新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

北の国から2022初秋〜16

2022-10-23 19:58:08 | 旅行

旭川での乗り換えは1705発網走ゆき特別急行大雪3号。終点の網走まで乗車します。ホーム変わっての乗り換えだったのですが、すんなりと乗り換えることができ、写真を撮る余裕までありました。

オホーツクでも乗りましたが、この大雪3号は当初予定にはなかった行程。1日予定を伸ばしたから乗れた列車です。

大雪3号ではグリーン車に乗車。グリーン車の乗客はわずか3組と寂しい限り。そのグリーン車は登場時の塗装を復刻した新特急色の車両でした。500番台が登場した時に採用された塗装で、JR初期のキハ183系はこの塗装でした。

荷物を座席に置いてから反対側の先頭車も。こちらは陽が当たらずにヘッドマークも綺麗に入りました。

先程乗ってきた特急サロベツに連絡する札幌ゆき特急ライラック36号と、特急大雪3号に接続する札幌からの特急ライラック25号が並びました。間に入るはまなす編成とともにカラフルな並びです。

旭川駅では特急の乗車口がディスプレイによって表示され、特急列車が発車しない時にはこのような画面が表示されています。旭山動物園を意識しているのでしょうか。
札幌からの乗客を受け入れて1705定刻に旭川を発車。夕日傾く中、旭川盆地を走ります。

昨日は水平線の彼方へ沈みゆくのを見た夕日を、今日は山並みへと消えてゆく様子を列車の中から眺めています。後半はお天気に恵まれています。
日が落ちてすっかり暗闇になってしまったので、本を読んで過ごすことにします。上川を発車してから、稚内を発つ前にセコマで買っておいたおにぎりで夕食。旭川での乗り換えでは買えないと判断してあらかじめ買っておいたのが功を奏しました。
上川から先は人跡稀な区間。特に次の白滝までは在来線最長の駅間を誇る区間。真っ暗な中を列車は走ってゆきます。そして時折激しい警笛とともにブレーキがかかります。どうやら野生動物と遭遇しているようで、何度か列車は急ブレーキがかかりました。

野生動物との遭遇の影響で4分遅れで到着した遠軽で、列車の進行方向がかわるので座席を転換。気がつけば車内には2組3人しか乗っていません。この先で乗ってくることはなさそうです。

空席を転換しにきた車掌さんが前の席を使っていいですよ。と、言ってくれたので、遠慮なく2席を使わせていただきます。グリーン車の座席を転換させて足を伸ばすと寝れそうな勢いです。1900発ですが3分ほど遅れて遠軽を発車。
遠軽をでても野生動物の生息する地域を走ってゆきますが、急ブレーキがかかることなく暗い中を淡々と走ってゆきます。座席を回転させて足を伸ばしているので気分的には横になっている気分で、ついついうとうとしてしまいます。常紋峠を越えて北見盆地へと列車は入りますが、相変わらずの暗闇なのでどこを走っているのかよくわかりません。

市街地が見えてくると列車は地下トンネルをくぐり北見に到着。北見を発車した時点では定刻での運転になっていましたが、次の美幌で対向の普通列車が遅れているので8分ほど停車。ホームに出て写真をとります。

普通車もあまり乗客はいないようで空席が目立っていました。編成を一通り見て回ると遅れていた普通列車が到着して8分遅れで美幌駅を発車。女満別に停車して網走へと向かいます。

終着網走には定刻より8分遅れのまま2057に到着。すでに回送モードに入っている列車を撮影してから改札口を出ます。さすがに夜の網走は冷えており、吹く風が寒さをより増してきます。

この景色を夜行列車に乗る前に見ていたな、と、思いつつ駅前のホテルにチェックイン。すっかり体も冷えてしまったのであったまって寝ることにしました。

北の国から2022初秋〜15

2022-10-20 20:03:26 | 旅行

稚内から乗車するのは1301発旭川ゆき特別急行サロベツ4号。旭川で特急ライラック36号に乗り換えれば札幌に1825に到着します。この日はキハ261系はまなす編成で運転となっており、ゆきと合わせてキハ261系の観光列車に2本とも乗車することができました。お昼は食べたのですが、旭川での乗り換え時間を考慮して夕食を事前にセコマで確保しておきます。指定席を取っているのでのんびりと乗車しますが、折り返し時間を削ったと見え定刻に稚内駅を発車。席について僅かな時間の発車でした。

キハ261系の普通の編成であればグリーン車になっている先頭車ははまなすラウンジとしてフリースペースのラウンジとなっているはずですが、自由席の乗客が占拠していました。増結1号車として自由席で案内されているので仕方がありませんが、リクライニングもしないボックス席に長時間座るのは大変なことかと思います。

南稚内ー抜海間では利尻島の姿もはっきりと見えました。早朝に下に見える道を往復したのが遠い出来事に感じられます。

このポイントでは列車は減速して運転するので、写真を撮ることができます。列車の中からも利尻富士の姿を見られることができ良かったです。

稚内から豊富にかけては酪農の盛んな地域。セイコーマートの乳製品も豊富町産の牛乳が使われているので、北海道の方にはおなじみかと思われます。列車からも普通に牛さんが草を食んでいる様子が見えました。

サロベツ原野越しの利尻富士もしっかりと目に焼き付けます。
旭川までは約3時間の旅。お昼も食べてしまっており、することも特にないので、地図を見ながら車窓を眺めたりします。宗谷本線は駅付近は人家もありますが、駅間はほぼ緑の景色。ついつい眠たくなってうとうとしてしまいます。
久しぶりに大きめの街が見えると名寄に到着。名寄からは旭川行きの快速なよろ号や普通列車も増えるので、列車の姿も見えるようになります。隣の線路にはH100型電気式ディーゼルカーが停車していました。名寄を発車すれば旭川まで1時間ぐらい。名寄ー旭川間は高速化工事も行われているので、名寄からは走る速さも違います。

その名寄駅を出ると車窓左手にSLと除雪車が保存されている公園が現れます。キマロキ編成と呼ばれる除雪列車で、かつては蒸気機関車+マックレー式除雪車、ロータリー式除雪車+蒸気機関車+車掌車の編成で除雪作業を行なっていました。このような編成で保存されているのはここ名寄と、小樽の小樽市総合博物館のみだそうで、冬の鉄路を守っていた貴重な車両です。

旭川が近づいてくると車窓には大雪山系の山々が見えてきます。この山に雪が降って冠雪をしたというニュースが流れると北海道も雪の季節となります。山々を眺めながら旭川の盆地を快走し旭川を目指します。

終点の旭川に定刻の1649に到着。写真を撮って乗り換えの列車の待つホームへと向かいます。

北の国から2022初秋〜14

2022-10-18 20:20:32 | 旅行

ホテルへ戻って朝食をいただいてから、出発の準備をします。不要な荷物やお土産などは箱に詰めてゆうパックで自宅へ送ります。一度稚内郵便局へ行って荷物を出してから部屋へ戻って支度を済ませて9時前にチェックアウト。11時までのレンタカー返却時間まで稚内市内の郵便局巡りします。地図を見ながらおよそ旅行貯金の人間が訪れるとは思えない町の小さな郵便局まで巡り、10時半ごろに稚内駅近くのレンタカー店へ戻ってレンタカーを返却。乗車する特急サロベツ4号の発車まで時間があるので、駅近くをぶらぶらします。

まずは稚内港北防波堤ドームへ。稚内港の防波堤と稚泊連絡船と鉄道の駅との乗り換え通路として1936年に完成した北防波堤ドーム。戦前は稚泊連絡船と鉄道の乗り換え客の通路として、戦後も利礼航路が発着する稚内港の防波堤として稚内港を守り続けています。

防波堤としては珍しいドーム状の形状となっており、古代ギリシア建築を彷彿とさせるようなエンタシス状の柱列が印象的です。歩いてもいけそうですが、やめにして外観を見るだけにします。

北防波堤ドームと宿泊したサフィールホテル稚内です。

北防波堤ドーム近くの道路標識。北海道では青看と呼ぶそうです。やたらと情報量が多く、一瞬で理解するのはちょっと無理かと思われます。

わっかいでもう一つ印象的だったのが、こちらの道路標識。ローマ字表記の他にロシア語表記も併設されているのは、サハリンが近い稚内らしい道路標識です。

日本最北の御朱印のいただける北門神社にもお参り。有人の神社では日本最北の地にあるそうです。この先の旅の安全を祈願しておきました。ちなみに日本最北の無人の神社は宗谷岬のすぐそばにあります。

北防波堤ドーム、北門神社と歩いてもまだお昼前。しばらく港の岸壁に出てぼーっとします。吹く風は冷たく、歩いて火照った体もクールダウン。青空が気持ちいいです。

お昼は道の駅わっかないの食堂で稚内ザンギ定食をいただきます。ザンギは北海道の呼び方で鶏の唐揚げ。揚げたてアツアツのザンギを美味しくいただきました。

札幌からの特急宗谷号は8分ほど遅れて到着。あまり遅れてもらうと旭川での乗り継ぎに影響するのですが、折り返しのサロベツ号は定刻での運転とのこと。2日前に同じ列車に乗って着いたので、ほぼ48時間の最北の地での滞在が終わったことになります。
 

北の国から2022初秋〜13

2022-10-14 19:49:45 | 旅行
9/21は稚内を離れる日。しかし天気予報では晴れるとの予報なので、まだ暗いうち5時前にホテルを出て車を走らせます。

やってきたのは日本最北の木造駅舎の無人駅。抜海駅です。利用客数が少ないため存廃論議が展開され、とりあえず稚内市の補助によりしばらくは存続するようです。早朝にやってきたのは稚内を0521に発車する名寄行き普通列車を撮影しようとの魂胆。到着すると誰もいませんでしたが、すぐに同じ目的のレンタカーが一台やってきました。
抜海駅は抜海村の利用客のために作られた駅ですが、その抜海村の集落は2キロほど離れた位置にあり、駅前にも数軒の民家がありますが、住んでいる気配があるのは1軒のみ。その家の前にも車があるのでおそらく鉄道利用はしていないのでしょう。そんな状況なので廃止の論議がされるのもやむを得ないかと思われます。

稚内0521発の名寄行きが0538に抜海駅に到着。キハ54型ディーゼルカー1両だけのワンマンカーです。

驚いたことにこの列車から下車した客が3人もいました。おそらく駅目当ての旅行者と思われますが、次の列車は稚内行きが約2時間後の0750発。名寄行きにいたっては5時間後の1046発までありません。飲み物の自動販売機すらないこの駅で彼らは一体どうやって過ごすのでしょうか。

そんな心配をよそに木造駅舎を観察します。風雪を耐えてきた駅舎は風格があります。
駅舎を見てから待合室に入ってみると、旅行者が置いていった様々なものがありました。そして駅舎内に貼られていたポスターが古いもので、今は走っていない列車なども載っているものでした。

駅舎を観察して周辺をぶらぶらしてから車に戻って稚内市内へと戻ります。もう一人の車組も撮影を終えると帰っていったので、列車組の3人が残る形ですが、三者三様、時間まで駅を楽しむようです。

車を走らせ稚内市街地への坂道を登り、夕日ヶ丘駐車場に寄り道。朝の景色の中に利尻島、礼文島の姿が綺麗に見えていました。

海越しの利尻島。昨日とは違い雲ひとつない空に利尻富士が映えていました。利尻、礼文の景色を撮ってから稚内市街地へ戻ります。

ホテルに戻る前に南稚内駅へ寄り道。稚内駅よりも南稚内駅の方が繁華街に近いのですが、朝なので閑散としていました。窓口が開くのを待って入場券を購入。

南稚内駅のそばにある車両基地で滞泊をしていたキハ261系気動車が稚内駅への回送を待っていました。稚内0636発の特急サロベツ2号になる列車でしょう。南稚内駅からホテルへ戻り朝食を食べて、支度をします。
 

鉄道150周年

2022-10-14 18:44:00 | 鉄道



1872年10月14日(旧暦9月18日)、本邦初の鉄道が新橋ー横浜間で開業の日を迎えました。14日は開業式と特別列車の運転のみで、旅客取扱いは翌15日より始まりました。

それから今年で150年。
鉄道は人々の暮らしを変え、時間というものを日本人に意識させました。
開業当時の新橋ー横浜間は53分。現在は京浜東北線の電車で新橋ー桜木町間は41分で結ばれています。



新橋ー桜木町間の開業時からある駅、新橋・品川・川崎・鶴見・桜木町の各駅の京浜東北線の駅名標は鉄道開業150年特別仕様となっています。

開業時の新橋駅のあった場所は汐留シオサイトになっており、復元された旧新橋停車場や0哩標識があります。0哩標識は本邦鉄道の最初の一杭が打たれた場所。鉄道記念物に指定されています。

一方横浜駅のあった桜木町駅には、駅の南側にひっそりと鉄道創業の地の記念碑が立っています。
その記念碑のある北側には先ごろ、新たに150年前にイギリスから輸入された蒸気機関車110号が移設保存されています。1号機関車は交通博物館から鉄道博物館へと保存されていますが、110号機関車は青梅鉄道公園に保存されていたのを復元整備して、横浜の地へ里帰りさせたものです。機関車の周囲には創業時の鉄道の様子などが模型などで展示されています。



新橋駅で忘れてはならないのが、改札内の横須賀線・総武線快速電車乗り場へ通じる階段に飾られたステンドグラス。横須賀線東京ー品川間地下化の際に作られたもので、鉄道創業の地新橋をイメージしたものになっています。