出張で、福島県南相馬市に震災関係では無いですが行ってきました。
仕事で行ったのですが、震災の影響を実感することができ衝撃を受けて帰ってきました。
仕事は昨日だったのですが、私の住む下呂市から南相馬へ遠いので一昨日に福島入り、新幹線を乗り継ぎ福島駅に降り立った時には震災の影響を感じることができることは2年近くたった今では、私にはできませんでした。
福島から南相馬へは路線バスを乗って行ったのですが、南相馬市の原町へ向かう道中で川俣町に差し掛かったところで異変に気がつきました。
庭の雪が、除雪されず、カーテンで閉ざされた家が目立ち、人気が無い・・・・。福島第一原発の事故で避難している集落を走っていたのです。
まさにゴーストタウン。異常な雰囲気です。
宿をとっている原町に到着し、ホテルにチェックインして原町を散策している最中に、お菓子屋さんが目に入り、帰りの道中の、おやつを購入しようと思い入ります。
お菓子を調達してから、原町のことを、お店の人に聞いていたら震災の話になってしまいました・・・
幸いなことに、原町は南相馬でも復旧が早かったが、他の地域は第一原発の事故の関係で復旧が遅れている話やら。
そんな流れの中で、「津波は近くまで来たのですか?」と聞いてみたら、「ここは大丈夫でしたが、近くの国道6号線の近くまできたんですよ。」
「今は雪があってわかりにくくなっていますが、今でも津波の痕跡ははっきりわかります。」
「是非、見に行って目に焼き付けて、周囲の人に伝えてください。」と。
「歩ける距離ですか?」「ちょっと、遠いですが歩いて行けますよ」というやりとりがあったので、あとで地図で確認をしたら海まで5キロぐらいです。翌日の仕事での待ち合わせは午前9時30分。早起きすれば行ってこれる!と思い。早朝6時にホテルを旅立ち海まで行ってきました。
歩き出し、30分ぐらいしたところから、津波の痕跡を見つけることができ、ところどころに瓦礫が積み上げられている状況。小一時間かけ海岸線に到着したら、破壊された防波堤や、瓦礫の山が。
集落があったであろうところには、今は何もなく荒れ地となっていました。
被災前のことは私は知りませんが、津波のすさまじさを知るのは十分すぎる状況でした。
その荒れ地の中にポツリと、真新しい神社が目に付きます。復旧に向け少しだけ動き出したのだなと思いながら写真を撮り。
迫っている仕事の待ち合わせ時間に間に合わせるため足早にホテルへと戻ったのでした。(途中少し走りましたが・・)
仕事で行った現場は警戒区域に近いところで警察官がゲートの前で立っている姿を見て原発事故の影響も感じました。
途中のゴーストタウンや警戒区域の存在。2年近く経ても、進んでいない復旧。
大変な地震であったことを実感した福島の出張でした。
津波の被害で大変だったのに加え福島第一原発の事故。これは余分だし原発なんていらないと率直に思ったのでした。
そんなことを、出張先で会った人に話たら「歩いて行ったんですか?言っていただければ車を走らせたのに」と言われました。
「これは仕事じゃないですし。昨日であった方に、是非、見てくださいと言われ思い立ったから行っただけですので」真面目な返事をしたのでした。
朝に、10キロ以上歩くというのは世間一般的に見ると、どうも普通では無いと思われてしまうようで、仕事で出会った福島の方々は口々に「元気ですね~、よく歩きましたね」言われてしまいました。
ただ、強行軍で行ってみたことで、テレビの中バーチャルな世界だった東日本大震災が、私にとって現実のものとなったので、私自身は良かったと思うのです。
我が儘言って、車で連れていかれたので実感が薄まったでしょうから。
お菓子屋さんが、うっすらと涙を浮かべながら「是非、目に焼き付けてください」と言われたことが脳裏に焼き付いて離れません。一生、忘れることができない出来事となると思いながらブログに向かっています。
そうそう、ちゃんと仕事はしてきましたよ。内容は最新鋭の林業機械の調査だったんです。実は・・・(管理人)
歩いたところ
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村のいろいろなランキングに登録してみました。
ポチッとしてくれると、嬉しいです!!
仕事で行ったのですが、震災の影響を実感することができ衝撃を受けて帰ってきました。
仕事は昨日だったのですが、私の住む下呂市から南相馬へ遠いので一昨日に福島入り、新幹線を乗り継ぎ福島駅に降り立った時には震災の影響を感じることができることは2年近くたった今では、私にはできませんでした。
福島から南相馬へは路線バスを乗って行ったのですが、南相馬市の原町へ向かう道中で川俣町に差し掛かったところで異変に気がつきました。
庭の雪が、除雪されず、カーテンで閉ざされた家が目立ち、人気が無い・・・・。福島第一原発の事故で避難している集落を走っていたのです。
まさにゴーストタウン。異常な雰囲気です。
宿をとっている原町に到着し、ホテルにチェックインして原町を散策している最中に、お菓子屋さんが目に入り、帰りの道中の、おやつを購入しようと思い入ります。
お菓子を調達してから、原町のことを、お店の人に聞いていたら震災の話になってしまいました・・・
幸いなことに、原町は南相馬でも復旧が早かったが、他の地域は第一原発の事故の関係で復旧が遅れている話やら。
そんな流れの中で、「津波は近くまで来たのですか?」と聞いてみたら、「ここは大丈夫でしたが、近くの国道6号線の近くまできたんですよ。」
「今は雪があってわかりにくくなっていますが、今でも津波の痕跡ははっきりわかります。」
「是非、見に行って目に焼き付けて、周囲の人に伝えてください。」と。
「歩ける距離ですか?」「ちょっと、遠いですが歩いて行けますよ」というやりとりがあったので、あとで地図で確認をしたら海まで5キロぐらいです。翌日の仕事での待ち合わせは午前9時30分。早起きすれば行ってこれる!と思い。早朝6時にホテルを旅立ち海まで行ってきました。
歩き出し、30分ぐらいしたところから、津波の痕跡を見つけることができ、ところどころに瓦礫が積み上げられている状況。小一時間かけ海岸線に到着したら、破壊された防波堤や、瓦礫の山が。
集落があったであろうところには、今は何もなく荒れ地となっていました。
被災前のことは私は知りませんが、津波のすさまじさを知るのは十分すぎる状況でした。
その荒れ地の中にポツリと、真新しい神社が目に付きます。復旧に向け少しだけ動き出したのだなと思いながら写真を撮り。
迫っている仕事の待ち合わせ時間に間に合わせるため足早にホテルへと戻ったのでした。(途中少し走りましたが・・)
仕事で行った現場は警戒区域に近いところで警察官がゲートの前で立っている姿を見て原発事故の影響も感じました。
途中のゴーストタウンや警戒区域の存在。2年近く経ても、進んでいない復旧。
大変な地震であったことを実感した福島の出張でした。
津波の被害で大変だったのに加え福島第一原発の事故。これは余分だし原発なんていらないと率直に思ったのでした。
そんなことを、出張先で会った人に話たら「歩いて行ったんですか?言っていただければ車を走らせたのに」と言われました。
「これは仕事じゃないですし。昨日であった方に、是非、見てくださいと言われ思い立ったから行っただけですので」真面目な返事をしたのでした。
朝に、10キロ以上歩くというのは世間一般的に見ると、どうも普通では無いと思われてしまうようで、仕事で出会った福島の方々は口々に「元気ですね~、よく歩きましたね」言われてしまいました。
ただ、強行軍で行ってみたことで、テレビの中バーチャルな世界だった東日本大震災が、私にとって現実のものとなったので、私自身は良かったと思うのです。
我が儘言って、車で連れていかれたので実感が薄まったでしょうから。
お菓子屋さんが、うっすらと涙を浮かべながら「是非、目に焼き付けてください」と言われたことが脳裏に焼き付いて離れません。一生、忘れることができない出来事となると思いながらブログに向かっています。
そうそう、ちゃんと仕事はしてきましたよ。内容は最新鋭の林業機械の調査だったんです。実は・・・(管理人)
歩いたところ
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村のいろいろなランキングに登録してみました。
ポチッとしてくれると、嬉しいです!!