ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

【忘却からの帰還】 【岡田啓介回顧録】 岡田 啓介 中央公論新社

2013年04月16日 | 〔忘却からの帰還〕

2・26で殺されたはずの首相が実は生きていたんだよ、という話は母がよくしていた。
その岡田啓介の回想録。
やはり2・26事件異聞がもっとも面白く、当事者でなければ語れない緊迫感があった。

雪の早朝、非常ベルが鳴り兵士らが首相官邸を襲撃。
銃剣で壁にあった岡田の写真をたたき落とし、粉々になった写真と松尾という妹婿を見比べ、これを首相と断定。
禿で秘書をつとめた61歳の男の悲劇だった。

当の岡田はその後、厳戒の中、女中部屋押入れで潜伏、時に大いびきをかき、それを打ち消すためにふすま越しで女中二人が、寝ながら自分たちのいびきを重ねて、不寝番をつとめる。
弔問客を装い、脱出する岡田。
この辺は少し漫画チックな光景。
これは2・27戒厳令、29日の「兵に告ぐ」放送下などの中でのできごとである。
そのしたたかさから「狸」とあだ名された。
のちに吉田茂は岡田を「国を想う大狸」と評していたそうだ。
生きていた岡田は参内し上奏、以後謹慎3か月の生活を送るが、酒だけは欠かさなかったというところがナマの回顧録の救いだ。

東条という人は猜疑心が旺盛で、しかも手中に憲兵隊をおさめて私兵として使ったわけで、中野正剛を自刃に追い込んだのも、東条の生理的資質に負うところが多いと納得できた。
鈴木貫太郎の出馬で終戦を迎えるが、岡田の果たした役割も半藤の「鈴木貫太郎」を読み起こせば実感が湧く。
ちなみに瀬島龍三は、岡田の義理の甥にあたる。


岡田啓介 -
Wikipediaから2・26事件関連を抜く

二・二六事件初日、反乱軍は岡田の殺害を狙って首相官邸を襲撃した。
岡田は女中部屋の押入に隠れ、難を免れた。
身代わりに首相秘書官で義弟の松尾伝蔵が殺害された。
岡田と松尾は血のつながりはなかったが、額から下の顔つきが似ていた。
また、反乱軍の襲撃に対し、松尾自身が「いかにも私が岡田です」と応えたという証言もある。
そのため反乱軍も、首相の殺害に成功したと誤認したとみられ、一時的に岡田首相死亡説が流れた。
岡田の生存を察知した親戚は警視庁と提携し、反乱兵士の監視の下、弔問客の首相官邸入邸が許可された際、多人数の弔問客団の出入りに紛れる作戦をたて、これが成功し岡田は脱出し難を逃れた。

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