今日、4月5日は鈴鹿医療科学大学のオリエンテーションの2日目。大学の各学科ごとにオリエンテーションが行われ、教員の紹介や受講の説明、新入生たちの自己紹介などが行われていました。僕は全8学科のオリエンテーションを順番に回って、どんなふうにオリエンテーションが行われているのか、見せていただくことにしました。どの科の先生もほんとに一生懸命、学生たちに、修学上の、あるいは生活上のいろんな注意やその学科の特色などを、説明しておられました。
その中でいくつかの学科の学生たちと直接話をする機会があったので、まずは、「僕は誰ですか?」という質問と、「入学式の時に学長が話したことの中で1つでも覚えていることは何ですか?」という質問をしました。だいたい40~50人くらいの学生たちに聞いたかな。
皆さんいったい何人の学生が答えられたと思いますか?
実は一人の学生さんをのぞいては、誰も答えられなかったのです。
これは三重大学の学長をしていた時にも、まったく同じ経験をしました。また、昨日は新入生に対して3学部長の話があったのですが、学生たちに学部長が何をしゃべったか聞いてみても、ほとんど答えられませんでした。これでは、せっかく一生懸命準備をして学生たちのために話したのに、まったく無意味だったということですね。
でも、これが現実です。
実は、これは別に式辞に限ったことではなく、どんな講義でも同じことなのです。講義で伝達された知識のうち80%は1週間以内に忘却されると言われていますね。忘却曲線はとっても急峻です。でも、教えた先生は、これだけのことを教えたのだから学生たちは理解をして覚えているはずであると思い込んでいます。これを「教授錯覚」と言いますね。
毎日、1限目から4眼目(あるいは5限目)まで講義が組まれているのですが、果たして、どれだけの教育効果があるんでしょうかね?話して聞くだけの講義であれば、ほとんど無意味ということになると思います。先生も学生も実に膨大な時間を無駄に費やしていることになりますね。
薬学部では、担任制をとっており、一人の先生が5~6人の学生さんをつれて、学内を回って説明をしたり、いっしょに食事をとっていました。それで、いくつかのグループの学生さんたちをつかまえて、さっそく次の質問をしました。
「じゃあ、どうしたら、忘却を少しでも防ぐことができるだろうか?」
学生たちからはいろいろな答えが返ってきました。
「聞くだけではなくメモを取る」
「3日後と1週間後など、一定の時間を空けて複数回復習をする。」
「予習をする。」
「自分の集中力を高めてから聞く」
「学んだことを他人に話す」
・・・・・
「まったくその通りだね。講義を受けるだけではダメで、自学自習をするということがとっても大切なんだよ。僕の式辞を一言も覚えていないということが、それを証明しているね。」
僕はもう一つ付け加えました・
「みんな、せっかくグループができたんだから、これを活かそうよ。例えば講義が終わった後で、『あの先生のおっしゃっていた、あそこがよく分からなかったんだけと、みんなはどうだった?』って話し合ってみるんだよ。それで、誰もわからなかったら、まずは、みんなで手分けをして自分たちで調べてみよう。それでもわからなかったら、先生に聞きに行こう。こうやって、グループでディスカッションをして、自分たちで調べて教え合うことで、記憶に残りやすくなるんだよ。」
さて、僕の顔を認識することができ、式辞の内容も答えることができたたった一人の学生さんは、どんな学生さんだったのでしょう?
Sさんという薬学部の女性の学生さんだったんですが、なんと、彼女は、僕の入学式のブログを読んでいたんです。
「どうして、僕のブログを読んだの?」と聞いてみると、「以前から両親が豊田先生のブログを読んでいて、鈴鹿医療科学大学に入学した時にお母さんからブログを読むように言われたんです。」という返事が返ってきました。
これは、ブログ冥利に尽きるというものですね。
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