昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

柳生の里03

2007-06-14 | 歴史・文化遺産
 柳生は戦国時代の激動の中で、自分の仕える主筋を変えることなどから逃れて、柳生の里に引きこもる。剣の道を極め、剣術の道を選んだ。

 狭い谷の西の高台に、柳生家家老屋敷跡がある。当主は江戸在住が多かったので、家老が実務にあたっている。この屋敷は当時の面影を残している。
 山岡宗八が、昭和20年代に屋敷を買い取って執筆三昧に耽った時もある。


立派な門構えである。


拝観受付がある。


門を入って正面玄関である。「頼もう」とか言ったのだろうか。


屋敷の展示物の中に、長持ちがあった。中央に二蓋笠の柳生の家紋がついている。


二蓋笠について家紋の由来が書いてある。写真が見え難いですね。

概要はこうです。もともとは柳生の家紋は「吾亦紅(われもこう)に向かい雀」であった。
 さて、戦国時代の流れに身を翻弄されていた坂崎出羽守がいた。彼は大阪城落城のときに千姫を救出する。助けたものが千姫の婿になるという家康の約束があった。
 しかし、約束は履行されなかったことに、坂崎出羽守は「武士に二言あり」と叫んで、千姫の外出を狙って攫おうとしたが失敗する。

 幕府は彼を処罰しようとするがうまくいかなかった。そこで、かねて親交のあった柳生宗矩が彼を説得する。

 そして、坂崎出羽守が切腹のときに、自分の家紋である二蓋笠の紋を柳生宗矩に与えた。以来、柳生の家紋となった。

右:家紋入りの鬼瓦


お土産の手拭い。


玄関先の松の植え込みの枝の上に「柳生石舟斎」?らしいシルエットが浮かび上がる。 腰の刀の位置といい、背中から感じる身の構えなど、よくできた面白い松の枝振りでした。


柳生の里の谷あいは、この幅のままで1km位続いている。山里とはこれだ!鉄筋の学校が見える。
 向かいの山の中腹にある白い壁と黒い屋根がチラッと見える。これが高台にあった芳徳禅寺である。