【鬼平とキケロと司馬遷と】歴史と文学の間 山内昌之 岩波書店
鬼平犯科帳は、けっこう読んだ本の部類だ。
でも24巻をすべて読んだ著者ほどは読んではいない。
司馬遷は一時、「史記 列伝」の持つ独特な文体の虜になって熟読したが、著者ほど眼光紙背に徹して読んだわけではない。
「キケロ」となると縁もゆかりもなく、どういう人かを今日まで知らずに過ごした。
読書を享楽の世界にまで高めた博覧強記から、何冊かをつまんであれこれと論評しているから、読んでいて面白いところと、さっぱり分からないところが交差した。
この交差は、窮めた読書量の差と思う。
鬼平と山内本人が架空対談をしているところがある。
鬼「吉原や内藤新宿といった岡場所にいたような小娘たちが平気で堅気の衆のなかに入って色を売っている。家の躾という慣習が死滅しつつあるのが恐ろしい」
鬼平が見た平成のコギャル批評で、これはこれでわかる。
その話の続きで
山「責任ある仕事をする人間に必要なのがノブレス・オーブリージュだ」
鬼「何なのか その「延びれす帯いじり”とやら言うのは」
山「高い地位の人間には責任が伴う」
という箇所があった。
天下の長谷川平蔵にフランス語を引用して説明するところなど、深い教養がかえって邪魔してわかりづらかった。
だが、思わず「御意!御意!」と膝を打った所があった。
それは、「幕末騒動始末記」--新撰組のぐるり---という章立の中。
2004年のNHK大河ドラマ「新撰組」で芹沢鴨を演じた佐藤浩一の演技が秀逸と書いてあったところから、ぐんと引き込まれた。
芹沢が色白で恰幅もよく、太っ腹の人物であったことに近藤勇は嫉視したとの著者の観察がある。
男の嫉妬とは怖いものだ。
芹沢は酒癖はあまりよくなかったが、艶聞家で女にはもてた。
彼の死を「国家的損失」と悼んだのは永倉新八だが、酒乱を別にすれば、芹沢は教養も外交的センスもあった男だったようだ。
その陰翳の深い男の役を演じた佐藤浩一の演技力を著者は褒めた。
そうなのだ。
あの連続ドラマで、思わず膝を乗り出して見たのは野性的でワルの魔力を持ったニヒルな芹沢鴨だった。
「武術に長けて、男の魅力を発散したむずかしい役所を佐藤浩一は演じきった」と著者。
同感だ。
配役の顔ぶれに、いまひとつ納得がいかなかったNHK新撰組の中にあって、芹沢鴨はかくあらんと思わせた佐藤浩一の役作りは図抜けていた。
著者は芹沢をかっての東映時代劇スターの誰が演じられるかを考え、片岡千恵蔵あたりがまあまあの線で、阿部九州男などでは「これみよがしに整理された悪の顔」でダメとしている。
阿部の顔が浮かんで思わず笑ってしまった。
著者とは年齢が近いためか、昔の東映映画を私も見ている。
この辺りも「御意」の感想が生まれた。
この「新撰組ぐるり」ではガムシャラの永倉新八と明治17年まで元新撰組の屯所があった西本願寺で夜警をして56歳で死んだ島田魁との武張った男の友情が掘り下げられていて、面白かった。
本の後半で日本語の持つ翻訳文化を、「知の世界の共通語」としてとりあげているところも「御意」としたところだ。
小さな日本がこ世界の古典や現代の作品を翻訳している。
「カエサルの戦記や預言者ムハンマドの言行録はもとより、仏典やサンスクリット文学まで本格派の学者によるきちんとした翻訳があり」たやすく読める日本と日本語の翻訳力を見直している。
それは中華、和洋食、エスニックまでを、なんでもござれと”食文化”として吸収する日本の力ともつながる。
平易な日常の生活感覚にある歴史性をもっと注目しろということなのかも知れない。
最近、鳥インフレエンザの世界的影響も出て日本の得意芸だった魚菜食が急速に中国、アメリカ、西欧まで普及していることを知った。
日本人はもっと日本語の果たす「知の世界」を見直すべきという著者の指摘には納得がいく。
この本は、書物の魅力を語る案内人としての著者がイスラムから江戸文化までを俯瞰して語ってもらって大変助かった。
だが、その「グーテンベルグの森」には針葉樹、広葉樹がありすぎた。
森が広すぎて、読後に少し戸惑いが生まれた。
著者は昭和22年生まれ、東大大学院総合文化研究所の教授。
国際関係史とイスラーム地域研究を専攻している人とのこと。 (2007年1月26日 記)
鬼平犯科帳は、けっこう読んだ本の部類だ。
でも24巻をすべて読んだ著者ほどは読んではいない。
司馬遷は一時、「史記 列伝」の持つ独特な文体の虜になって熟読したが、著者ほど眼光紙背に徹して読んだわけではない。
「キケロ」となると縁もゆかりもなく、どういう人かを今日まで知らずに過ごした。
読書を享楽の世界にまで高めた博覧強記から、何冊かをつまんであれこれと論評しているから、読んでいて面白いところと、さっぱり分からないところが交差した。
この交差は、窮めた読書量の差と思う。
鬼平と山内本人が架空対談をしているところがある。
鬼「吉原や内藤新宿といった岡場所にいたような小娘たちが平気で堅気の衆のなかに入って色を売っている。家の躾という慣習が死滅しつつあるのが恐ろしい」
鬼平が見た平成のコギャル批評で、これはこれでわかる。
その話の続きで
山「責任ある仕事をする人間に必要なのがノブレス・オーブリージュだ」
鬼「何なのか その「延びれす帯いじり”とやら言うのは」
山「高い地位の人間には責任が伴う」
という箇所があった。
天下の長谷川平蔵にフランス語を引用して説明するところなど、深い教養がかえって邪魔してわかりづらかった。
だが、思わず「御意!御意!」と膝を打った所があった。
それは、「幕末騒動始末記」--新撰組のぐるり---という章立の中。
2004年のNHK大河ドラマ「新撰組」で芹沢鴨を演じた佐藤浩一の演技が秀逸と書いてあったところから、ぐんと引き込まれた。
芹沢が色白で恰幅もよく、太っ腹の人物であったことに近藤勇は嫉視したとの著者の観察がある。
男の嫉妬とは怖いものだ。
芹沢は酒癖はあまりよくなかったが、艶聞家で女にはもてた。
彼の死を「国家的損失」と悼んだのは永倉新八だが、酒乱を別にすれば、芹沢は教養も外交的センスもあった男だったようだ。
その陰翳の深い男の役を演じた佐藤浩一の演技力を著者は褒めた。
そうなのだ。
あの連続ドラマで、思わず膝を乗り出して見たのは野性的でワルの魔力を持ったニヒルな芹沢鴨だった。
「武術に長けて、男の魅力を発散したむずかしい役所を佐藤浩一は演じきった」と著者。
同感だ。
配役の顔ぶれに、いまひとつ納得がいかなかったNHK新撰組の中にあって、芹沢鴨はかくあらんと思わせた佐藤浩一の役作りは図抜けていた。
著者は芹沢をかっての東映時代劇スターの誰が演じられるかを考え、片岡千恵蔵あたりがまあまあの線で、阿部九州男などでは「これみよがしに整理された悪の顔」でダメとしている。
阿部の顔が浮かんで思わず笑ってしまった。
著者とは年齢が近いためか、昔の東映映画を私も見ている。
この辺りも「御意」の感想が生まれた。
この「新撰組ぐるり」ではガムシャラの永倉新八と明治17年まで元新撰組の屯所があった西本願寺で夜警をして56歳で死んだ島田魁との武張った男の友情が掘り下げられていて、面白かった。
本の後半で日本語の持つ翻訳文化を、「知の世界の共通語」としてとりあげているところも「御意」としたところだ。
小さな日本がこ世界の古典や現代の作品を翻訳している。
「カエサルの戦記や預言者ムハンマドの言行録はもとより、仏典やサンスクリット文学まで本格派の学者によるきちんとした翻訳があり」たやすく読める日本と日本語の翻訳力を見直している。
それは中華、和洋食、エスニックまでを、なんでもござれと”食文化”として吸収する日本の力ともつながる。
平易な日常の生活感覚にある歴史性をもっと注目しろということなのかも知れない。
最近、鳥インフレエンザの世界的影響も出て日本の得意芸だった魚菜食が急速に中国、アメリカ、西欧まで普及していることを知った。
日本人はもっと日本語の果たす「知の世界」を見直すべきという著者の指摘には納得がいく。
この本は、書物の魅力を語る案内人としての著者がイスラムから江戸文化までを俯瞰して語ってもらって大変助かった。
だが、その「グーテンベルグの森」には針葉樹、広葉樹がありすぎた。
森が広すぎて、読後に少し戸惑いが生まれた。
著者は昭和22年生まれ、東大大学院総合文化研究所の教授。
国際関係史とイスラーム地域研究を専攻している人とのこと。 (2007年1月26日 記)
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