ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔07 読後の独語〕 【もっと笑うためのユーモア学入門】 森下 伸也 新曜社

2007年08月31日 | 2007 読後の独語
【もっと笑うためのユーモア学入門】森下 伸也  新曜社

 リタイアしてからテレビを見る機会が多くなると、画面のタレント連に向かってブツブツと小言を言うようになってくる。
 昔の仲間と飲んでこのことを話すと、どうも私だけではないようなのだが、だんだんト我が年代は顔の表情筋がかたまってくる。
どこから見ても頑固な顔で笑顔ではない。
 かって少年時代、天使のようなスマイルとされた笑顔などいまや見る影もない。
ならば、この本をと手にとってみた。

 空飛ぶパンダ、サンドイッチマンに扮した秋田犬、猛暑、炎暑のためステテコで出勤するサラリーマン、「ズバリ言うわよ」と言いながら予言中に大きなおならをする細木カズ子などなど。
 著者の言うごとく時間軸や空間軸の図式をズラして空想すれば、笑っちゃうことは身近に生まれる。
このズレで笑いを誘うのだが、ズレを無意識に生むのが「天然ボケ」で、ズレを作るのが「漫才のボケ」役と著者は解説してくれた。

 著者は笑いの系譜を古代ギリシャ、ローマ、中世、ルネサンスの歴史の中に簡単にたどっっている。
 だが、笑いの系譜の解説には、なぜか日本のものはあまり含まれていない。
漱石の「猫」や鳥羽僧正「鳥獣人物戯画」などはサラリと触れられていたが、兼好法師の「徒然草」もなければ、古典落語などはまるで見向きもされていない。
 漱石の「坊ちゃん」や「猫」がユーモア小説の代表なら、その知識源泉は落語だ。
 坊ちゃんが赤シャツに「ハイカラ野郎のペテン師のイカサマ師の猫被りの香具師のモモンガーの岡っ引きのわんわん鳴けば犬も同然の奴」などの活きのいい啖呵など「大工調べ」をはじめとして落語の世界にはごまんとある。
粋な笑いは日本のユーモアと思うがどうだろうか。

 一方で、「年を取っただけの幼児にはユーモアは解せない」と論じているところには興味が湧いた。
 最近、遊びにくる大小のマゴたちのために「旅の絵本」安野光雅の3.4.5を買い足した。
 この絵本に文字はひとつもなく、馬を連れたり乗ったりしている旅人が頁のどこかにいるお話なのだが、実は頁ごとに遊びが隠されていて、映画「禁じられた遊び」のシーンがあったり裸の王様一行が歩いていたり、キリストの最後の晩餐が描かれていたりする。
グリム童話などのシーンが隠されていて発見すると思わず笑っちゃう。
絵本は絵本なのだが、知識がない幼児にはそれなりに、バックグランドを知っている大人たちにも楽しめる本となっている。
 膝上のマゴも私も笑っちゃうこの本にユーモアを感じる。

 作り笑いのプロとして 俳優、詐欺師、ジゴロ、ホストクラブのホスト、ダンサー、ファッションモデルなどが並べられ、一人笑いの例として、地下鉄や車内で時折みかける昼間、空ろに笑っている男が引き合いに出され、笑いが、医学的効用から心理学、言語学、社会学などの大きな風呂敷にくるまれて話が及んでゆく。
 だが、総じてあまり笑えないまま終章扉の頁まできてしまった。
 ユーモア学という学問などあろうはずがない、これは洒落だろうと思っていたら、とんでもなかった。
 著者は金城大学人間科学部教授でユーモア学を教え日本笑い学会理事でもあるのだ。
学会まであるのには驚いたが、こういう学問が真面目に存在してるのに驚いた。
ユーモア学という学問を真面目に教えている森下教授と、笑わずに無言でノートにとっている生徒達がいる情景が目に浮かぶ。
 ユーモア学落語科なんていうのもあれば私も受講したいが、どうだろう。                             (8月21日 読了)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿