続「とのむら通信」ブログ版

前島本町議会議員・外村敏一(平成29年4月29日付けで引退)
日々の思いや議会傍聴の感想など引き続きお伝えします。

昨日10日の臨時議会にて「高槻市へのし尿処理事務委託」を可決

2016年11月11日 | 議会活動


議案名は「高槻市と島本町とのし尿及び浄化槽汚泥処理に関する事務の委託に関する協議について」と長いもの。
本件は平成21年12月島本町から高槻市へし尿処理事務の委託を申し入れして以来実に7年が経過してようやく決着
(今後高槻市議会での議決が必要)を見ようとしている案件である。予定では来年4月1日から施行。

事務委託の申し入れをした主な理由は、高槻市東上牧に位置する現状の本町のし尿処理場が老朽化していて維持費が
高くつくこと、東上牧の近隣住民からの撤去要望があること、そして両市町共にし尿の処理量は下水道の普及に伴ない
減少していくこと、等を総合的に勘案すれば広域連携で共同事務を行った方が双方にとって経済メリットが出せる。という
ものであった。もちろんそれ以外に本町として町内に新たにコンパクトな希釈放流方式の処理場を建設するという案も
あったが、処理量が減っていくものに新たな施設を建設するのは時代に逆行している。ここは広域連携を模索すべきと
いうことで広域行政勉強会をスタートしたのである。

以上の背景を基にこれまで両市町の間で「高槻市・島本町広域行政勉強会」にて協議を重ねたが、平成23年9月一旦高槻市
から事務委託を断られて本町内にて新設するという決断をした。しかし建設候補地の地元からの反対などもあり、昨年11月
再び高槻市に再協議のお願いをし、再協議の上今回の決着にたどり着いたもの。

しかし再協議をお願いする依頼文書(ここをクリックしてください)には東上牧にある現処理場を撤去した後、4362㎡約1321坪の町有地を
無償譲与することも視野に入れていると記載。このことについては私は正直違和感を覚え、その後の議会での一般質問や全員協議会
の場でも町の見解や町民への説明責任の果たし方など質してきた。又住民説明会を実施すべきだとも何度も訴えて来たが実施せず。

昨日の議案に対する質疑では委託費用の算出根拠や双方の費用負担の考え方、按分などについての確認と、9月号広報での記述内容
の不備(無償譲与について触れていない点)についての見解など質した。
討論では色々紆余曲折を経てここまで来たが本町としても約1321坪もの町有地を無償譲与するという代償を払うのだから今後
とも双方にとってウインウインの広域連携となるよう頑張って貰いたいと申し上げ、賛成とした。
(注釈)
処理施設撤去後の町有地4362㎡の不動産鑑定価格は2社から徴集した結果A社の評価は72.400円/㎡で3億1600万円、
                                 B社の評価は69.300円/㎡で3億200万円であった。
公示価格は15万1000円/㎡とのこと。尚近隣の不動産屋に私が聞いた話での実勢価格(実際に売買されている価格)は
坪40~50万円くらいとのこと。(それで計算すると5億~6億はすることになるが)
本町としては他にも現施設の撤去・整地に約3億円かかると試算している。
   
皆さん「広報しまもと」をどこまでご覧になっているでしょうか?今年の9月号の9ページに「し尿処理に係る事務委託」について
来歴や経緯など簡潔に書かれていますので是非読んで下さい。しかし9月の広報では跡地の無償譲与に関する記述はありません。

更に詳しくは役場1階文化・情報コーナーや図書館、ホームページで依頼文書など見られます。
尚ホームページで「し尿処理事務に係る事務委託の協議について」にたどり着くには大変です。次の順でクリックして下さい。

島本町ホームページ⇒各課の業務内容⇒総合政策部⇒政策企画課⇒政策企画課の計画・報告書⇒広域行政⇒高槻市・島本町広域
行政勉強会⇒最後にPDFで「し尿処理に係る事務委託の協議について」をクリックして到達です。

憲法改正論議が再開される。現行憲法で何が課題か国民的議論をすることがが大切

2016年11月05日 | 日々の思い

  3日の町文化祭式典の一コマ

日本国憲法は昨日11月3日で公布から70年を迎えた。先の参院選で改憲勢力が衆参で3分の2を超え俄然勢いづいている。
確かに国会は改憲のための発議が出来ることになってはいるが(憲法第96条)それは国民の間で改憲の機運が高まってこその
ことであって、政府や国会議員が率先して改憲を煽るのはどうかと思う。現状では国民の中で改憲を望む声より、経済や福祉
政策にもっと力を入れてほしいという声の方が圧倒的であると考えられる。国民が今何に苦しみ、どんな政策やテーマを最も
望んでいるのかを感じ取り、それに応える政治を最優先で実行するのが選良たる者の使命ではないか。

公布以来70年が経過し、激動の現代に相応しくない条項や不合理な文言などあるかも知れない。それなら具体的に条文を示して
ここはこう改正するのが妥当であると示さないと議論がかみ合わない。ましてや「憲法改正に賛成か反対か」などという図式の
アンケートや調査結果の公表は全く意味が無いどころか民意を惑わすだけの危険極まりない所業で許されない行動である。

とりわけ平成24年に作成された自民党の憲法改正草案をベースに議論をしようなんて態度は巨大与党の奢りである。あくまで
現行憲法をベースにどこが現状にそぐわないのかを一つ一つ丁寧に国民に問いかけるべきである。
3日の日経新聞ではかつて経済同友会代表幹事を務められた武田薬品工業会長の長谷川閑史氏が憲法への見解を述べられている。
「公布後70年が経ち、世の中が変わったので充分に対応できない部分があるなら対応しないといけない。ただ現行憲法は世界中
最も簡潔な憲法の一つであり、その精神は受け継いだ方が良い。又改憲より経済政策最優先でやって貰うのが何より重要だ」と。
又ある学者は「日本の憲法は改正の多いドイツやフランスの憲法に比べ、抽象的であることが特徴である。このために憲法を改正
しないと出来ない政策は意外と少ない。従って改正の前に現行憲法で実現できていないものがないかを見る必要がある。そして
憲法審査会では先ず課題の共有が必要だ」と述べておられる。衆議院の解散権への歯止めが無いのは現行憲法の不都合な部分とも。

いずれにしても断言できることは戦後70年間守って平和を維持してきた日本国憲法は世界中に類を見ない究極の平和憲法である
ことである。このことは世界中の識者や学者、政治家までもが「羨ましいまでの平和憲法であり世界の宝」と認め、称賛している。
世界各地で紛争が絶えない現代社会において平和こそが究極の望みであり、戦争の無い世界を実現することが人類の進歩・発展と
するなら9条を変えることは時代に逆行する蛮行である。

大崎善生氏著ノンフィクション「聖の青春」に感銘

2016年11月04日 | 読後感

先月中旬 マキノピックランドのメタセコイヤ並木

読書の秋と言いますが、日頃は新聞か雑誌しか読まない私が久し振りに文庫本を手に一気に読んだ「聖の青春」。
怪童と呼ばれ小学校6年生の頃に指導対局に来た森安九段と飛車落ちで戦って勝ち、相手のプロを不愉快にさせた
ことがあるというエピソードの持ち主である「村山聖」という少年~青年は弱冠29歳という若さで生涯を終える。
彼の将棋一筋のストイックで破天荒な生き方と5歳の時に罹ったネフローゼという病と闘いながらの命を懸けての
名人位奪取に向かって連戦を重ねるすさまじいまでの将棋人生模様は読む者に感動を与えずにはおかない。

お金も名声にも全く頓着しない村山青年はプロ棋士として収入が増えようが相変わらず4畳半のアパート暮らし。
その一方でC級に昇級した頃からは日本フォスター・プラン協会への寄附活動を行っていた。弱者を助けたい、
特に子供を。その思いは自分が小さい頃長い間療養所生活を余儀なくされた村山の願いであり、自分自身が生きて
いく原動力でもあったのだろう。将棋に勝つことによって得たお金を恵まれない子ども達に寄付する、そうする
ことで人を倒し、勝ち上がって行く勝負の世界に生きることの苦しみや自分自身に対する矛盾を少しでも緩和したい
との思いがあったのではないかと大崎氏は書いている。
彼は「早く将棋をやめたい」と口癖のように言っていたという。将棋で人を倒すことはある意味相手を殺し、淘汰する
ことであり、優しい心の持ち主である村山青年には耐えられない世界であったのでしょう。だから早く最終目標である
名人になって将棋の世界から引退したい。これが彼の本音だったようである。それにしても惜しい天才棋士である。

中学1年のとき広島から大阪に出て預かって貰った村山の師匠である森信雄七段との親子以上の慈しみに満ちた
師弟愛や著者である大崎氏(将棋世界編集長)との3人の将棋で結ばれた友愛、5歳の我が子にネフローゼという
病を背負わせてしまった両親の後悔と苦悩、兄姉愛などを織り交ぜた著者の筆致は匠で見事なノンフィクション作品に。
映画「聖の青春」も今月19日に公開される予定。映画の前宣伝を見て是非観に行こうと思っていたが先に原作を読んで
しまったので少し残念な気もするが多分映画も観に行くと思う。
これを機に又読書の数を増やしていきたい。