大阪からの帰りのフライトは、大阪空港からB787-9型機に乗って帰ります。搭乗機は現在のところANA最新のJA833Aでした。
2014年9月から航空法が改正され、機内で使用できる電子機器の制限が大幅に緩和され、デジタルカメラが常時使用できるようになりました。そこで離陸風景を撮影しました。座席からはB787のシュッとした翼が見えます。
滑走路32Lに入りいよいよ離陸の体勢です。この滑走路のフェンスのすぐ脇に千里川という川が流れていて、その川の両岸が大阪空港の撮影スポットになっています。滑走路に非常に近いので着陸機が頭のすぐ上を通過し、離陸機のジェットエンジンから出る排気が感じられる場所でもあります。
離陸滑走中。翼の向こうに見えているのはやはり撮影スポットのスカイランド原田です。両ポイントとも日曜日とあって撮影に訪れている人が多く出ていました。
テイクオフ!
離陸すると機体はすぐに左旋回をします。伊丹市上空を旋回していくとやがて特徴的なものが見えてきます。
機窓に日本列島のような島のある池が見えてきます。この池は昆陽池といい、元々は灌漑用の溜め池だったのですが、池の周りが公園として整備された折、野鳥の楽園が池の中に作られました。そして大阪空港から離陸する飛行機の出発経路にあたるため、飛行機から見られることを意識して日本列島の形にしたそうです。
残念ながらこの日はすぐに雲の中に入ってしまい、関東地方に接近するまでほぼ雲上飛行となってしまいました。
梅小路蒸気機関車館は1972年に旧国鉄により開館し、当時消えゆく運命にあった蒸気機関車を保存し後世に伝えていこうと梅小路運転区の扇形庫を使って開館しました。現在はJR西日本が管理運営していますが、2016年に隣接地に京都鉄道博物館がオープンし、その一部となるために今年8月をもって一度閉館する予定です。
国鉄時代の蒸気機関車が18形式20両が保存されており、うちC57 1号機は山口線で、C56 160号機は近畿地区を中心に本線運転されています。また館内でも動態保存機としてD51 200号機、C62 2号機、C61 2号機、8630号機がSLスチーム号として運転されており、D51 200号機は現在本線走行に向けた復元工事が行われています。
8630号機とD51 200号機の炭水車。D51 200号機の機関車本体は現在解体修理が行われており、蒸気機関車の重要な部品であるボイラは、大阪のサッパボイラで修理されています。そして機関車の後ろでは新博物館の建設工事が行われています。
隣接する留置線には現役車両のほか、通勤型電車103系のトップナンバークハ103-1が留置されていました。このクハ103-1は1964年に池袋電車区に新製配置され、山手線を走っていましたが、山手線ATC化に伴い淀川電車区に転籍。以来淀川電車区から森ノ宮電車区に配置され、大阪環状線を周回していました。最後は吹田総合車両所日根野支所に在籍しスカイブルーの塗装で阪和線で活躍していましたが、博物館入りに際して一番活躍の長かった大阪環状線のオレンジ色に塗り替えられていました。
SLスチーム号はC61 2号機が担当していました。
蒸気機関車館をぶらぶらと見てから、梅小路公園から京都駅行き直行バスに乗って京都駅へ。ここで京都市営地下鉄烏丸線に乗り、四条で下車。阪急烏丸駅から河原町まで一駅乗ってから錦市場に行き、いつもの京漬物屋で京漬物を買って、河原町から阪急の特急に乗って梅田へ出ます。長岡天神駅を発車して新幹線と併走する区間までは覚えているのですが、このあたりから記憶がなくなり、気がつくと列車は淡路駅に到着するところでした。
阪急梅田駅で10分毎に繰り広げられる、3列車同時発車を撮影してから、JR大阪駅からJRに乗り、天王寺で途中下車をして天王寺Mioの本屋で飛行機の中で読む本を買います。天王寺から特急くろしおにのってユビスステーションまで戻ります。一旦お宿へ行って休憩をしたのち、第2ユビス駅まで繰り出してゆかりんと合流して、関西空港で夕ご飯を共に食べました。
インクラインを見てから、琵琶湖疏水記念館を見学します。琵琶湖疏水のことを勉強してから、京都市動物園の外周をぶらぶらと歩きます。動物園前のバス停に着くと、ちょうど梅小路公園行きの急行バスが近くまで来ているようなので、それに乗ります。やって来たバスはガラガラでした。この急行バスは岡崎公園から東山三条・祇園・清水道・博物館三十三間堂・七条京阪・京都駅・京都水族館を経由して梅小路公園までを走るバスで、途中通過停留所のあるバスです。そのせいか乗ってくる人も少なく、終始ガラガラで走りました。しかし京都のバスは急行バスとはいえ時間がかかります。11時過ぎに乗ったのですが、梅小路公園に着いたら12時前でした。
梅小路公園には最近、京都市交通局が保管していた京都市電の電車が移設されて保存されています。こちらは公園入り口に保存されている2000型電車。総合案内所になっていましたが、お昼時なので無人でした。
京都を初めて走った路面電車、通称N電は27号車がバッテリー式電車に改造されて公園内で運転されています。創業当時のオープンデッキ式運転台の姿に復元されています。
こちらは車庫内に静態保存されている29号車。N電末期の形のまま保存されています。行き先表示が右読みでしかもカタカナというのも珍しいです。ちなみに行き先は「ミブ」で壬生車庫ゆきのことです。
このほかにも市電広場には4両が保存されており、うち2両の車内は改装されてショップになっていました。
公園内の工事フェンスの向こう側には、大阪・交通科学博物館から搬出され、京都鉄道博物館で展示保存予定の80系電車とナシ20形食堂車が置かれていました。雨ざらしが心配ですが、博物館入りの際には綺麗になっていることでしょう。
梅小路公園内のカフェでお昼ご飯を食べてから、梅小路蒸気機関車館へ向かいます。
狭い水路脇の通路を歩いて行くと急に視界が開けて、京都の街が見下ろせる場所に出ました。いつの間に登ってきたんだろうと思っていましたが、よくよく考えてみれば水が勢いよく流れる水路を歩いてきたのですから、勾配を登ってきたのはごくごく当たり前の話なんですが。
ここからは次のおめあてであるインクラインを下って行くことにします。
インクラインとはいわゆるケーブルカーの一種で、台車に船ごと乗せて急勾配の斜路を登り降りさせて、水運をつなごうという方式です。琵琶湖疏水を使って琵琶湖から京都へ物資を運ぶ方法として使われました。しかし鉄道貨物輸送の普及やトラックなど輸送手段の変化により使われなくなってしまい、現在は軌道のみが残されています。そしてこのインクラインのレールで注目すべきはこちらです。
レールと枕木を固定する、犬釘です。
ん?犬釘ってちょっとしたローカル線とか側線でも見られるじゃん。とお思いのあなた。
実は本来の犬釘はこちらのタイプを指しており、犬がレールを咥えている形に似ていることから犬釘と呼ばれるようになったそうです。こちらはイギリスから伝わったもので、鉄道創業時に我が国はイギリスから鉄道技術を輸入をしているので、かつてはこのタイプが使われていました。
現在も使われているものは亀の子釘と呼ばれるもので、亀の甲羅の形をしていることからそう名付けられています。こちらはアメリカから伝わったもので、制作しやすいことから現在も使われています。
犬釘と亀の子釘が同じ枕木に使われている場所を見つけました。こうして比べると違いがよくわかるかと思います。姿勢を低くして線路ばかり見ている変な奴ですが、幸いなことに周りに人はいなかったので良しとしましょう。このインクラインのレールは犬釘の他にも1887年に製造されたイギリス、バーロー社製の75ポンドレールがあったり、線路マニアにはたまらない場所となっています。もちろんブラタモリでもタモさん大興奮でした。
ふと線路から目をあげると、梅の花が咲いていました。もう間もなくするとこのインクラインは桜の花で彩られます。
週末は京都にぶらりと行ってきました。
いつものように東京羽田を金曜日の夜の飛行機で関西空港までフライトし、ユビスステーション近隣のホテルに投宿。土曜日朝、ユビスステーションから紀州路快速に乗って天王寺へ。天王寺から地下鉄御堂筋線で淀屋橋、京阪線に乗り換えて特急で京阪三条、さらに京都市営地下鉄東西線に乗り換えてたどり着いたのは蹴上駅。
なかなか素直にけあげと読める人は少ないと思います。地上へ出て南禅寺を目指します。
南禅寺へはインクラインの下を通る煉瓦造りのトンネルを抜けて行きます。このトンネルは関西地方のトンネルでよく見られる「ねじりまんぼ」のトンネルで、アーチ部分のレンガが斜めに積まれています。そのトンネルを抜けて雨降る中南禅寺へ歩きます。このルート、ゆかりんと初めてのデートで辿った道でした。
雨に煙る南禅寺の南門を。雨の中団体さんを含めて結構な観光客が来ていました。春休みに入ったからでしょうか、それとも京都の春の風物詩になってきている「東山花灯路」を見に来たのでしょうか。
和風の寺院建築の中を歩くと突如現れる煉瓦造りのアーチ橋。おめあての水路閣です。この水路閣。明治23年に完成した琵琶湖疏水分線の一部で、南禅寺の谷を通過するためにかけられた橋です。この琵琶湖疎水分線は南禅寺から永観堂、哲学の道を通り、松ヶ崎浄水場まで水を流して、今も京都市民の喉を潤しています。
煉瓦アーチは場所によって趣を変え、見ていて飽きません。そして正月放送のブラタモリでタモリさん一行がこの水路閣の脇を登り琵琶湖疏水沿いに歩いているシーンがあったので、その道をたどってみることにします。
水路閣の脇の階段を上がると、水路閣の上に出ました。このようにアーチ橋の中には水が流れています。流れはかなり急で水が勢いよく流れていました。ここから水路沿いに歩きます。
とは言っても、本来は水道局の人が巡回をするような狭い通路があるだけで、遊歩道として指定されているわけではありません。従って柵もない狭い道を歩くことになります。右側は谷になっており、足を滑らせたら確実に落ちます。歩いている人もいなかったので水音を聞きながらブラブラと歩きます。