京都&神楽坂 美味彩花
京都と神楽坂を行ったり来たり、風景などを綴っています。
 




今朝は京都市内も雪がチラホラと降り、金閣寺の屋根も薄っすらと白くなりましたが
10時頃には溶けてしまいました 「京の冬の旅」の続き・・・
四条烏丸から程近い街中のお寺「因幡堂」(いなばどう)正式名称だと思っていましたが
「平等寺」(びょうどうじ)というのが本当のお寺の名前なのだそうです。
よく前は通るものの入るのは今回が初めて!境内に入ると雰囲気が六角堂に似ています。
  
通称”因幡薬師”とも呼ばれるそうで日本三如来のお薬師さん(後の2つは長野の善光寺と京都の清涼寺)
平安時代(1003年)創建で高倉天皇から「平等寺」という名前を賜ったそうで
重要文化財の薬師如来は頭巾をかぶった珍しいお薬師さん
火災の多い京都で火の手から守る際、移動するため傷が付かないよう
装着されたのではないかと伝わっているそうです。
収蔵庫に安置されていますがもちろん撮影は禁止なのでパンフのをちょっと
  
実物は150cm以上もあり以外と大きく、安置されている収蔵箱の裏には車輪がついていて
火災の時などいつでも移動できるように作られています。町衆の人達によって守られてきたとか・・・
他にも大黒さんの本当の姿を現したという座像がありますが、にこやかな大黒様の印象とは違い
元はヒンドゥー教のシバ神の化身であることから以外に険しいお顔しています
2つの観音様が祀られいて珍しい観音堂

少し変わった見所といえば、墨で書いたように見える軸がありますが
これが人の髪の毛を織り込んで書かれたというお経でちょっとビックリ
高倉天皇の愛人(?)小督局(こごうのつぼね)という人の髪だとかです。

因みに京都なのに何故”因幡”かというと・・・
お寺を創建した橘行平は勅使として因幡国(鳥取)にいたが
京都に戻ろうとすると体調が悪くなり寝込んでしまい
その際に夢に海の浮木を拾い上げて大切にしなさいというお告げがあり
引き上げたところ、これが薬師如来像だったそうで
因幡の国でお祀りしましたが行平が京都へ戻ると薬師如来も因幡から行平の屋敷に飛んできたそうで
自宅のあった所に安置し「平等寺」というお寺にしたそうです。
薬師如来は元々はインドの「東北療病院」という寺院のの本尊だったとか・・・
京の冬の旅の特別公開では何処へ行ってもじっくりと詳しく解説をしてくれるので
更に京都の深さを味わえるかもしれません・・・



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