ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

双調 平家物語

2010-01-12 05:00:00 | 読書
昨年の9月末ごろからこの本を読んでいます。その1年前には吉村昭氏の同名小説を読んでいました。

何故私はこの『平家物語』を何度も読もうとするのか、自分でもよく解りませんが、“祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり”の書き出しよりも“奢れる者も久しからず・・・ 猛き者も遂には滅びぬ・・・”という件が私を惹きつけているのかも知れません。

橋本氏はその盛衰の例証として、唐土の叛臣達、秦の趙高・漢の王莽・梁の朱异・唐の安禄山の名を上げ、いかなる叛臣なのか、彼らは真に叛臣なのかを問いかけていきます。

そして飛鳥に舞台を移し、大化の改新から壬申の乱、鎌足から不比等=天智から天武・持統への変遷、藤原家は不比等の子供達の時代に移り、その四兄弟が揃って疫病で斃れ、聖武天皇の遷都に伴う費えに藤原家に代わって政権を担当した橘諸兄の苦悶、諸兄から政権を奪い返そうと企む不比等の娘=聖武の妃・光明子。この頃に墾田永代私財法が出来、藤原家や官寺の荘園が拡大されていきます。4巻は聖武天皇の娘が孝謙天皇として御世についたところで終わります。

構想は壮大、単に源氏と平家の争いの話ではありません。古代からの王位の継承と臣のありよう、出世や栄華との関わりの話なのです。

                  

不比等の息子四兄弟は夫々、藤原の南家(武智麻呂)・北家(房前)・式家(宇合)・京家(麻呂)を設立しますが、全て疫病で亡くなります。そのうち式家は広嗣の乱や薬子の変で自滅していきます。南家は武智麻呂の跡を継いだ藤原仲麻呂が朝廷に権力を持ち、恵美押勝と名を改めましたが、次世の天皇を擁立することに失敗し、逃亡中に琵琶湖の畔で斬殺されます。

藤原四家のうち南・北・式家は、母が蘇我娼子という同一腹で朝廷では専ら重用されますが、京家は五百重娘という母で何故かあまり登場しません。

藤原家から娘を天皇に嫁がせるという藤原家隆盛の図式を作ったのは、桓武天皇に娘を差し出した式家の藤原百川でした。桓武天皇は第50代の天皇であり、幼き頃から娘を天皇家に嫁がせ、やんごとなきことに勤しむ天皇に代わって政務を執る摂政、幼き天皇に代わって政務を執る関白の職を独占し続けるのは、摂関家から厭われた第71代・後三条天皇まで延々と続いたのでした。
しかし第75代の崇徳院を誕生の時から訝しがった第74代鳥羽院は、御世の帝に崇徳院の長子・重仁親王を担ぎ出し、藤原家の家督争いも絡んで保元の乱が勃発、崇徳院を担ぎこれに敗れた忠実・頼長、勝利した忠通も名目上は未だ関白であったのです。

この保元の乱に至って、やっと平清盛、源義朝が崇徳天皇方として登場してきます。義朝は源為義の嫡男でありながら、父・兄弟が揃って崇徳院方に付いたのに対し、一人鳥羽院方に味方し獅子奮迅の働きをしたのでしたが、都人にはあまり受け入れられなかったようです。なお、源義朝は、あの多田の源満仲の7代目の孫です。

保元の乱の始まる以前、天皇家や貴族の間では男寵が専らであったようです。所謂ホモですね。第72代白河院などは男色の他に、閑院流と呼ばれた藤原公実の娘・璋子を養女として預かり、鳥羽天皇に嫁がせながら、白河本人は璋子と密通し、次世の帝・崇徳天皇を生ませていたのです。万世一系の天皇などと奉りますが、所詮人間であり、何をしでかしてきたのか判ったものじゃありません。藤原璋子は後の待賢門院です。

ここまでで書店に並べられていた『双調 平家物語』は終わり、12月発売の第9巻に続くのですが、12月のいつになっても出版されている気配がありません。

             

仕方が無いので当時よく売れているとして書棚を賑わしていた『日本辺境論』という本を買い求めました。

確かに日本国が成立する以前からこの国に対して影響力を持っていたのは、西方の大陸の大国であり、その地からすると私たちの国は東の辺境にあるのは確かです。逆に新しい(新しくもないのですが)大陸の大国からすれば、太平洋で隔てられてはいるものの西の辺境に位置するのも日本国なのかも知れません。

でもこのように考えると今年のWカップ開催国南アフリカも辺境だし、ノルウエーやフィンランドも然り、イギリスだって日本とよく似たものです。

これらの国が同じような共通性を持つなら、辺境論も意味を持つのでしょうが、そこまでは論及していません。

著者本人が認めていることですが、この本はいろんな方々が研究し発表してきた日本人論の焼き直しです。私にすればそうだなと思うところもあるし、意味不明なところもあります。敵わなかったのはあまりに横文字が多いこと、これでは私たちの年代はいちいち新語をマスターしなければ読めません。

例えば“アモルファスな、どろどろしたアマルガムをつくろうとします”って私には何をどうつくるのかさっぱり解りません。先の戦争以前の旧字体で書かれた本も読み辛いし、最新のこういった横文字ばかりを並べた本も読み難いものです。

                  

そうこうしているうちに年末休暇に入ろうかと言う頃になって、やっと第9巻が発刊されました。

保元の乱が治まり実権を握るのは、藤原傍流の家に生まれ、学の高さから高階家へと養子に出され、いくら勉学に勤しんでも官位につけないことを嘆いて出家した僧・信西。御世に摂関家の影響力を排除し、法を以って世を統べようと考えたのでした。

こういう件を読んでどう思いますか?
“中関白家の三男藤原隆家の裔である忠隆を父とし、葉室流の権中納言藤原顕頼の娘を母とし、六条流の中納言藤原家成の娘を妻とした男。異腹の姉を家成の嫡男隆季の妻とし、同腹の妹を、前の関白藤原忠通の嫡男である関白基実の妻とし、同じ腹の弟信説に、葉室流の次男惟方の娘を妻として迎え、幼い嫡男信親に大宰大弐平清盛の秘蔵の娘を妻として贈られた男。朝廷に意味をもって連なる男達のことごとくに縁を結び、御世の帝の父院のご寵を独り占する男”
読んでいて何か何だかさっぱり解らなくなって、眠ってしまいそうです。この本にはこういう件が多くて困ってしまいます。

その人の持っている学識とか、その人の行った論功で昇進する世ではなく、単に帝の寵愛のみが一族の栄華へと導いていく、そんな世を正そうとした信西は、当にその“中関白家の・・・男。異腹の姉を・・・男。朝廷に意味をもって・・・ご寵を独り占する男。”藤原信頼によって都を追われるのでした。平治の乱が始まってこの巻は終了しています。

この小説は16巻まであって、第10巻は1月発刊予定ですが、未だに発行されていません。

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