ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔2007 年歳〕 12月14日 ~ 12月30日

2007年12月31日 | 2007 くらし雑感
12月14日
 二階のパソコンにデフラグをかけ”掃除”をする。
思ったより短時間で終わった。
あーちゃんが娘から聞いた小4孫リョウの話。 娘と長男とリョウがそろって町医者へインフルエンザ予防注射にでかけた。
 「注射の順番はどうしようかね」と老医。
「大きい順にお願いします」とリョウ。
 続けて「ママからお願いします。大人は1回しかやらないので、ママにいっぱい注射してください」
 「男のくせによくしゃべるね」
「ありがとうございます」
 「でも高校くらいになると、これが、しゃべらなくなるんだ」
 「いえ、しゃべれると思います」
 ふだんは寡黙な医者も苦笑していたそうだ。
 小4生は物怖じせず、恐れも知らず。
まっ、いいか。

12月15日
朝9時、須賀島の農園で”七人の侍”衆がそろう。
 明日の「五十市」の準備のため。
 明日の町おこしイベント朝市に、我々は芋煮を作って参加しようというもの。
でも赤字は出さない。コスト分は必ず回収する方向で一致して、全員が集まった。
幸い、7人が作った今年のサトイモが山ほどあり利用できる。泥ねぎもNさんの自家製を安く分けてもらう。
サトイモを洗うチーム、これを包丁で剥くチーム、こんにゃくを湯がくチームとさまざまな作業がある。
 泥ねぎもカットして大きなビニール袋に入れて用意。
 味噌、豚肉、箸、おわんなども買い出しにゆき、昼飯は全員コンビニ弁当にビール小缶でワイワイ。
これが農園でのいつもの楽しみな時間になっている。

 12月16日
「五十市」に参加。
宮代のNPOが野菜直売をする場所の隣を借りて、「いも煮」元気鍋を作る。
通りの隣接で肉汁を用意しているのが出店がすでに4店ほどあった。現に、野菜直売の右隣は地元肉屋さんが出店していて、手馴れた様子でトン汁などを作って売っている。
1杯200円の芋煮を”商売ガタキ”が多い中で、売りぬくのは結構しんどい。
しかし、結果は○となった。
 80食の損益分岐はクリアできた。
 大きな元気鍋は杉戸NPOから借りたものだが、鍋の木枠が頑丈にできていたため強風にもガスの火は消えず、煮汁を作る作業は楽だった。
 揃いのエプロンを身に着け、慣れない呼び込みなどをやっていると、どこか学芸会的な楽しみも生まれてくる。
 夜、浦和レッズをテレビ観戦。
 熱戦の末、世界のサッカークラブの3位の称号を手にした。ふだんは野球ばかり声援を送っている我が家だが、埼玉に住んで既に40年。甥っ子、姪っ子は名古屋にも横山にもでかけてレッズに熱い声援を送っている。
 彼らは熱烈なサポータでもあるし、こちらの応援にも少し力が入った。
かって埼玉はダサいとされ「ダ埼玉」とバカにされた時期がある。
だが、見よ。
そのダサイタマのサポータとチームは世界のすばらしい栄冠を手に入れたではないか。
観戦中、ビールも熱燗もグングン進んだ。

12月17日
薄氷 池の紅葉は動かずに

一応、句らしくもあるが、「季語」がふたつも入っていて到底「俳句」にはなってない。 でも今朝の池をのぞいた私の実感だ。
師走も半ばを過ぎたので、飾り出窓2箇所などを含め大掃除。新棚も誂えた。  
国道4号線沿いにできた郊外型本屋「文真堂」にあーちゃんと出かけ、我が家のお孫さんたちのクリスマスプレゼントを5組用意する。
 佐世保乱射事件で車内から実弾2500発が出てきたというニュースに驚く。 古来、この国には検地刀狩りに慣れた風土があるはずで、銃器の取り締まりはもっと徹底すべきだ。
読売朝刊 地方版短信に昨日の五十市のことが出ていた。

◆「五十市」に1万2000人 

◆杉戸◆  恒例の「五十市」が、清地の町役場東側の「みなみ側散策道」を主会場に開催され、約1万2000人の人出でにぎわった=写真=。 地元産品や飲食物の露店、手作り品や健康食材などのフリーマーケットと並んで、児童が出店した「キッズ・マーケット」が大盛況。児童はマイ箸(はし)やエコバッグを手に、「割り箸やめましょう」「レジ袋やめましょう」と環境保護を訴えていた。

夜、高野台の居酒屋で、昨日の「五十市」反省会。 農園四天王と栗橋からはSさんも参加。
・隣接で同じような出店が並ぶなかで80食完売は成功だった。
・買出し材料分(肉 味噌 こんにゃく など)7300円余・運搬車、鍋 への謝礼 エプロン洗濯代など差し引くと 一人当たり500円ほど  の還元 この金額はまとめて農園作業でのガスコンロ購入費用にあ てよう
・原価 一食100円かかるが、これで100杯は作れる
 ・ダンボールやサランラップを用意しておけば”出前”OKだった。
 ・柄杓一杯で汁一杯の分量 次回、検討しよう。
 ・元気鍋のほかに予備鍋が必要か (意見分かれる)
 そのほか来年の農園活用での意見も交換。
スタッフ中心で借りている”7人の侍”の土地の利用については市民農業大学の”実験教室”と位置づけることで合意。
農業実習のあとに翌週の授業のことでスタッフと中村先生との打ち合わせが必要、などなど真面目な農の論議がツマミになって酒がすすんだ。

12月18日
昨年同様、芝生に玄米(古米)の残りをまきスズメを寄せている。
スズメたちの寿命は5年位生きるのもいるらしいが平均すると1.3年ほどとのこと。 ガラス戸越のすぐそばまでやってきて慣れたビンちゃん(貧乏人の秀才だから)とフーチャンはどうしたか。
 見てるとすぐ慣れたのが2匹いるのだが、スズメの顔ってみんな似ているので彼らかどうかがはっきりしない。
でもどうも去年の彼らではないような感じだ。
 あーちゃんは実家川口へ。 終日、読書、テレビ、ネット囲碁対局など。

12月19日
午前中、テニス。
リタイア記念で親族からもらったミニコンポの配置換えをする。
窓越しの飾り棚に観葉植物の場を確保した。
昨年の賀状を整理しながらエクセルで住所録作成。
旧同僚のTのご子息が小山でシクラメン栽培をしているので、これに頼りお世話になった何人かのお歳暮とする。
姪っ子の小6奈々ちゃんの話によると、彼女の学校で「俳画」講義に義兄が登壇することになったとのこと。 
 H兄の俳画は、定年時に地元銀行サロンで展示したところ好評を博し朝日新聞にも大きく取り上げられたことがある。
連夜、「悪党芭蕉」(嵐山光三郎)を読んでいるが、いまこれが最高に面白い。
 寝しなの落語で志ん生の「替わり目」を聞く。

12月20日
賀状書き出しはじめる。
仏壇、仏具の清掃を引き受ける。
玄関周りの下駄箱内部を見直し清掃、登山用、夏用などは物置へ移動。
日本の10大ニュースが発表された。
政治がらみのニュースがほとんど。
明るい話題がこれほどない10大ニュースは珍しいのではないか。 巨人軍セリーグ優勝など読売ならではのはずだが選外にもれている。まあ、クライマックスで勝てなかったのだから当然とは思うが、ではリーグ制覇の意味はなんだったのか。
 今年は「偽」で包まれた話題が多い。 商家でも今や「名」も惜しまず、暖簾のキズも恐れず、ひたすら利益、利益を願って偽装に走る風潮がある。

12月21日
息子がインフルエンザで40度の高熱。
 そのため次男と末娘を預かる。
 2歳の女児の知恵に驚く。
父親が病院に行っていること、だから良い子でいなければならないことをわきまえている。
反面、小1の長男などはまだワカランチンのところがあって母親をてこずらせていた。
今日は、定例の3人囲碁会そして忘年会の日だ。
囲碁の前に将棋2局。 Nさんの将棋がガラリと変わっている。
最強ソフト「ぼなんざ」で稽古をしているようだが明らかに駒一枚強くなっている。
碁敵とは久々の対戦、忘年会とあって、いつになく酒もすすんで懐旧談義に花が咲く。
 夜、ネット囲碁2局。
 置き碁で指導受けるが「地合で有利」とコンピュータの判断があって安心していると結果はそれぞれ10目前後の負け。
この点を相手に質すと「まあコンピュータなんてそんなもの」と諭された。
それもそうだ、注意しよう。

12月22日
 朝から小雨、賀状書き。
京都旅行の写真、CDができたので岩槻のMに発送。
 午後、郷土史研究会に参加。 いま輪読している古文書「浅間騒動」は熊谷の大里郡佐谷郡にある久保家文書のもの。
 久保家は五十八代続くたいへんな旧家の名主さんで、忍藩領所属の人口1010人の大村を差配していたとのこと。
前回は佐渡金山へ引き連れた囚人の群れが浅間山噴火の泥流で川を渡れず、渋川から中瀬(深谷)へ周り古利根川を渡って佐渡へ向かった話などだった。
古文書文中の舞台になっている「六里が原」は鬼押出を含めた浅間山の北東麓一帯とことらしい。

日本テレビ番組「なかそね荘」を見る。 渡辺恒雄読売新聞会長・主筆と中曽根元首相が登場し、テリー伊藤の質問に応える形で自民、民主の大連立構想が浮上したいきさつを弁明したもの。
それだけではなく、プロ野球から朝青龍、ハンカチ王子などの四方山話にも薀蓄までも披露。  
霞ヶ関と大手町の両御老公がしゃしゃり出ているような番組だった。 ふと明治時代の実業家・伊庭貞剛のことばが浮かんだ。
「有害なのは青年の過失ではなく、老人の跋扈である」
 住友総理事でもあった伊庭は58歳の若さで引退。
まあ、人それぞれと思うけど。

12月23日
 残りの賀状書き終える。
新潟より蟹が届く。
 この解凍に夕方までかかる。
ホームパーティで小学生の孫がやってきたので柚子の「ゆべし」を一緒に作る。
 くりぬいた柚子に味噌、砂糖、木の実各種などを入れ蒸しあげて外につるして乾すもの。
 前回のものを試食したが、娘と長男は「けっこういい味」と言い、亭主と次男は「フムっ」と顔をしかめていた。
夜、階下のパソコンが突然不調。
 CDの曲をメディアプレイヤーにinstall中、画面が青い縦線の縞模様に変わる。
やむなく強制終了にし立ち上げたあとシステム復元の処理をした。 ウイルスセキュリティの動きがおかしいためそのソフトをアンインストールして最新のものをinstallしようと思ったがこれがうまくいかない。 やむを得ず真夜中、失礼ながらPCドクターであるTさんにヘルプの電話。
 指示があってどうにか切り抜け助かったが、縞模様の画面は気になるとの指摘があり、しばらく様子を見ることにした。

12月24日
強風の一日。
息子がインフルエンザにかかり40度以上の高熱とのこと。
一部屋に隔離して看護していると嫁さん。孫はみな注射しているそうだが、注意、注意、手洗い、うがいだ。
娘の亭主殿が名古屋へ出張で帰宅遅くなるとのことで娘一行が来訪。
次男のほうに井目で碁を教える。
ルールはネットサイトを使ったが、孫のほうも、じいさまのヘタな説明よりこのほうがずっとわかりやすいらしい。
くずし字用例事典届く。
先日、買った老眼鏡が役に立ちそう。  
「落語美学」( 江國 滋 ちくま文庫)を寝床で読む。  

12月25日
今期最期の市民農業大学。 畳み6枚分の土地を仕切って50センチの穴を掘る。
 これは来年の野菜苗用の床となる。 ここに、畳を敷き、集めてあった落ち葉、乾燥鶏糞、米ぬかなどを混ぜ培養土を入れて時折注水して醗酵保温を保つ。
水遣りは順番制で対応する。
暮れの忙しい時期におばさん”女生徒”が何人も登校して半日仕事となった。
体調もよいのか本日は中村先生が陣頭指揮にあたった。
覆いビニールの袴作りまでが本日の作業。

12月26日
東京で3度。
冷え込む。 早朝、老犬と散歩。総合グランドや葦原などが霜で真っ白になっていた。
戻ってから枯れ枝や草、古い書簡などを菜園で焼く。
 ハクサイ大3個収穫。 菜虫が心配だったが内部はきれいに詰まっていた。
巣鴨の姉にダンボール一箱の大根、ヤマイモ、ブロッコリーなどの野菜を詰めて送る。
大根はみごとにずっしりと重い。
地中20センチに施肥した石灰窒素肥がよく効いた。
 あーちゃんの要望で「女性の品格」(坂東 眞理子 PHP新書)ほか2冊をアマゾン経由で取り寄せる。
 以前に藤原正彦の「国家の品格」というのを読んだが国や母親の品格があらためて問われるている今の時代はなんなのだという気がしてくる。
新聞を整理していたら、気になる記事も目にとまった。
 「日本の学力 理数系トップ級転落」というOECDの国際調査の記事。
 「読解力」では加盟国平均点あたりをウロウロしているひどい状態で1位は韓国の子供。
数学は台湾がトップというもの。
寺小屋辺りから一貫してあった「読み 書き そろばん」の日本の教育力が、とうとう韓国にも台湾にも抜かれはじめた。
格差社会のなか、生きることに懸命な親はDSゲームをこどもの安全な子守役にさせている。
DSは面白すぎて想像力を奪う。本も読まないから読解力が育たない。
外で遊べずに塾を待っている子供も多い。
教育現場も塾の役割を認め、むしろ住み分けをしているような風潮すらあるようだ。
日本は病み始めて下り坂をいま下りつつあるのではないかと思ったら少し寒くなってきた。

12月27日
晴れ。
明日から天気は崩れそうなので、外の縁側のペイント、煤払い、窓上の網戸など清掃。
こ の25日に那須塩原から板室へ引っ越した幼馴染のKちゃんに電話。150坪の戸建て住宅を入手、今後の人生、思う存分に花と畑を作ってみたい由。 いま引越しをしたばかりで、賀状も筆王ソフトもままならず奮戦中とのことだったが、元気そうで安心した。
 風邪などひかずによいお年をとエール。
用語くずし字辞典を毎日、5ページ眺めている。
 知らない文字はもとより、意味も知らずにいた言葉のなんと多いことか。
1日5頁読めば来年1年でこの辞典を読破できる勘定になる。 やってみるか。
「悪党芭蕉」をブログに入稿。 嵐山本との出合いは料理文庫本だったが、彼のレシピをずいぶん試したたことを思いだす。
仮睡1時間後に起きるとまたパソコンが不調。ディスプレーが青と黒の立て縞模様となっている。 内部で起こっていることは結構、重症のようだ。

12月28日
3台のクーラーのフィルターなど掃除。 テレビで教わった軍手雑巾とめん棒が役に立つ。
夕刻より杉戸SOHOクラブの御用納め、そのあと酒屋を改造したクラブで二次会。 自転車を預けOさんの奥方迎え車で帰宅する。

12月29日
朝方の雨が上がって昨日の自転車をとりに酒屋まで行く。
佐藤のおばチャンが松飾の松が欲しいとのことで、菜園の松を切る。 行革メンバーだった地元幼稚園園長で教育委員ののFさん逝去の知らせが入る。
享年47歳の若さだった。

肺気腫が原因だったとのこと。葬儀は正月明けになるとのこと。
瞑目合掌。
大宮で久しぶりにAさんと会う。 〆張鶴の絞りたて、会社の手帳、南高梅のねり梅などをお土産にしてくれた。
赴任先の新潟での放送事業経営の難しさ、ご母堂の看護を通じ介護ボランティアへの意欲など話題はさまざま。
酒をやめているAさんはコーヒー、こちらは、ほろ酔いとなっての2時間余だったが、楽しい時間だった。
 野菜を持参してくればよかったと反省。  

12月30日
システムキチンの周囲をピカピカに磨き上げる。
これで来年もうまい料理を作ろう。
息子一家もやってきて師走最後の買い物に一緒にでかける。 刺身など追加購入。
菜園から大根、白菜、小松菜、ほうれん草を収穫、夕刻、嫁さんが取りにやってくる。
 いまコマツナなど一束250円となっていて、感謝される。
 いよいよあと1日となった。


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