昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

ギンリョウソウ

2007-06-20 | 自然界
書写山円教寺への参道沿いの崖に珍しいギンリョウソウが出ていた。
 こんなに多く一度に見たのは初めてである。落ち葉の腐葉土から栄養をとって、光合成をしない。
 キノコではない。何故なら花が咲き実がなるからである。実は熟すと割れて中の種子が飛び散っていくそうである。実は見たことがない。
 イチヤクソウ科の仲間で、ユウレイタケとも言われるそうである。

道から2-3mの高さで、大変な崖で大きくなったものだ。カメラ持つ手が届かない。


望遠かけたり、マクロにしたりと、なかなか難しい。


この絵の中に7本は出ているのだけれども分かりますか。


崖下に向かって、行儀良く3本並んで、背の低いのが1本あるのかな。


左:遠くに1本、はぐれ銀竜草がいた。先端の丸い部分が花で、抱葉に包まれている。雌蕊が黒く見えている。
右:これも3本と小さいのが1本並んでいる。


崖にへばりついて、近づいて見ると、案外派手な格好をつけた元気ものであった。


現地にあった案内札である。



墨・色・土の世界

2007-06-19 | 歴史・文化遺産
 機会があって、姫路市の書写山に向かいました。ロープウエイの山麓駅の横に姫路市美術工芸館があった。
 展示品の中で、姫路出身の元東大寺管長清水公照さんの作品を取り上げました。

左:姫路市書写の里・美術工芸館の表示
右:工芸館のパンフレットから、公照さんの部分の切り出し。


公照さんは、日本全国のみならず中国の窯元まで出かけていって、陶磁器の作品を作り続け、ここには作品が300点以上あるという。


姿も色も模様もなかなかいい。


悟りを開いたような文字が並んでいる。「矢が笛・地が太鼓・鳥が歌」この判じ物どう読みますか。みずのととりの年四月とあり、公照のサインがある。


上と同じ文字がある飾り皿。


左:慈眼衆生を視る。
右:手編みなる黒き帽子をつけしまま 熱烈歓迎法師の楫(かじ)
これは彼が中国へ行った時の印象であろう。


清水公照さんにおいても。まだ自戒の偈(げ)が出てくるようですね。

縁切りと縁結び

2007-06-18 | 歴史・文化遺産
 人の悩みを救ってくれるのが、神・仏である。何かしたくても出来ない悩みを救ってくれるお宮のひとつがここである。

願い事を書いたお札(神札)の山ができている。


神札の山にはトンネルがあいている。よく見ると穴の空いた石組みの上に、願い事を書いた神札を貼り付けて、紙片の山となったものである。

誰やら向こうからもぐりこんで来る。


こちらから潜り込んでいる。向こうへ抜ける気だ。


また、次が潜っている。穴は次から次へと大繁盛です。


社務所でお守りが手に入る。縁切りと縁結びがペアに入っている。
現在の縁を切らないと、次の縁が結べないという2次元的発想なのかもしれない。


次に、解説の札があるが、字が消えかかっているので判読します。

 「当神社の主祭神崇徳(すとく)天皇、自ら国家安定を祈られ、もろもろ一切を断って祈願されると云う故事に習い、江戸時代より、断ちもの祈願の習わしあり。縁切り祈願の風習が生まれた。

 旧きを脱皮し、常に新しい新鮮な自分を甦かえらせる縁切り。
 もろもろの祈願を成就にみちびく縁結び
  
 これは神道本来の祓いに通じる道と覚えます。

 上部からの亀裂を伝って、神の力は中央の円形に注がれます。

 夫々の願いを素直に神札に記し、円形に向かって表から裏へ(縁切り)、裏から表に(縁結び)、それぞれ心に祈りを込めてくぐりぬけてください。
 くぐりぬけた後に神札を石面に貼って下さい」


境内の中央にあるお札の山。いったい元の石像の形はどんな形だろうか。

6/17の命咲かそ

2007-06-17 | 話題
 ちょっと素材を変えようと、家の周りを歩いてみた。狭い犬走りにも、今を盛りと命の花が咲いていました。

暖冬のせいで、新芽を例年よりもひどく虫にやられていたクチナシが、例年になく多くの花をつけました。2階のバルコニーからと、正面横からの画像です。
 キッチンフラワーで小さな枝がいい香りを漂わせています。



さてこれは、しげしげと見るのは初めてです。ゼニゴケです。
高さ2-3cmの林というよりもジャングルです。ゼニゴケは花は咲きませんが、ここに見えているのは雌器といわれる器官です。
 ヤシの葉陰のような下にぶら下がっている白くて丸いのが、受精が終わって胞子が生まれて出て行ったあとの袋です。胞子が黄色いなんて、写真を見て初めての驚きでした。色がついているなど初耳でした。


雨の少ない天気で、つぼんでいた傘が、今は精一杯広げて、傘の下にある袋の紐を緩め、胞子が元気よく飛び出していきます。


さてこちらは林になっていないゼニゴケです。よく見ると、杯のような丸い物が見える。ここでは雄雌に関係なく胞子ができて飛び出します。
 ダンゴムシの右斜め上に、丸い杯のようなもの、写真右のほうにも数個あります。


この破れ傘のような雌器は見えますが、雄器はこの傘が、お皿のようになっているのですが、もうこの時期にはお目にかかれませんね。


花の色も知らずに、埋めていた球根が花をつけました。朱色というのでしょうか。

圓成寺2/2

2007-06-16 | 歴史・文化遺産
国宝・重要文化財とともに、庭園の風景です。

赤い色が緑に映える多宝塔の中におわします大日如来は国宝である。塔の中は格子戸の隙間から拝見できました。


どっしりとした国宝の坐像で、坐高98cmは彩色も残り、等身大の美しい姿である。


蓮台から出てきた板の書き物によれば、運慶の作という。


楼門を境内の内側から見たもの。その重厚な風情で、組物の美しさなどは桧皮葺の屋根とともに、端正な姿である。入母屋造りで三手先の軒である。応仁2年(1468年)の再建である。見ているだけで日が暮れそう。


これらの二つの神殿は国宝で、春日堂・白山堂である。全国で最も古い春日造りの社殿という(1228創建)


その隣には「宇賀神本殿」がある。宇賀神(うかのかみ)という神様は穀物の神といわれて、弁天さんと同じで、天女の姿をしているという。


楼門を仰ぎ見る庭園は、方形の中ノ島を浮かべ、山中の静かな雰囲気と相俟って心洗われる思いがする。


鴨が遊ぶ。


池を東の方角から見る。いっそう緑一色で鏡のように景色を写している。


青サギが折からの夕日に照らされて、池の水面にも逆さに浮かんでいる。


お寺の境内に入る裏からの入口にあったが、これは結界だろうか。
 不思議な形をしている。飛鳥の地で、川の両岸をつなぐこのような藁の細工があるが、ここのは何だろうか。
 庭の池からみると北東の方角になる入口だから、もしかして鬼門にあたる方向に作った結界かもね。

園成寺1/2

2007-06-15 | 歴史・文化遺産
奈良から柳生に向かう国道369号線沿いに聖武天皇勅願といわれる忍辱山円成寺がある。国宝と庭園の隠れた古刹である。

庭園がすばらしい。いろいろと理屈のついている庭園もあるが、ここは何も必要でない。退屈させない佇まいである。素晴らしい。


自然界を見事に取り込んだ寝殿造り風の庭園である。平安末期に僧正の手で作られたとされ、浄土の再現であろうし、船を浮かべて楽しめる庭園である。


本堂左手に咲いていたオオデマリが見事、5月中旬の訪問であった。


円成寺(えんじょうじ)は天永3年(AD1112)に阿弥陀如来が安置され、その他国宝・重文を多く持っている。
右:参道入口にある石碑。山号を忍辱山(にんにくせん)という。忍辱とは菩薩の六つの修行法の中のひとつである。

 菩薩は修行を重ねて悟りを開いたときに如来様になる。その為の六つの修行で、六波羅密(ろくはらみつ)と言われる。内容は布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧である。



本堂と右の楼門の屋根の一部に囲まれた中庭を望む。


応仁の乱に関係する兵火に文正元年(1466)に遭い、その後再建された本堂(阿弥陀堂)は、春日造り社殿に両ひさし付である。

柳生の里03

2007-06-14 | 歴史・文化遺産
 柳生は戦国時代の激動の中で、自分の仕える主筋を変えることなどから逃れて、柳生の里に引きこもる。剣の道を極め、剣術の道を選んだ。

 狭い谷の西の高台に、柳生家家老屋敷跡がある。当主は江戸在住が多かったので、家老が実務にあたっている。この屋敷は当時の面影を残している。
 山岡宗八が、昭和20年代に屋敷を買い取って執筆三昧に耽った時もある。


立派な門構えである。


拝観受付がある。


門を入って正面玄関である。「頼もう」とか言ったのだろうか。


屋敷の展示物の中に、長持ちがあった。中央に二蓋笠の柳生の家紋がついている。


二蓋笠について家紋の由来が書いてある。写真が見え難いですね。

概要はこうです。もともとは柳生の家紋は「吾亦紅(われもこう)に向かい雀」であった。
 さて、戦国時代の流れに身を翻弄されていた坂崎出羽守がいた。彼は大阪城落城のときに千姫を救出する。助けたものが千姫の婿になるという家康の約束があった。
 しかし、約束は履行されなかったことに、坂崎出羽守は「武士に二言あり」と叫んで、千姫の外出を狙って攫おうとしたが失敗する。

 幕府は彼を処罰しようとするがうまくいかなかった。そこで、かねて親交のあった柳生宗矩が彼を説得する。

 そして、坂崎出羽守が切腹のときに、自分の家紋である二蓋笠の紋を柳生宗矩に与えた。以来、柳生の家紋となった。

右:家紋入りの鬼瓦


お土産の手拭い。


玄関先の松の植え込みの枝の上に「柳生石舟斎」?らしいシルエットが浮かび上がる。 腰の刀の位置といい、背中から感じる身の構えなど、よくできた面白い松の枝振りでした。


柳生の里の谷あいは、この幅のままで1km位続いている。山里とはこれだ!鉄筋の学校が見える。
 向かいの山の中腹にある白い壁と黒い屋根がチラッと見える。これが高台にあった芳徳禅寺である。




柳生の里02

2007-06-13 | 歴史・文化遺産
石舟斎の館の中には資料室と柳生家所縁の肖像画が本堂に並んでいる。裏山には歴代の墓所がある。柳生の隆盛だった時代を偲んでみる。剣豪小説・講談本など、わくわくしながら読んだ本の世界がここにあった。

この史料室から隣の本堂に繋がっている。展示物の一つ一つは剣術家相伝の活き活きとした品物ばかりである。宮本武蔵とか塚原卜伝とかも出てくる。


剣術の奥義を伝える巻物。
 免許皆伝の時はこれらの内容がすべて伝授されたのである。箱の蓋の上書きの中に「新陰流奥法」「新陰流絵目録」の文字が見える。


どうもこれは新参者の剣術の心得が書いてある巻物のようだ。
 右の三か条以って、初学の門として、これから勉強をしていきましょう、などと書いてある。


剣術の型の絵が描いてある。正眼の構えとかの図解が書いてある巻物だろう。人物の描き方が面白い。


左:柳生新陰流2代当主である柳生宗矩(むねのり)
右:当時親交のあった沢庵(たくわん)和尚


左:ちょっと見えにくいが、三面六臂の仏は麻利支天である。いつも猪の上に乗って姿を見せる。武士の守り本尊である。姿を隠して障難を取り除く。護身・勝利などを祈る。戦国武将前田利家は兜の中に、麻利支天の絵を貼っていたという。
右:柳生家の4代までの系図である。いずれも剣豪小説に出てくる剣術家である。


本堂の裏手の窪んだ土地を越えると、柳生家累代の墓所がある。格式のありそうな墓石が並んでいる。小さな領主であったが立派な大名である。


最も小説によく出てくる柳生但馬守宗矩がここに眠っている。子連れ狼はなかったが、烈堂はあったような気がする


柳生の里01

2007-06-12 | 歴史・文化遺産
 奈良から東へ山中の道を辿って約15kmほどの谷あいに、ひっそりとした隠れ里で僅かな平地に柳生の里がある。あと10kmも行けば三重県境になる。

知行2000石の地方の豪族である。新陰流で名を馳せた柳生一族の故郷である。城があるでもなく、豊かな産物があるわけでもない。剣一筋に生きた人たちの鄙びた里である。後になって12000余石となった。


砦のような物が出来ていたであろう。石舟斎は柳生宗厳(むねよし)の号である。剣客上泉秀綱に新陰流を学び、柳生新陰流の剣術の祖になった。戦国時代は松永久秀に属したが、最後は徳川に仕えた。


この丘の台地は小さな山里の見通しが利く場所にある。


さらに一段高くに屋敷になっていたであろう敷地が広がる


現在、芳徳禅寺という寺になっている。


屋敷内の図があるが、手作りで、すっきりしたものだ。


屋敷の本堂の裏手には前栽がある。禅とは名ばかりの枯山水。


紅葉が目立つ風景は、正面からの風景とは違い、素朴な自然のままである。

みちのく10(完)奥入瀬2

2007-06-11 | 国内旅行
緑の奥入瀬にも、赤が混ざる。

渓流沿いにあるホテルから散策路への入口の庭には、赤い紅葉が植えられている。


新芽からすでに赤い葉をもつ楓である。緑から浮き上がって美しい風景を作る。


こんな色の紅葉もある。ツートンカラーになっている。


このツツジも色が鮮やかである。


真っ赤である。雌蕊が1本と雄蕊が5本見えるでしょうか。


初夏でもさわやかな風が通り過ぎていく。渓流の流れも何と涼しげなことか。柳の花が咲いている。


奥入瀬ガイドマップである。左方が十和田湖、右方に川は流れている。黄色の道が逍遥路で12-3kmある。上流に行くほど、流れも速く、滝も多く、景色がよい。


石ケ戸から上流の渓谷は変化があって、さらによい。今回は朝寝坊したくて上流方面はパスでした。


ナナカマドの花。桜や桃と同じ仲間で、バラ科である。


奥山にあるホオノキは、さすが貫禄で大きな葉である。古代では山での食事のときは、この葉が食器代わりになった。ご飯を乗せて口にしたことが、万葉集にも出てくる。
 今でも朴葉味噌はお土産になる。


まだ若葉で、赤く色づくヤグルマソウの葉はまだ柔らかそうである。右端に小さな花穂が出ている。まだまだ一人前の花が咲くには子供過ぎるのかも。


ぶなは、背が高く、葉を手にとって見ることが困難である。そのとき、この樹幹を見る。幹には多くの苔とか地衣類が着生している。
 好きな木のひとつにブナがある。ブナ林は明るい。

みちのくの旅紀行、これで終わります。長い間ご覧頂き有難うございました。これから再び、撮り滞っている写真などをアップしますのでよろしく。