テルミンとJAZZ
テルミンやマトリョミンの話。私、こちろうこと相田康一郎のプロフィールは左メニューバーのCATEGORYを。
 



(その1からのつづき…その1はコチラ

何曲かの演奏の最後を締めくくるのは聞きなれたあの曲、世界中の子供たちが子守唄がわりに聞いて育ったあの曲、そう、「ニチェボー!な日曜日」だ。


曲が終わって、万雷の拍手が鳴りやまない。ロシア語の「ブラララーーヴァ」という巻き舌たっぷりの野太い声も観客席からホールじゅうに鳴り響く。

ひとわたり拍手が響いた後に、司会者から、今日の目玉である、創設時代のニチェボー!による演奏音源の発表がアナウンスされ、会場はふたたび静まりかえった。

ステージ上にはスクリーンが下りてきており、数名で始まったころのニチェボー!の姿が映し出される。古い静止映像で、まだ3次元化もされていない。
(あ、ご先祖の康一郎さんだ。ピアノ弾いてるのがテルミン、マトリョミン曲で有名なハシモトユーコかー、ちょっとお母さんに似てるな。「勉強しなさいっ!」って声が聞こえそうだ。やなこと思い出しちゃった。それにしても、康一郎さんは何度みてもボクに似てるな。じゃなくてボクが似てるんだった。)
と、考えていると、会場の大型スピーカーから大昔の音源が鳴り出した。
ピアノの前奏から始まるあの曲が聞こえてくる・・・タンタタタ、タンタタっタっ、タッタッター♪、、、♪・・・・。
(ここで当時の演奏音源をお聞きください→コチラをクリック)
 
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こちろうは司会者に呼ばれてステージに上がった。現代のニチェボー!団員さんから笑顔と拍手で迎えられる。会場もまたもや大きな拍手の渦でいっぱいだ。
ステージ上の団員のなかには200年以上前にがんばっていた創始者たちの音を聞いて涙したものもいた。

相田康一郎の血を引くものとして拍手を浴びながら、こちろうは遠い存在だと思っていた康一郎に思いをはせていた。
(おじいちゃんのおじいちゃんのそのまたずーっとおじいちゃん、ボク、またテルミンやるよ。マトリョミンもやりたいよ。)この数年受験やなにやらでやめていたテルミン、マトリョミンをまた始めようと思ったこちろうであった。
「普通の勉強もつまんないと思ってたし、ボストンのテルミン音楽院に入るぞ!」

(とりあえず、おしまい。)

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