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テルミンとJAZZ
テルミンやマトリョミンの話。私、こちろうこと相田康一郎のプロフィールは左メニューバーのCATEGORYを。
 



こちらの記事(▲△ 自然との戯れ 我が心の旅路 △▲)では既存の楽器用の曲をテルミンで演奏することに「無理」を感じておられる。テルミンを全否定しておられるわけではなく、むしろテルミンの独創性を活かすのには「そのおもしろさを生かした編曲が必要」と考えておられるのである。

こちらの記事(頭の中)でも、やはり、「難しすぎる」というご感想。


ちょっとこれらのご意見の趣旨と離れていくかもしれないが、私は「既存の楽器用の曲」でも普通に感じていただける演奏ができるようになりたいと思っている。

3年のつきあいでしかないが、今も私にとって、テルミンは確かに「おもしろい」楽器であり、普通でないところに惹かれている部分が大いにある。
また、テルミンのために書かれたオリジナル曲がどんどん書かれて演奏されることは素晴らしいことと考えている。

しかし、以前にも書いたが、その一方でテルミンを弾き続けるほど、それを「普通の」楽器に感じてきている。テルミン演奏において結局最終的に要求されることは適格な音程と繊細な音量コントロール、安定したロングトーンであり、美しいビブラートである。それを可能にするために訓練を必要とする。
憶測だが、サックスやトロンボーンなども世に初めて出てきたときは「とても特殊で変わった独創的楽器」と受けとめられていたのではないか。
テルミンの普及が停滞していた理由の一端は、おそらく、「変わった」「不思議な」「特殊な」「独創的な」では一時的興味は惹けても長期的な発展にはつながらなかったということがあるのだと考える。今後楽器として将来にわたって永続して演奏され続けるにはそこから一歩抜け出て「普通の」楽器となる必要があるだろう。

このように考えるのは、私の師匠がテルミンのポルタメントを「イザ」というときの道具としてしか使わないことなど、「普通の」音楽演奏を追求しておられる影響大であろう。
このような考え方は、上記のように、この楽器の将来の長期的普及拡大につながると思っている。

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