ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔2007 暮らし雑感〕 キャベツと蝶

2007年11月06日 | 2007 くらし雑感
11月になった。
毎日、菜園に出て見廻ると、晴れた日には必ずモンシロチョウがひらひらとまだ飛んでいる。今年は、例年になくこのチョウが多い。
従って、彼女たちがキャベツの葉にとまるといつの間にか青虫が生まれている。
この青虫が相当な食欲の持ち主でバリバリと葉を食べる。株苗はひどくなって穴だらけ。
本によるとモンシロチョウは葉一枚に1つしか卵を産まないとあるが、どうしてどうして、青虫が一つの葉に4つも5つもいることがある。

「ちょうちょ ちょうちょ 菜の葉にとまれ 菜の葉にあいたら桜にとまれ 桜の花の 花から花へ とまれよ 遊べ 遊べよ とまれ」
と教わった。

この歌は野村秋足という人が、明治7年にスペイン民謡の原曲に作詞をしたものだそうだが、もともとの歌詞はこうではなかったそうだ。

  ちょうちょう ちょうちょう。
  菜の葉にとまれ。
  菜の葉に飽いたら、桜にとまれ。
  さくらの花の、さかゆる御代に、
  とまれよ 遊べ、遊べよ とまれ。

桜は国花として戦前は教育された。
「さくらの花の、さかゆる御代に」という歌詞が戦後すぐの時代の空気になじまないとして昭和22年の小学生の教科書から
「桜の花の 花から花へ とまれよ 遊べ 遊べよ とまれ」となったようだ。
私は当時3つだから、ともかくこう教えられて歌っていたのだが・・。
そういえば小さい頃おふくろたちの世代は「ちょうちょう」を「てふ、てふ」と書いていた。
「ちょう」がなんで「てふ」なのか、その文字に少し戸惑ったことを覚えいてる。
しかし、それよりチョウチョウは桜の花にとまるものなのか。
花から花へ渡り飛ぶだろうか。
幸手・権現堂堤の桜の場合、堤の下に黄色い菜の花が群がって咲いている。
そこを白い蝶々がひらひらと飛んでいる姿はすぐ頭に浮かんでくるが、堤の桜花をひらりひらりのイメージが浮かばない。
小さなモンシロチョウは見上げるような大木の桜には馴染まないのではないか。
今は秋だからはっきりしないが桜の花にとまっていたかなあ。
来春よく見てみよう。

いや歌の話ではなかった。キャベツの話だった。
キャベツにしても、そう卵を生まれて自ら餌場になることは好まない。
彼らは植物で動けないから葉の中にカラシ油配糖体という昆虫にとっては「あっちへいけ!」という毒性の防御物質を持っているそうだ。
ところが蝶はアブラナ科の植物が持っているこれらの辛味毒性を打ち破る術をいつのまにか身につけて子孫に残したようだ。
なんだか、ウイルスとワクチンの戦いにも似ているが、いまは蝶側に軍配が上がっている。
いや今では、むしろその匂いを頼って卵を産み付けているらしい。
キャベツで取った青虫を池に放り込むと鯉は黙々と食べるが、金魚は吸い込んでプイッと吐き出している。ミミズと違ってあまり美味しくはないらしい。
このキャベツの中に今年はまだ青蛙がいる。
色が白っぽくなっている変な蛙もいる。
いずれもコロコロ太っている。
それだけ餌になる小虫が多いのだろう。
だが11月になっても冬眠の用意もせず、このままキャベツの芯を蒲団がわりにするつもりなのだろうか。
トンボも赤とんぼも姿を消した。コオロギの音も聞かなくなった。
だがまだ蝶々と蛙はキャベツに健在なのだ。
いづれにしてもキャベツもハクサイも作り主の私もチョウチョに言いたい。
「桜でもどこでもいいからあっちへ行ってくれぇ」
農薬もいやだし、網で追いかけるのももう疲れたよ。




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