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蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

川田順造先生の文化勲章授賞を祝します

2021年10月27日 | 小説
渡来部須磨男からの寄稿。
令和3年の文化勲章授賞者に川田順造先生の名を見つけ、昨晩は嬉しさもひとしおでした。先生の日本文化への功績は文化人類学者クロード・レヴィストロースの紹介、構造主義の社会科学への応用など多くあります。それぞれが貴重、重要です。私(渡来部)として「悲しき熱帯」(TristesTropiques)の翻訳、出版はその白眉と高く評価されるかと思います。


川田順造先生(ネットから)


社会科学系フランス語の翻訳は大変難しい。語彙、文法、文章構成が日本語と大きく異なり、直訳では意味が通じない。同作品はポケット版で一冊497頁、先生はハードバック2冊分に訳しました。半分近くが訳注と解説に割いているかと思えます。これら解説に労力を費やしたか、14年かけて完訳にこぎつけたと聞きました。
この完璧性のおかげで読みやすく、理解しやすい珠玉の名訳を私達は手にすることが出来ました。
エピソードを。
私は学生の時、先生から1年間講義をうける栄誉を得ています。その時先生から一冊の本を借りました。写真(Social Structure in Southeast Asia, Murdock著)。まだ借り続けています。返しはぐれた理由はあります。
先生の講義の年(1967年)の後、私はフランスに留学してEcole Pratique des Hautes Etudesに2年在籍(1968~70)しました。先生がパリにやって来て食事をした記憶があります(1969年)。翌日にはレヴィストロースの公開講座(Collège de France)の予定があって、階段教室で同席いたしました。講義の終了で先生はレヴィストロースに近寄り、一言二言を交わしました。格好いい姿と記憶しています。
実は前の晩の食事で、先生はなんとなく暗かった。1969年は学生運動が激しかった年で、後に聞いたのですが、研究室に活動学生が入り込むなどの乱暴を働いた。69年の時点で大学を離れると決めていたのかと、今になって思い返しました。70年に帰国したときには先生は大学を辞めていました。本は返せませんでした。助手さんに「先生は 」と尋ねると、大きな施錠されたカバンを指し、これしか残っていないとの答え。書籍が充満して重い、移動できない、所有者の席は無いけど本だけは置いてあるでした。
受賞者の紹介で87歳と知りました。末永く研究を続けて下さい。


返しはぐれた本の表紙

先生の書名

(渡来部、2021年10月27日)

ついでに;
渡来部の留学顛末、レヴィストロースの公開講座の模様は
http://tribesman.net/epras.html
ブログでは
https://blog.goo.ne.jp/tribesman/d/20200204
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