続「とのむら通信」ブログ版

前島本町議会議員・外村敏一(平成29年4月29日付けで引退)
日々の思いや議会傍聴の感想など引き続きお伝えします。

腐りきったキャリア官僚制度の抜本的見直しが必要

2018年07月05日 | 正義感も倫理観も何もない


これまでも官僚の不正や政官癒着による腐敗行政の数々を見ては来たが、ここまで酷い堕落は呆れて物も言えない。即刻懲戒免職もの。
今回の文部省幹部である佐野太容疑者による悪質極まりない不正(文部行政に手心を加える代わりに息子の入学を約束させた受託収賄)
は「悪行もここに極まれり」の感が否めない。21世紀の今日までも続く我が国の高級キャリア官僚制度の末路を見る思いで口惜しい。

文科省と言えば最近でさえも官僚の天下り斡旋事件や加計学園疑惑問題など不祥事続きの問題省庁である。そんな最中に又もや前代未聞の
悪質事件が明るみに出て国民の行政に対する信頼は完全に失墜したと言わざるを得ない。
今回の贈収賄事件は認可権を持つ文科省と補助金を受ける大学側の利害が一致しての不正入学事件であるが、そもそもこの大学では今まで
にも利害関係者との間で不正な手段での裏口入学が行われていたのではないかと疑いたくなる。この際検察当局は徹底して捜査して貰いたい。

それにしても末は次官とも目されていた人物がこのような低劣で悪質な事件を引き起こすにはそれなりの土壌があるとしか思えない。
東大等を出て上級国家公務員試験に合格したキャリアと呼ばれるエリート官僚制度は明治時代に出来たと認識している。しかしそれは当時
先進国欧米列強に後進国日本が追いつくためにエリート養成が必要だった時代の一つの国策手段だったもので今の時代にはそぐわない。

むしろキャリア制度に悪乗りして立身出世と権力志向に走る官僚をも育ててしまう危険性を包含したまま制度として今に至っている。
ややもすれば彼らは「我々は選ばれしエリートである」という一面だけを意識し、又周囲もそういう目で許してきたのではないか。
今回の佐野容疑者が取った行動は我々常人でさえも普通では考えられない悪行であるにも拘わらず、しかも自分が置かれた立場も省みず
犯した行為には驚くばかりである。そこには倫理観、正義感のかけらもないのでは。

恐らく彼は自分が国民のために役に立つべくエリート官僚の道を選んだことをすっかり忘れ、あたかもエリートだから少々のことは許される
とでも思いながら日常を過ごしてきたのだと思う。又そういう大きな錯覚を抱かせる周囲の環境・風土が組織の中に充満していたからこそ
こんな馬鹿げたことをしでかしたのだと考える。誤ったエリート意識集団の温存は亡国の道へと繋がる。

同じ様な事は森友学園事件における佐川氏にも言える。彼ほどの聡明なエリート官僚が公文書改ざんという大罪を主導し、国会での答弁でも
平然と嘘の答弁をするなどということは本来の意味での国民のためのエリート官僚であるという意識があるのならあれほどの見え透いた嘘は
つかない。国民に背を向けた官僚ほど始末の悪いものはない。正にエリート官僚という言葉が国民に空しく哀しくなるような状況が生まれて
いるのが今の我が国の現状なのではないか。どこが美しい日本なのか。吐き気が出るほど情けない。

それは又選良と言われる国会議員についても同じことが言えるのであろう。国民の為に選ばれし人の集団である筈なのに党利党略、私利私欲
が物事の判断基準になり下がってしまっていて国民の思いと大きく乖離してしまっているのが今の国会運営の実態である。情けない限りである。

最後に今回の東京医科大と佐野容疑者による不正入学事件は文部行政を司る省庁の幹部が引き起こした事件という意味では一層罪深いばかり
でなく、受験生にとっても大きなショックを与えたk戸を考えると文科省の組織としても文科大臣の責任も厳しく問われなければ収まらない。
そして不正のために不合格になった受験生がいたこと、その受験生をどう救済するのか問題は複雑である。全ての責任は文科省や歴代の大臣を
任命してきた政府にもある。この際キャリア官僚制度の抜本的見直しをする良い機会だと思う。