昨日は、2か月に一度の勉強会の日でした。
治療家として、当然求められる「技術」ですが
多種多様を呈し本質を見極めることは困難という印象を受けます。
物事のみるとき、人は色眼鏡を通し個人的趣向により解釈をしていきます。
そうしたなか、患者様の主訴となるものに対し何を提供していくのか?
という問題にたどりつきます。
治すことに集約することが、一見正解のように感じるが、そもそも完全な治療法とは存在しないことが種類の多さから窺えます。
論理的に考えると、不完全なものに完全をもとめることはナンセンスとなり決してたどりつくことのない桃源郷を目指しているようなものなのかもしれません。
しかし、その場所から動かなければどんな時がたっても決して進むことはない
たとえ進む先が桃源郷でたどり着くことがないとしても歩むことをしないよりは、足を進めることに意義を見いだせるかどうか
バーンアウトしてしまいそうな私を、勉強会で先輩方に救われました。
内容もさることながら、治療家としての姿勢には感服し、背を追う身として足を進めていこうと考えさせて頂きました。
自分は、何をしたいのか?
もういちど考えてみたいと思います。
治療家として、当然求められる「技術」ですが
多種多様を呈し本質を見極めることは困難という印象を受けます。
物事のみるとき、人は色眼鏡を通し個人的趣向により解釈をしていきます。
そうしたなか、患者様の主訴となるものに対し何を提供していくのか?
という問題にたどりつきます。
治すことに集約することが、一見正解のように感じるが、そもそも完全な治療法とは存在しないことが種類の多さから窺えます。
論理的に考えると、不完全なものに完全をもとめることはナンセンスとなり決してたどりつくことのない桃源郷を目指しているようなものなのかもしれません。
しかし、その場所から動かなければどんな時がたっても決して進むことはない
たとえ進む先が桃源郷でたどり着くことがないとしても歩むことをしないよりは、足を進めることに意義を見いだせるかどうか
バーンアウトしてしまいそうな私を、勉強会で先輩方に救われました。
内容もさることながら、治療家としての姿勢には感服し、背を追う身として足を進めていこうと考えさせて頂きました。
自分は、何をしたいのか?
もういちど考えてみたいと思います。
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