
絵画はアンリルソー(税関士のルソー)の「熱帯」(ネットから)説明は文中。
前回は「題名の“悲しき”熱帯は苦肉の訳」で終えました。(川田順三の訳本)
原文の表題はTristesTropiques複数形です。もしあらゆる熱帯地方について語るなら定冠詞複数のLesを冠に置きます。すべての熱帯地方に共通する、ある何かを伝えるならLe(定冠詞男性形)を載せます。しかし冠詞が無い、と言うことは全てでも代表でもない。彼が知る範囲の、ある幾つかの熱帯地方について、それらが「悲しき」と言っています。「私は全ての熱帯を知る訳でない、訪れた熱帯の幾つかが悲しい」とレヴィストロースは教えています。
「悲しき」は悲しいの文語の言い回しなので、以下悲しいを取りますが、この語がくせ者です。くせ者振りを別の言い回しで説明します。
「嬉しい贈り物」を考えると、嬉しいは贈り物にかかる形容詞なので贈り物の数多い属性:高い安い、見てくれが良い、包装紙が老舗だなどの一つの属性としての「嬉しい」です。となれば贈り物が「嬉しい」と心が弾ませるとの表現ですが、その通りでしょうか。違います、貰う人が「タカシマ屋の紙で包装されたトラヤね、嬉しいわ」と喜ぶ。すなわち形容詞の「嬉しい」は名詞の属性ではなく、受け取る人との「相関」を表すことになる。
形容詞を用いる側の「感情移入」が形容詞に紛れています。日本人は時に形容詞を己の感情移入に使い、読む側もその様態で受け止めます。
もう一例「楽しい哲学講義」「もっと楽しいフランス哲学講座」あり得ない例で恐縮です。
形容詞「楽しい」とは、その語を受ける哲学講座が「今日は生徒が五人と多い、楽しいな」と嬉しがる訳ではない。出席する受講生に楽しみを与える「楽しい」です。するとこれもまた、形容すべき名詞の属性を示す役割から疎外されてしまった。名詞属性など無視した変幻自在の使い方、感情移入がここにも見られる。
しかし「赤いバラ」はバラが赤いのであって、眺める愛好家が赤面するとの意味はない。
どうも喜怒哀楽を表す形容詞には感情移入が前提となる、と投稿子(蕃神ハガミ)は考えます。(万葉集をひっくり返せば感情移入としての修辞法の歴史が出てくる。これはそのうちに)
しかしフランス語形容詞にはこの「感情移入」が全くない。
あくまで名詞を、存在する物体と“デカルト的に“とらえて、その本質、属性を説明する機能です。文法の説明書「le bon usage」を開くと形容詞の説明に「pour exprimer une qualite de l’etre ou de l’obejt」=物体、対象物が持つある一つの性質を表現する=とあります。それ以上でも以下でもない。すると「悲しい」に感情移入をしてしまう日本人の受け止めかたと、レヴィストロースの用い方とで乖離が発生する。「Triste=悲しい」には「読者を悲しませる何かが」熱帯地方にはあると理解するし、投稿子もそう受け止めていたが、これが誤解。
TristesTropiquesの意を正しく訳するとtristeをどう訳すかにかかる。辞書のRobert(petit)を紐解くと同義語にabattu,afflige,decourageなどが上がっている。悲しい中身には「うちひしがれた」「悲嘆に暮れた」「自信を喪失した」。投稿子は「惨め」を取ります。惨めは悲しいよりも強い表現だが、感情移入はない。
TristesTropiquesとは「幾つかの熱帯地方の惨めさ」、これが感情移入を遮断する意味において正しい訳です。しかしそんな表題の本を買う人はいません。悲しき…として気を引いて読ませる、あるいは購読につなげる。その意味では正しい訳です。(なお川田は室の訳語を踏襲している)
一方でレヴィストロースは別の手法で読者の感情移入を誘い、その大胆な試みが成功しています、名詞の含意と対立する形容詞を使う修辞です。有名なのは<LaPenseeSauvage>(野蛮な思考)。単数の定冠詞Laがあえて挑戦的に置かれます。「野蛮人の思考には実態があって本質も確かにある」との意が含まれます。野蛮人に思考だって、あり得ない形容詞の使い方Auximoreとして当時(出版は1961年)盛んに喧伝されました。
そしてTristes…について。
熱帯はかつて(本書が出版された1955年においても)悲しくは無かった。豊かな動物相、植物相を持つあこがれの地であった。レヴィストロース自身も<太陽、ココヤシの茂り…>とあこがれを述べている。投稿子は哲学の師PierreGodo氏にTristes…もauximoreの表現法かと尋ねました。彼はそこまでの対立はないと答えました。
熱帯が実はTristes(悲惨)だったとは、と読者の気を誘います。アンリルソーのちっとも悲しくない熱帯、夢を誘う1点を冒頭に掲載しました。
猿でも構造、悲しき熱帯を読む 2の了 5月11日
(表題1回目は5月8日投稿、次回は5月15日を予定)