【パパと娘】パパが大好きな娘が朝起きたらすでにパパは仕事へ、、、【号泣】
事情は明らかになっていないが、現代の母捨てなのかねぇ。
無常である。
ううううううううううううううううううううううううううううううむ!
深沢七郎が書いた1956(昭和31)年『楢山節考』と同じなり?
あああ、無常。
ユーモアからの視点で見る。これって大事でっせ。仏教もそう。という話を修士課程のときの師匠から聞いた。師匠とは、大学正門前の店で痛飲したことがなんどもあったからだが、今回メールで師匠の講義をまとめていただいた寺院があってそれを送っていただいた。今朝そのメールを開けてさっそく印刷した。B5のルーズリーフで両面印刷。バインダーに綴じて、ちょくちょく見よう。
真面目な人ほど、ユーモアなんてぇことを嫌う。嫌いどころか、ボキがしゃべっていると怒り出すのもいるから笑ってしまう。ボキは、完全にユーモアを愛しているからだ。他人と話をしていても、にらめっこしていたって面白くもなんともない。面白いどころか、そんなの時間の無駄である。にらめっこなんか。
にらめっこしているヒマがあったら、自分の顔でも鏡でみていた方がよろしい。ボキは絶対にやらないが。ボキの顔なんかもう見飽きたからだ。みっともなくて、見てランねぇではないか。顔に傷がついているしねぇ。これまで受けてきた幾多の差別もそうだったし。怨念があるからだ。ただし、宿命だと思っているけど。流れ者だからだよん。
23歳で九十九里浜に流れ着いてから、差別ばっかりされてきたからなぁ。マジに。
どこから流れてきたのだ?という質問が実に多かったからだ。どっから来たってそんなのどうでもいいことではないか。就職で来ただけのことである。最初の赴任地が、ここ九十九里浜だったというだけである。その代わり、思い出は売るほどあるけどねぇ。
差別している相手の素性を知ると余計笑った。ボキを差別しているだけの家柄でもないからだった。歴史も伝統もない。あるのは作り話だけであった。だから、余計九十九里浜の歴史に興味がわいたのかもしれない。それでも、ボキは歴史が専門では無い。歴史学科に所属したことなんか一度もないのじゃよ。
自由自在。
それにユーモアを付け加えて生きる。
これがボキの現在の生き方でありますなぁ。
だって、その方がタノシイからで。
けふは、これから膝の診察がある。巨大病院に行ってくる。
もう7000歩は歩いてきたけど。今朝から。
BYE-BYE!