ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

手術を受ける

2014-02-03 05:00:00 | 大阪にて

最後の晩餐まで執り行ったのに、それは全く無駄になり、もうこのブログも書き続けるためにしんどい思いをすることも無いと思っていた思惑も外れてしまい、またまた続けていく嵌めになりました。

前日の朝、「28日の1時から1時半の間に入院手続きを済ませる」よう電話があったので、家を11時過ぎに出て、歩いて病院まで1時間かけて歩いて行き、病院の前のお好み焼き屋で昼食をとり、時間通りに入院手続きを済ませ、6階の一番南の端の部屋に案内されました。実は泌尿器科の部屋は空いてなく、手術後に正式な部屋へ移るということでした。

             

個室の差額料は15750円、二人部屋が5250円、6人部屋は差額が有りません。当然のことながら6人部屋に入室しましたが、片方に3つベッドが並んでいて、その真ん中が私のベッドでした。入り口側の人は眠っていて、昼なのにもう大変な鼾、夜が思いやられます。

             

担当医から具体的な手術のやり方を聞き、いろんな同意書を書かされました。その昔NTT病院は逓信病院と言い『ていびょう』と呼んでいましたが、警察病院は『けいびょう』と呼んでいるのを初めて知りました。

                             

6時前には夕食、ご飯が200gも有ります。キュウリの酢の物、もやしのカレー炒めはチョー薄味、メインのおでんは他の二品と比べると少し濃い目の味でした。病院食は一食260円です。手術当日は絶食、こんな紙まで貼られてしまいました。 

            

1時から手術、それまでに排便、排尿を済ませなければなりません。排便が出来なければ浣腸をすると言われていましたが、便が出たか聞かれなかったし、浣腸もされませんでした。担当の看護婦には点滴用の針を何回も刺し直され、両腕に穴がいっぱい、手術の次の朝も採決するのに何度も針を刺し直されたのです。担当の看護婦は正社員ではないのかと思ってしまいます。手術室に入ると麻酔用の点滴を追加され、効いてくると喉がむず痒くなるからと言われた途端にそう感じたけど、そこからその後のことを全く覚えてません。まるで酒に酔って眠ってしまった時のようです。「ぼんくらさん」と呼ばれたわけではありませんが、名前を呼ばれて目が覚めました。

            

4時ごろに酸素マスクをしたまま部屋まで戻ると、今度は窓際のベッドで周りが少し広くて助かりました。右手の人差し指に差されているのは心電図を無線で送る装置、いっぱいチューブを付けています。酸素マスクは夜には外してくれ、心電図の装置は翌朝10時ごろ、おしっこのチューブは3時ごろに外してくれました。だんだん身軽になっていきますが、点滴は夕方まで付けたままでした。

翌朝から食事、やはりご飯は200gも有ります。朝から食べ過ぎです。次の朝はパン食に変えてくれるよう担当の看護婦に頼んでおきました。

             

手術の翌日、昼過ぎに担当医がやって来て、少し話をしました。夕食後、先生から話があるとナースステーションに呼ばれ、手術のことかと思いきや担当医ではありません。話を聞いていると担当医はインフルエンザに罹ったので帰ったと言います。入院した日から何度か接触しているので、感染している可能性があるので後から薬を持っていくので飲んでおいてくださいと言われました。

             

担当医からうつされるとなると、責任は病院に有ると思っていたら、やはり薬は病院側の負担でした。まぁ常識的な判断だったと思います。家に帰ってからも8日分の薬をくれています。

朝食をパンに変えて貰ったので食パン1枚程度だと思っていたら、カボチャのサラダにゆで卵、バナナ1本にクロワッサンとクリームパンまで付いていました。この病院はカロリー摂り過ぎです。お腹は空いていたのですが、カボチャのサラダとジュースを飲んだだけで、後は持って帰ったのでした。