ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔年歳 2007〕 8月14日~8月25日

2007年09月05日 | 2007 くらし雑感
8月14日
 中年の域に入る甥のHが東京から遊びにやってきた。
 ジッタンは若いときに東京・巣鴨の姉の家に居候をしていて、そこから有楽町の会社まで勤めていたことがあるから、この甥とは一つ屋根の下で生活をしていた。
 世の中で私を「お兄ちゃん」と呼ぶ唯一の男だ。
 最近2回目の来訪だが、なぜか当地のみどりの景色を眺めるとホッとするものがあるという。
甥は大手のアパレルメーカーにいたがリストラにもあい、家族を抱え浮世の塩風にもあたってきた。
菜園のトマトやナス、キュウリなども肴にして飲む。
夕方、来訪を聞きつけて倅一家もやってきたので宴はたけなわとなり、甥は一泊。

8月15日
甥は12時頃帰る。
 午後からジョイフルで、Sさんの奥さんのペイント展展示飾りつけを手伝う。
 奥さんは日展に入選している常連で、だんなは農園での飲み友達。パネルで人となりの紹介文を私が書いて、展示したがこうしてみると照れくさい。
終戦記念日。
 夕刻の老犬との散歩で「セミのお宿」と呼んでいる桜の老樹には油蝉が8匹数珠つなぎに並んでいた。
 空には、きのこのような入道雲が湧いている。
近くの団地の盆踊りの歌が聞こえ出した。

8月16日
 払暁に起き、菜園の野積みの草を焼く。
 図書館で本を5冊借り、パラパラ読みながら昼寝。
 しかし、暑い日が続く。
 本日、熊谷ではついに40・9度を記録したそうだ。
 秩父山系を越えてのフェーン現象での暑さとのことだが、40度を超えるというのはひどすぎる。
 
8月17日
 午前中、テニスクラブへ。
暑いが少し風があるので救われる。
 夕刻、あーちゃんと二人で須賀島の農園へ。手分けして作業。
エダマメ収穫、落花生周りの除草と土寄せ、岩槻葱まわりの除草など。
リタイア後、読売交響楽団の役員でとどまっていたIさんから挨拶状。 Iさんは事業局にもいたことがあり、とても若い感覚の人で、ケータイのiモードコンテンツを考えたり、休日は地域の仲間とトランペットを吹いたりで、出向先で一緒に仕事をし帰路一杯やったあれこれを思い出す。

8月18日
 甥の奥さんから礼状、Iさんに挨拶状返信。
近況報告を添える。
 公民館の将棋クラブで稽古将棋。Y二段に2-2、O初段に1-0 前回Bクラスで優勝したKさんに不戦勝(長時間座っていて脚が痛くなったとのこと) A四段には0-2。
 孫たちが面白そうに読みはじめている安藤 光雅の旅の絵本3,4,5,6巻をアマゾンへ注文する。
 夜、少しだけ秋の風を感じたが、この1週間の暑さは尋常ではない。 この猛暑、74年ぶりの記録とのこと。 > また真夏日。
 ジョイフルで新型の鍬を購入。
須賀島の市民農大でも購入していたもので、鋭い中華包丁型の刃がついて頭部は熊手型になっているもの。担当者が、置いてもすぐ売れる売れ筋と言っていた代物だ。
 庭池の金魚を補充。縁日の金魚すくいにつかわれるような丈夫な種類の20匹。

8月20日
「半歩遅れの読書術」を早朝、読了。日経新聞に連載していたもの。
朝の遅いお茶の時間に事故は起こった。
那覇空港で中華航空機が炎上している状況をテレビが写し出した。
機体は真ん中付近で折れていて、激しく炎上中。
乗客ら165は人全員脱出して無事。
ただ後の報道によれば、爆発は燃料漏れ引火から乗客らの脱出終了12秒後に起こっている。
まさに間一髪。
乗客が猛火猛煙に巻き込まれていたらと思うとゾクッとする。
こういう報道はやはりテレビにかなわない。
  菜園でニンジンを収穫、つるなしインゲンの跡を整地。
夕方、スイカを収穫後、苦土石灰や籾殻などを敷いていると遠雷が聞こえはじめ、稲妻となって大粒の雨となった。
家に 戻ると、この夕立で停電。今夏、初。
 「ユーモア学入門」を読み始める。

8月21日
 甲子園の熱闘で投手が痙攣を起こしたり、広陵高校の監督がベンチで熱中症となったとのこと。
炎天下、猛暑の球場なのだろうが、いままでにあまり聞いたことはない。
猛暑が続くとまいるのは人間ばかりではない。
家電が不調。ミキサーが突然故障して買い替える。単純堅牢なだけが取り得で長らく使っていたもの。
居間の中古テレビが時々、画像が暗くなる。これも買い替えとなるだろう。
稽古代わりにつかっているパソコンの将棋ソフトのメモリが足りないとのメッセージが突然出てあれこれ調整するがうまくいかない。パソコンドクターのTさんにメールで相談。
ブログ「大相撲大変」をアップ。
1ヶ月前に5輪咲いた月下美人がその後再びつぼみをもって、また4つ咲いた。
一晩で散る純白の花だが猛暑にも耐えたこの花、意外にタフでもある。

8月22日
 町議選がはじまる。
昨日が告示で、現職18、元職1、新人4人の計23名が立候補。
知事選、町議選に加え春日部との合併を問う住民投票も同日行われることで静かな農村の町に活気が生まれはじめている。
4年前の町議選は無投票当選だった。
各候補者の車がひたすら、名前の連呼と「お願いします、勝たせてください」をよびかけあっちへこっちへ走る、走る。
甲子園決勝戦は感動した。
公立高校の佐賀北が古豪広陵に勝ち全国4081校の頂点に立った。
7回まで0封とされていたが、8回4点差を追って連打などで満塁とし、押し出し四球のあとなんと満塁本塁打の離れ業。
逆転初優勝。
テレビ前で拍手、拍手の試合だった。

8月23日
朝から町議選。「働きます、働かせてくださいっ!」こういう車の絶叫調候補者もいるが同日の行われる住民投票での春日部との合併にはどういう意見を持っているのかは定かではない。
あーちゃんの木彫りサークルでも町議選が話題となり「合併どうなるのかねぇ。候補者はいろを出さないからねぇ」と言っていたという年嵩のおばあちゃんの一言に共感。
ゴーヤ豊作で碁敵の家に届ける。
マキ垣根の下の剪定葉屑をかきだして集めたら手押し車3杯分となった。
夏休み中のマゴたちがやってきた。
小3リョウに将棋6枚落ちで初負け。
内容は勝ちへの誘導ヨイショもあったが、駒使いが少しわかってはきている。

8月24日
若い頃、青年婦人部で書記長をやりジッタンとコンビを組んだE君から定年の挨拶状が届く。
当時、E君はプロからも誘われた野球青年で当時の社内大会では常勝の職場にあって投手をやったり四番をつとめたりしていた。
なかなかの美男子で上背もあるから新聞社の婦人部から人気もあった。
当時の社屋はまだ有楽町にあり、新聞インクの匂いや輪転機の轟音も外にながれていた頃、若い力のありったけを青年運動の中にぶつけていた。
その彼も定年かぁ。
夕食のゴーヤの天ぷらが美味だったので、レシピをあーちゃんに聞いてみるとホットケーキミックスを粉に使ったとのこと。
ふっくらとして甘くほろにがく、いける味だ。
「私は貝になりたい」ドラマを見る。獅童という役者、抑えた演技でなかなかよかった。フランキー堺の同名映画を思い出したが、内容は大きくちがっていた。

8月25日
町議選過熱。
「歩く会のメンバーですのでよろしく」と候補者から直電話。
テニスクラブ推薦としたはがきから、あーちゃんのヨガサークル仲間から、ありとあらゆるツテを頼っての電話やはがきの一票依頼が連日やってくる。
革新もいれば、保守もいる。
春日部合併町長賛成派も街頭に出て訴え、反対派の保守、革新も車でその是非を訴えている。
住民投票を提起したOさんも反対派の街宣車にいたので手を振る。
午後、公民館将棋クラブへ。N会長三段とは2-2。
A四段に胸を借りるが0-2。Aさんのは駒得をしながら必ず先手もとる攻め将棋。
このあたりがうまい。




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