龍野城の本城は、背後の山の頂きにあったのだが、平和な江戸時代になって、
この丘に「平城」として存在していたものだった。
正面玄関の広間。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/45/c0ae74c4ea87b14fe8545e6e80f843b4.jpg)
その直ぐ左の部屋は、様式の明治時代を思い出させる会議室。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/90/4e81a2ccad3ac09c2521d47777620780.jpg)
渡り廊下から見る、手入れの良い庭。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/83/2ff276a05382d2341e169bbf9fee4b65.jpg)
奥の間には、お殿様がいても不思議でない部屋である
解説によれば、花鳥風月の絵画と、城主脇坂老中の時代をが復元されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/4f/1c08ccab4301493f4fd15a4ecacd2629.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/7e/3334b75109fb5e7441ce7e20c0e18de9.jpg)
襖額があった。
龍野生まれの三木露風作詞の「赤とんぼ」が街のシンボルになっている。
山田耕筰作曲のメロデイーと共に街のシンボルになっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/61/004f49ac89ba53ee116545b038ffe627.jpg)
左:中庭の枯山水。 右:茶室があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/9f/b42fd2714dd2e2ce8a4d816d13911c0d.jpg)
この書院のような、殿様の居る城の外の庭で、茶室の「待合所」を見つけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/df/e2acd55358179b923c923989e14c8c2b.jpg)
龍野城に関する資料・街のふるさと資産などを集めた展示物が保存されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/0c/a7c09682081ea238dc58847b7b1d38d7.jpg)
さて、龍野城主を200年務めた殿様「脇坂氏」の略歴が出ていた。
その祖は湖北「賤ヶ岳」で柴田勝家と戦った、豊臣秀吉方の七本槍の一人、脇坂安治であった。
戦国時代、日本各地を転々と移動し、武勲を上げていたのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/d4/0db3d65b2df2b4065b4fcf71fde5d2be.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/1c/4cb68e089a0cb5b23dad45b7f019cd22.jpg)
明治維新まで続いたことも、治世が安定していたのでしょうね。
この丘に「平城」として存在していたものだった。
正面玄関の広間。
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その直ぐ左の部屋は、様式の明治時代を思い出させる会議室。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/90/4e81a2ccad3ac09c2521d47777620780.jpg)
渡り廊下から見る、手入れの良い庭。
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奥の間には、お殿様がいても不思議でない部屋である
解説によれば、花鳥風月の絵画と、城主脇坂老中の時代をが復元されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/4f/1c08ccab4301493f4fd15a4ecacd2629.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/7e/3334b75109fb5e7441ce7e20c0e18de9.jpg)
襖額があった。
龍野生まれの三木露風作詞の「赤とんぼ」が街のシンボルになっている。
山田耕筰作曲のメロデイーと共に街のシンボルになっている。
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左:中庭の枯山水。 右:茶室があった。
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この書院のような、殿様の居る城の外の庭で、茶室の「待合所」を見つけた。
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龍野城に関する資料・街のふるさと資産などを集めた展示物が保存されている。
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さて、龍野城主を200年務めた殿様「脇坂氏」の略歴が出ていた。
その祖は湖北「賤ヶ岳」で柴田勝家と戦った、豊臣秀吉方の七本槍の一人、脇坂安治であった。
戦国時代、日本各地を転々と移動し、武勲を上げていたのでした。
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明治維新まで続いたことも、治世が安定していたのでしょうね。
でも様式の部屋にはちょっと驚きました
城の機能が、山上から麓に降りてきて、どこか明治維新の香りがする建築物ですね。