ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

若宮八幡宮 Ⅱ

2010-01-19 05:00:00 | 神戸にて
読めないと余計に気になる性分の私は、何とか読めないものかと、角度を変えて立て札の字を撮ってみました。

            

これで何とか読めるでしょうか。

『人皇第15代応神天皇 第十六代仁徳天皇祀る 若宮八幡宮は往古より 厄除神として一般庶民の崇敬篤 殊に東舞子の氏神として 吾々住民ひとしく朝夕の御加護を蒙りつつある』と書かれています。

人皇というのは初代を神武天皇として数える代々の天皇のことですが、実際に実在した天皇は仁徳天皇より10代ぐらい後の人ではないかと言われています。

堺市に大仙陵古墳と言われる世界最大の陵墓がありますが、私どもが歴史を習った頃は仁徳天皇陵と教えられました。名前が変わったのはおそらくこの陵墓が仁徳と名乗った天皇のものであるのかどうか、疑わしさが残るからなのでしょう。

由来の最後に書かれている“御加護を蒙る”という表現ですが、蒙るというと何か災いを蒙るような、御免蒙るとも使いますし、良くないことを頂くような表現だと思いませんか。
御加護なら、授かるとか、戴くとか、賜るとかの表現がしっくり来るような気がするのは私だけでしょうか。

                  

最初の写真で改築記念碑が建っているのが判るのですが、いつ改築したのかが判りません。立て札の裏書を見ると昭和53年になっていますから、今から三十数年前に改築されたものだと思われますが、碑はそのまま残るとしても、この立て札はそのうち立て替えられそうなので、やはり改築記念碑にその年月日を入れてほしいものです。

             

狛犬の後ろに散歩道が見えます。神社の裏側は歩いたり出来ないものが多いのですが、ここはオープンですね。神社の裏などと言うと、夜市のような霊界への入り口がありそうで気味が悪いです。

             

でも道さえ踏み外さなかったら、そのような霊界などに落ちることもありますまい。夜でもないのでヘッチャラです。でも夜歩くのは怖いでしょうね。かなり寂しいところです。

             

この公園を出るところに(駅から来れば入り口に)地元の中学生の字による『兵庫県立舞子公園』の碑がありました。これだけ見れば、旧木下家住宅と若宮八幡のある小丘が舞子公園だと思ってしまうのですが、あの孫文記念館のあった辺りまで、総合して舞子公園と呼んでいるようです。

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