私たちが施術するにあたって
必要なものであり、やっかいなもの
それは価値
治療することで求められることは、結果
これを価値とすると
患者様と施術者での感覚の違いが生まれる
患者様は、怪我をする前に戻れることを治癒と考える(全員ではない)
施術者は、日常生活に支障をきたさない機能レベルを治癒と考える
考えは間違ってないと思うが、患者様の要望を治癒の定義=価値になってしまうと、とっても危険なことになる。
それは、双方にとってデメリットしかない
なぜならば、過去には戻ることはできないから
言葉だと伝わりづらいが、こんな話を聞いたことはないでしょうか?
『20年前にヘルニアと診断され、それからずっと腰が痛い』『何もしていないのに、いつの間にかしゃがめなくなった』
『高校の部活で頭から落ちて、それからずっと手が痺れている』
この言葉自体に何の問題もないのですが、ほとんどの患者様は怪我をする前に戻れることをゴールとしている心理があるように思えます。
健康な時は、いつだった、症状が始まる前に戻りたい。
とっても当たり前の話、痛いほど気持ちはわかります。
でも、それは現在の身体のことを見ていないことにもなります。
現在の痛みの状態は?どうするとつらいのか?
昔ではなく、今の状態に視点を置く
それができてからスタート
過去には戻れないし、体に起こったことをなしにはできない
今の体を、どう回復させていくのか?
そこから治療のゴールを探していく
そのゴールこそ価値の創造であり、私たちの目指すべきところなのだと思う。
ちなみに、施術者は患者様にたいし、痛みの緩和を目的としてしまうことがある。
それは、その場しのぎになる可能性がある
原因は何か?どのような疾患か?
痛みをとることは、必要だがその先に目標とするゴールがなければ価値は低い
矛盾しているようだが、そのためには患者様の歴史
どのような時間経過をして悪くなったのかを知ることが必要となってくる。
つまりは、何をどのようとで聞き、何を目的として行うのか
同じように見えても、そこに現れる結果と価値は異なる。
鶴沢接骨院 香山大樹
必要なものであり、やっかいなもの
それは価値
治療することで求められることは、結果
これを価値とすると
患者様と施術者での感覚の違いが生まれる
患者様は、怪我をする前に戻れることを治癒と考える(全員ではない)
施術者は、日常生活に支障をきたさない機能レベルを治癒と考える
考えは間違ってないと思うが、患者様の要望を治癒の定義=価値になってしまうと、とっても危険なことになる。
それは、双方にとってデメリットしかない
なぜならば、過去には戻ることはできないから
言葉だと伝わりづらいが、こんな話を聞いたことはないでしょうか?
『20年前にヘルニアと診断され、それからずっと腰が痛い』『何もしていないのに、いつの間にかしゃがめなくなった』
『高校の部活で頭から落ちて、それからずっと手が痺れている』
この言葉自体に何の問題もないのですが、ほとんどの患者様は怪我をする前に戻れることをゴールとしている心理があるように思えます。
健康な時は、いつだった、症状が始まる前に戻りたい。
とっても当たり前の話、痛いほど気持ちはわかります。
でも、それは現在の身体のことを見ていないことにもなります。
現在の痛みの状態は?どうするとつらいのか?
昔ではなく、今の状態に視点を置く
それができてからスタート
過去には戻れないし、体に起こったことをなしにはできない
今の体を、どう回復させていくのか?
そこから治療のゴールを探していく
そのゴールこそ価値の創造であり、私たちの目指すべきところなのだと思う。
ちなみに、施術者は患者様にたいし、痛みの緩和を目的としてしまうことがある。
それは、その場しのぎになる可能性がある
原因は何か?どのような疾患か?
痛みをとることは、必要だがその先に目標とするゴールがなければ価値は低い
矛盾しているようだが、そのためには患者様の歴史
どのような時間経過をして悪くなったのかを知ることが必要となってくる。
つまりは、何をどのようとで聞き、何を目的として行うのか
同じように見えても、そこに現れる結果と価値は異なる。
鶴沢接骨院 香山大樹
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます