薬師堂を出ると、三重塔が冬の空に突っ立ている。
現代の盗賊が出入りしていた頃に火を出した塔である。
本堂の正面である。何ともその古刹ゆえに化粧裏屋根の白色が消えかけている。建築材も角がすり減っている。
本堂の祭壇は花が飾られ、色彩に富んでいる。なかなか仏の世界は賑やかな感じである。
扉が開いているときの写真があった。
普段は扉の中では、いろいろと話題が弾むことでしょう。薬師如来と日光月光と十二神将である。
本堂を覆う伽藍の下には、派手な美しい間斗束(けんとづか)を持ったお堂である。
ここは更に新西国札所になっている。
西国33札所は、平安時代からすでに盛んであった古蹟である。
新西国33札所めぐりは、大正時代に新聞社が企画して、新聞読者の意見も入れて設定したと言う。、
西国薬師49番は、平成元年に奈良薬師寺の高田高胤氏が唱えたものである。
花の寺25番は、平成5年に、本山の寺を避けて1番の観音寺の和尚が音頭を取って作ったと聞く。
また西国33+坂東33+秩父34=100で札所めぐりは完成するとも言います。
蛇足ですが、
西国33番は番外が3箇所あり、それを3回まわると(33+3)×3=108で煩悩の数になる。
札所めぐりのきっかけを教えて頂いた先生から聞きました。
この優雅な流れるようなラインを見せるのが、国宝の太子堂。
鐘楼の向こうに見えるのが観音堂。その背後の大屋根が宝物館になっていて、仏像などが集めて収納展示されている。
宝物館では、これまで見ることのできなかった国宝級のものが並んでいた。(この項つづく)
現代の盗賊が出入りしていた頃に火を出した塔である。
本堂の正面である。何ともその古刹ゆえに化粧裏屋根の白色が消えかけている。建築材も角がすり減っている。
本堂の祭壇は花が飾られ、色彩に富んでいる。なかなか仏の世界は賑やかな感じである。
扉が開いているときの写真があった。
普段は扉の中では、いろいろと話題が弾むことでしょう。薬師如来と日光月光と十二神将である。
本堂を覆う伽藍の下には、派手な美しい間斗束(けんとづか)を持ったお堂である。
ここは更に新西国札所になっている。
西国33札所は、平安時代からすでに盛んであった古蹟である。
新西国33札所めぐりは、大正時代に新聞社が企画して、新聞読者の意見も入れて設定したと言う。、
西国薬師49番は、平成元年に奈良薬師寺の高田高胤氏が唱えたものである。
花の寺25番は、平成5年に、本山の寺を避けて1番の観音寺の和尚が音頭を取って作ったと聞く。
また西国33+坂東33+秩父34=100で札所めぐりは完成するとも言います。
蛇足ですが、
西国33番は番外が3箇所あり、それを3回まわると(33+3)×3=108で煩悩の数になる。
札所めぐりのきっかけを教えて頂いた先生から聞きました。
この優雅な流れるようなラインを見せるのが、国宝の太子堂。
鐘楼の向こうに見えるのが観音堂。その背後の大屋根が宝物館になっていて、仏像などが集めて収納展示されている。
宝物館では、これまで見ることのできなかった国宝級のものが並んでいた。(この項つづく)
そう言えばお寺以外でも日本百名山とか名水百選とか…
日本人はそういうの好きですね
三重塔は素敵ですね。
現代の盗賊と言うと昭和の頃の話ですか?
他との違いを強調して個性を出すのでしょう。
四国88巡礼も歴史がありますね。本気で、すべてを踏破している年配の人をみかけると、頭の下がる思いです。
地元の人たちのお接待なども、心温まるヒューマニズムですね。
本来は、すべて歩くのでしょうが、よほどのことがない限り、マイカーで出かけてしまいます。
案内には春…さつき・夏…ムクゲ・センダン・ハギ
冬…ツバキ・スイセン
とあります。
ここのお寺さんは忙しいのかも知れませんね。