テルミンとJAZZ
テルミンやマトリョミンの話。私、こちろうこと相田康一郎のプロフィールは左メニューバーのCATEGORYを。
 



承前(11/22の「その1」からのつづき)

⑤レッスン申込み困難・・・フレンズオブテルミンや教則本販売記念の際に、暖かい言葉でレッスンへのお誘いをいただいた現師匠の池袋コミュニティカレッジでのレッスンに、相当気合をいれて申し込む(2002年秋頃か)。しかし、空きが出ず、2度失敗(6ヶ月以上待機)。3度目は休日の新規申込受付だったこともあり、朝一に薄暗い窓口に並び、必死に申し込んだ。やっと入れた。

⑥レッスン始まる前の猛練習・・・竹内正実氏による継続的なレッスンを池袋コミュニティカレッジにて授かることになった。最初のレッスン日が迫り、事前にメールのやりとりなどを行い、レッスン用の曲を「北の国から(さだまさし)」に決め、自宅での練習を行った。毎日仕事から帰宅したあと、土日の休日も全部、練習した。このときと、池袋のレッスン開始前後3ヶ月から半年くらいが、一番、練習時間をかけていた時期だったと思う。仕事の状況や家族の状況もそれを許した。

⑦最初のレッスン・・・大緊張で、手足震える。他のクラスメートさんの目線が冷たい(本当はそんなことはないのだが、そう見えた)。 この、最初のレッスンから、曲全体の強弱のつけどころのおかしさ、あるいは演奏の平板さ、を指摘される。と同時にビブラートという大きな課題が生まれる。これに、しばらく苦労を続けた。

⑧ビブラートがうまくかからない・・・でも、お師匠様からは「ここは短い音符ですが、一往復でもいいですからブルン、ブルン、とビブラートをかけるべきです!。」などと、いとも簡単なことのように、当時の私にとっては無理難題とも思えるご指導をいただき続ける。ありがたや、ありがたや。

⑨ビブラート克服・・・「こくふく」などといえるような技量ではまだないが、最初の頃のダメダメビブラートからすれば、随分と聞けるものになってきた。どうしてか、については、あるいはどうやって克服するに至ったかについては、別途記事にしたい。そのうち。っていうかー、どうして出来るようになったかわかんなーい(ジョシコーセー風に)。いつの間にか、である。多分、きちんとした「かけかた」を習って、そのビブラートのことを意識して曲の練習を継続して行うことにより、いつか出来るようになった、ということであろう。

(思えば、孤独なテルミン生活(?)である。家族は無関心、もしくは「気持ち悪い」との苦情を出すのみ。FOT東京支部のサロンにしばしば顔を出したり、竹内氏のレッスンを継続し始めて、だんだんとテルミン同好の仲間が増え始めてきた。)
 
またまた長くなったので、次回につづく(たぶん)。

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