。途中黒松内と昆布に止まったらしいのですが記憶にありません。気がつくと列車はニセコ駅に到着するところでした。

ニセコ駅には1659着。もうすっかり陽も傾きかけている時間です。ここで約15分停車します。

ホームからはニセコの駅名の元となったニセコアンヌプリの姿も見られました。とりあえず改札口の外へ出てみると、出札窓口が開いていて北の大地の入場券を販売していたので購入します。

駅の外へ出てみると駅前にはかぼちゃ、カボチャ、南瓜です。ニセコ町ではかぼちゃが栽培されており町の特産品となっているようです。そのかぼちゃを毎年10月のニセコハロウィンの時に、町中に飾って盛り上げているそうで、訪れた数日前に始まったばかりでした。そのため駅前にかぼちゃが積まれているほか、町内の道路沿いに普通に並べられているのが車窓からも見られました。しかし、この量はちょっと多すぎじゃないかと。

ホームに戻ってから列車を撮影。キハ261系5000番台の愛称表示器はフルカラーLEDを使っていて、光線の条件次第で絵柄が切れてしまいます。夕方の光線状態ではうまく撮れば183系時代から使われている絵入りヘッドマークが入ります。

ニセコ駅の駅名標とニセコ号のヘッドマークを。ちなみに国鉄時代はニセコ駅は湖西線マキノ駅とともにカタカナ駅名でした。今はカタカナ駅名が増えてきていますが、国鉄時代としては画期的なことでした。写真を撮って席へ戻ると発車時間。ニセコ駅は1714に発車します。

ニセコを発車して次の倶知安までの間では車窓に羊蹄山の美しい姿が見られます。夕日を浴びている姿もまた魅力的です。富士山と同じ成層火山で綺麗な円錐形の山容であることから蝦夷富士とも呼ばれ、函館本線の車窓を長年彩って来ていました。車窓から山を見るのは好きなので何気に楽しみにしていましたが、ここまで綺麗に見れるとちょっと感動してしまいます。

羊蹄山を見ながら1727に倶知安に到着。ここでは9分間の停車時間があり、ホームから見える羊蹄山にシャッターを切る人が。

倶知安駅には北海道新幹線の駅ができる予定で、駅舎と仮ホームの間では新幹線の駅の建設が進められています。新幹線からも羊蹄山は見られそうですが、通過列車であると一瞬で終わりそうな気がします。

倶知安駅の仮ホームは4両までしか対応しておらず、5両編成の特急ニセコ号は最後尾の5号車がホームから外れてドア締め切りとなっていました。1736に倶知安を発車。次第に車窓が暗くなって来るので持参のゲーム機でゲームをして過ごすことにします。すっかり夜の風景となった余市・小樽・手稲といずれも停車時間の短い駅ばかりです。小樽で若干の下車があった以外はほとんどの人が札幌まで乗り通したようです。手稲からは先行の普通電車に阻まれゆっくりと走り、札幌には1928着。函館から5時間の長旅が終了しました。
札幌駅到着後は宿まで戻ります。地下鉄南北線ですすきの駅まで行って、昨日も行ったパン屋さんで朝食用のパンを買い求め、途中のコンビニでお弁当を買って宿へ戻りました。