なぜか昨日、鍋をたべたくなり、自炊を久々にしましたが、かってがわからず市販の鍋スープに記載されている食材を購入し、それが4人前と気づかず、とんでもない量を作って一人で食べました。
これでは、ぜったい痩せないなと反省している本日です。
さて、上記は題名と一切関係ないです。
何が正しいかわからない
これはずっと、私が口にしている言葉です。特に困ったときによく出てきます。
数式などでは、絶対的な正解があり、正しい答えが必ずまっています。
しかし、私の場合は、正解の定義がない状態で、しかも他者へむけて発しています。
正解=ゴール
となりますから、経営であればゴールを決めるのは社長ですし、問題を提起した人が決めるべきことがゴールなのであるべきです。
ただ、正解が共有する公式のなかにあれば別の話になります、例えば、日本国における法律などがそれにあたると思います。
何が言いたいかというと、何か問題が起きたときに、それは、自分ひとりの問題なのか、それともそれ以上の人の問題なのかということを考慮する必要があると思っているのです。
そうすれば、話し合いが同じ土台で行われ議論が行われることで正しいことが見えてきます。しかし、自分ひとりの考えが正解になることはほぼないでしょう。
ひとりの問題では他者からの助言は、ある意味でその人の意思決定でありますから、質問者は決して納得できないと思われます。例え、助言に従い結果がよかったとしても、助言してくれる人の正解であって自分の正解ではないですから、また次の正解を他者に求めて探すことを繰り返すだけでしょう。
しかし、問題が、明確な行動であればそれは、例えば【〇〇を△△にしたい】のようなものであれば、具体的な知識や技術が必要になるので行動として結果をだすことができます。
最終的には、頭で考えることの正しさは自分、行動の方法などは教えを請うのような形が良いのではと最近考えております。
ということは、どこまで痩せたら正しいのか?という疑問をもっても行動に移ることはないので、〇〇キロが正解として自分で定義する。
具体的な方法は、心拍数120を保ち、有酸素運動を20分以上行い、血中の糖分を消費し、グリコーゲンを分解し、糖として消費する。筋肉の運動による代謝促進、特に筋量のある大腿などを使用する等を理解しつつ行うと効率がよいから走るか?
それとも、やっぱりライザップに頼むか?
とうことになる。
少しだけ、自分の問題に目をむけてみました。
エクシステンス株式会社 香山大樹